ANOTHER WAY ~ THE ALFEE'S SONG,LIVE,GUITAR ~ 私設研究所

Happy 40th Anniversary for THE ALFEE!! 【長年愛用していたパソコンが逝ってしまったので、現在投稿が滞っております。スマホに馴れるか、おにゅうのPC買うかしたら続き始めますので、しばらく御容赦を】

 
--年--月--日

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2014年08月25日

SWEAT & TEARS / 第一章

・゜゚・:.。..。.:*・’’・*:.。. .。.:*・゜゚・
Happy 40th Anniversary for THE ALFEE
・゜゚・:.。..。.:*・’’・*:.。. .。.:*・゜゚・

愛と夢と希望を歌い続けたお笑いロックバンド・40歳の誕生日!←
ついにこの日が来たねぇ。・゜・(ノД`)・゜・。
その日になってみるとあっけないもんだけど、40年前の今日に「夏しぐれ」が発売されたんだなーと思うと感慨がじわっとくるおね(*´ω`*)
そして個人的にも出逢って31周年の夏になります。
・・・・
長っげー付き合いになったなぁー(бвб)@このブログももう6年目の夏である(๑・ω・๑)
そんなデビュー記念日、3人に敬意と感謝と最大限の思い入れの念を込め、個人的には満を持して、という感じで何年か前からこの日に・・・この日からアップしたいなーと思ってた曲に取り組んでいきます@もちろんまだ序の序である
多分このブログ史上、今後いつまで続くか解りませんが
最長の文量にはなるはず。
年内・・・下半期いっぱいで書き上がればいいかな、ぐらい気持ちで←弱気
さぁ!始めるか!!


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



【1986年、6月の最初の土曜日?5月の最終土曜だったかもしれない。
一週間のルーティーンになっていた、午後9時から始まる愛してやまないバンドがパーソナリティのFMラジオ番組。
この日の放送は待ちに待ったバンドのNewシングル音源解禁日。
早く聴きたいのはもちろん、バンドのツアーがこの街にやってくる直前だった事もあり、少しでも早く覚えようという思いでいっぱいだったのかもしれない。
その曲はツアーの重要なポジションで歌われているというので尚更。
そして間近に迫った梅雨が終われば、前人未踏の野外イベントが待っている夏がくる。
いつも以上にワクワクしながら今か次かと一喜一憂しながらオンエアを楽しんだ番組後半。
多分番組エンディング前・最後のパートだったと思う。
その曲のボーカルを担当するパーソナリティが1人で曲に対する想いを語り始めた。
何を話したかはまったく覚えてない。
シングルレコードとしては容量ギリギリの長さなのと、長すぎてもこの歌をシングルにしたかった、という話はしたかもしれない。
それほど長い話でもなかったと思う。
でも曲に込めた熱を感じ、リスナーの想い高ぶらせるには十分な内容だったと体が覚えている。
曲名を紹介した後で流れ出したシンセのベンド音、続いて響いたシンセブラスとピアノが同期したファンファーレ。
少しゆったりしたテンポも伴い、「これが俺達だ!」と言わんばかりの堂々たるイントロだった。
血液の流れが速くなり熱が一気に上がり、高揚した体が震えた。
それだけでも充分だった。
ボーカリストの声が今まで聴いたことのない力強さで歌う。
そして最後に叫ぶ。

Sweat & Tears For Lonely Boys Sweat & Tears For Lonely Girls
愛のすべてを信じる心捨てるな!
あきらめるために夢を投げ出すな!
明日を信じて振り向くな 立ち止まるな!

「感動」という言葉にしてしまうには何か違う感情、だけどじっとはしてられない想いに満たされた。
今すぐ大声で叫び暴れ、自分の全てを解放したい衝動にかられた。
自分の心のどこかにあった、自分でも気付かなかった扉の鍵を開けてくれた歌に出逢った。
瞳から汗を体中に涙を感じる時に何かが見えるはず
あの時感じた想い、少し湿度の高かった肌触り、梅雨間近の臭い、18歳の初夏の夜を今も昨日のように思い出せる。
そしてきっと、生涯忘れないんだろうと思う。】



☆ ☆ ☆ ☆ ☆




ALFEE通算23枚目のシングル(ポニーキャニオンからは21枚目)として、そして
THE ALFEEのデビューシングルとして1986年夏に発売された
SWEAT & TEARS
言わずと知れたTHE ALFEEの骨・肉・血液を作るバンドの存在意義そのものを表した曲。
星空のディスタンス」「メリーアン」が代表曲・・・いわば玄関口の表札みたいなものならば、この曲はALFEEという家の中心に建てられた大黒柱みたいなもんですよね。
バンドの核曲であり、ファンとの「絆」「約束」が最も強く体感できるライブの中心曲。
ミドルテンポで王子のボーカルによって歌われる言葉は
♪愛のすべてを信じる心捨てるな♪
♪あきらめるために夢を投げ出すな♪
♪明日を信じて振り向くな 立ち止まるな♪

と力強く、そしてかなり解りやすくリスナー・特にティーンエイジを鼓舞する
コッテコテのメッセージソング
86年当時の作詞家・高見沢俊彦の特長を最大限発揮し、ALFEEとしての想い全てとライブでの躍動感そのものを注ぎ込んだナンバー故に、「Gate of Heaven」の様な組曲は別として、普通の楽曲としては当時異例の
6分を超える大作
に仕上がっています。
とはいえ、当時既に5分台の曲は何曲かあったし、今となってはもっと長げぇのいっぱいあるけどね(бвб)←
企業タイアップが無かったものの、シングルとして非常に大事な役割を任された曲でもありました。
まずこの年・1986年、TOKYO BAY-AREAを含む年間を通じたツアータイトルソングとして。
そしてその年の秋に発売予定だったアルバム「AGES」のリードシングルとして。
そしてもちろんTOKYO BAY-AREAへの旗印、PRソングとして。
86年の夏をピークとして年間を通じてALFEEが掲げたテーマであり、発表当時から強くファンから支持され、それは31年経った今尚長きに渡ってバンドとファンを繋ぐ絆の証として愛されている曲ですね。
ツアー・イベントでは欠かせない定番曲として君臨しており、長いライブ活動の中でも「星空のディスタンス」に次いで
☆総演奏回数第2位!☆
である事からもバンドにとっては「ライブの代名詞」といっていいポジションの曲であり、そしてファンからもライブでの演奏を一番望まれている曲、と言っても過言ではなく、それは2012・WGR開催時のファン投票
\高見沢ボーカル総数第1位/(総リクエスト位1だったのかな?)
という結果からもうかがい知れますよね。
なんせライブ見に行って
ドゥーン
がないとなんか物足りないもんね(๑・ω・๑)
あのベンド音で条件反射的にキタ――(゚∀゚)――!!と五感が反応して滾る血液と次の瞬間上がる右腕、それな(бвб)
ある意味、あの血湧き肉躍る瞬間を味わうために未だ通ってる所あるよな←
メニューから外れた時があったとしても、イベントやツアーの大都市・アリーナなど何処かで歌ってたりするので、発売以降歌わなかった年というのは多分ないんじゃないかなー。
「AGES」のアルバムバージョンの間奏入れてみたり、3人で1コーラスずつ歌ったり、後奏でちょっと遊んでみたり、時折遊び心を入れたりしますがー。
基本31年間、未だ変わらないアレンジ、変わらない熱さ、そして
変わらないヘドバン川・.B・||
で当時の輝きを今も失うことなく、オーディエンスとのステージの共有が出来る曲ですねー。
常連さんにはいつものALFEEを確認でき、一見さん・初見のお客さんには「これがALFEEの魅力か!」というインパクトを与え、そして久しぶりにくるお客さんにはそれぞれの中にある「あの頃のALFEE」そのままが一瞬で蘇る、年数回・半年に一度・1年1回・数年ぶり・十何年振り・そして一見さんを含む全てのオーディエンスに対して、ある意味「元気だったかい・また逢おうぜ」という再会の喜びと次への約束を
歌と演奏で投げかけ歌と拳で返す
ALFEEとファンの存在確認的な時間を演出する曲ではありますよね。



元々は86年ツアーの為のタイトルソングとして作られた楽曲。
ツアータイトルが先だったのか、曲が先に出来てたのかは定かではないけどねー。
「86年ツアーの為に」という中には、多分制作時期にはほぼ決まりかけていた「TOKYO BAY-AREAの為に」という意味も充分に含んでいると思われ。
とにかく最初からシングルとして。。。という構想ではなかったようですねー。
まぁシングルありきで作ってたらこの長さにはならないだろうしなー( ´・ω・`)
とはいえ、王子の中にはある程度腹括って決めてた所もあったのかもしれないですねー。
それくらい春ツアー前から力入ってたし、BAY-AREAの開催発表後はもう突っ走り始めてた感はありますよね。
このタイトルソングも加えた86年春ツアー、前年の白を基調にしたロマンチック感を演出するステージとは打って変わって、黒を貴重としたステージにむき出しのイントレ階段が組まれ、演奏面も頭からラフ&ヘビー。
何の演出もしない緞帳もないステージに袖から3人が表れてギターを持って、互いのタイミングを計らって
川・.B・||<よーし、行くぞー!
と叫んで演奏がスタートするオープニングから、前年末に出した「THE BEST SONGS」からの選曲も交えつつ、当時のALFEEそのものを象徴するような3曲で締める本編のラストにこの大作は置かれ、この歌を軸に構成されたようなメニュー構成・演出となりました。
ツアー前のインタビューなどでは「むき出しのステージにしたい、ライブハウスのような」と語っており、その言葉通りのライブ内容であると共に、この年の秋に発売されるアルバム「AGES」で表れている
ヘビーなロック
という感覚を既存曲で表現したようなツアーでした。
そして何より圧巻だったのは、最後のアンコールで曲への想いを語るMCと共に
川・.B・||<みんな来いよー!
東京湾で待ってるぜーー!!!

と雄叫んで歌われた
二度目のSWEAT & TEARS
ブレイク前後のシングルや曲数の少ない初期のライブならいざ知らず、爆発期からすでに安定期に入っり始めていたバンドのツアーで新曲を二回歌うなんてなかなかの前代未聞。
過去ALFEEのステージに置いても、ブレイク直前までは「Since1982」や「夢よ急げ」なんかはあったけど、それらとは意味合いがまったく別物。
客席に煽られて歌った訳でもなくノリで歌った訳でもなく、来てくれたファンにより言葉とメロディを届けたい・感じて欲しいという意志。
そして夏の東京湾への溢れ出る想いを客席に向けて爆発させて、ファンも含めたALFEE’S CREW全体で盛り上がって行きたい意向と狙いの元セットリストに組み込まれていた物。
本編とアンコール、きっとどっちかだけでは足りないと思ったんだろうね。
二度三度歌ったからと言って想いが伝わる訳ではないし、雑誌のインタビューなんかをしっかり読んでくれてるファンであっても100%は伝わらない。
でも、二度歌う事でファンも何故二回も?と考えてくれる。
そこで解りたい人はステージの意図を探ろうとしてくれるだろうし、そのきっかけを与える為にはこのやり方だったんだろうと思う。
「結果」ではなく「きっかけ」を作る事。
それこそが二回のSWEAT & TEARSを歌った意図なんだろうなー。

その曲がツアー中にシングル化決定。
ALFEEとして初になる
メッセージソングのシングルタイトル曲
いつ頃から王子に・3人にその想いが強くなったのか。
もしかしたら、これまでにもその意向があったけど不採用になった経緯はあったかもしれない。@「Blue Age Revolution」辺りは案外シングルとして売るつもりで作ってた気がしないでもない。
「自分達でも迷ったし、反対するスタッフもいた」という当時の王子のインタビューを裏づけるように、時代はまだ冒険だった感はあるし、少なくとも「出したい→じゃーそれで行こう!」という単純な物では無かったのは事実だろうね。
それでもシングルとして出したかった理由。。。@外的な影響と思われる推測は前回の投稿を参照して頂くとしてここでは内的要因をいろいろ考えてみましょー。
当然、TOKYO BAY-AREAへのPR的要素が強かったのはあるよね。(詳しくは後でやります)
そして「メリーアン」、それ以前からある程度固めて進めてきたシングル戦略も陽の目見て目処が立った所で、次の段階に進む時でもあったんだろうし。
「シングルヒット」という縛りの中での次へのステップといった所で、じゃーどーするの?的な迷いというか先詰まり感はPROJECTⅢもポニーキャニオンもあったとは思うんだよねー。
桜井さんのボーカル力は浸透したし、それぞれのリードボーカルも魅せた。
ハードロックもバラードもポップな物も、「風曜日」ではロックンロール風のも魅せた。
次の一手に対する行き詰まりはあったろーし、事実シングル売り上げ自体は下降気味。
「メッセージソング」というカードは、そこで考え得る次の一手の一つでもあったはずだよね。
しかし興味を示している層を一気に手放してしまう危険性もはらむ冒険でもあった訳で。
ツアー現場はもちろん、レコーディング現場のスタッフ達も気概に溢れていただろうけどこれだけではレコード会社にYesと言わせれるだけの材料にはなりえなかったかもねー。
何せまだ切ってないカードとして「桜井さんが歌うバラード」という選択肢があり、まさにそのタイプの曲「もう一つのラブソング」(後の「風よ教えて」)もこのツアー前に作り歌ってた訳だから。
音楽雑誌関係者でさえも大方の予想はこの曲が次のシングル候補で、「SWEAT & TEARS」を切ると聞いて驚いた人がほとんど。
ちなみにシンプの大越さんは最初に高橋研さんからこの話を聞いたそうで、その話しぶりはかなり嬉しそうだったと記事に書いています。
3人自身も次はこっちの方がいいかな?という迷いはあったみたいですしねー。
そんな状況であっても最後に「SWEAT & TEARS」をシングル化に押し切ったのは、何より3人の情熱なのかも。
王子自身、発売時のインタビューでは、迷ったけど
絶対出したかった。出すべきだと思った。
と強く語っており、その当時の情熱が伺い知れますよね。

「絶対出したかった。出すべきだと思った。」という言葉の意味は、当時の世界情勢・とりわけ日本の現状に対する想いが大きかった気がしますよね。
海外ではアメリカのリビア制裁があったり(これも後のイラク同様言いがかりに近い気がしる)何より
チェルノブイリ原発事故
があったよね。
遠く離れてはいても、日本での報道や日本人が感じたショックはかなり大きなものでた。
核に対する恐怖心的な物はあったけど、原子力発電所に対するリアルな恐怖はこれが初めてだったかも。
平和利用、という名の元に導入される「原子力」に対しての「果たしてこれでいいのか?」という疑いが芽生えた時だったですね。@その疑いが25年経って現実になるとはその時誰も思いはしなかったよね( ´・ω・`)
1人のミュージシャンとして、1人の作詞家としてここには当然敏感に反応したはず。
そして日本、大きく話題になったのは青少年の自殺。
その中でも衝撃的だったのは当時人気だったアイドルが無くなった事。
それに対して後追い自殺してしまう若者が現れ社会問題にもなりました。
右肩上がりの経済、豊かに贅沢になった国民・・・雇用率も高く(今の若い子は信じられないかもしれないけど、多少の選り好みしても就職できた時代である)安心・安定で暮らしていける国・・・・なのに軽くなる人の命。
不思議だよね。
何処で狂ってしまったのか、何がおかしいのか。
そこに対して王子の心のアンテナが敏感に反応してしまっていたよね。
そしてそんな頃だったかもっと前だったか・・・・新聞に載った一つの投稿。
ラジカル・ティーンエイジャー」を聴いて自ら命を絶つ事を思いとどまった少年がいた話。
当然王子の目にも留まり、それに対して相当胸に期する物があったようで。
実際、この春のステージ上で「お前ら、死ぬんじゃねーぞ!」と、ちょっとこっちが戸惑ってしまうぐらいストレートな言葉を投げかけていたりもしました。
この新聞の件がいつ頃だったか覚えてないけど、「SWEAT & TEARS」の制作時期かシングル選考時期かに大きな影響を及ぼしてたはず。
心の問題にしても世界の情勢にしても、突き詰めれば結局は個人個人の己の心意気次第。
生きていく勇気、Noと言える勇気、明日への希望、繋いでいく今日・・・・
この国に生きるティーンエイジ達、せめて自分の歌が届く範囲のティーンエイジ達にはしっかり伝え1人1人に考えて欲しいと願う衝動があったんでしょうね。
だからこそ今この歌をシングルに!という気概に溢れていた所はあるんだろうなー。

ファンが「メッセージソングのシングル化」を望んだというのも決め手の一つにはなったかもね。
シングルになると発表されたのはいつ頃だったか。。。
多分5月の終わりから6月の初旬。
月早めの発売であるARENA37℃の7月号に速報が出てるので、6月の頭にはもう発表になってたんだろうねー。
当時はレギュラーのFMがあったから、そっちが一番早かったのかな?
発表当時、まだツアーも来てないしどんな曲かは知るよしも無かったんだけどー、雑誌等でかなりの熱量を持ったメッセージソングである事だけは解っていて、それだけで熱くなったのを思い出す。
そう、ファンはみんな喜んだよね!
ラジカルティーンエイジャー」に感化されて以降、待ち望んでいたシングルタイトルでリリースされるメッセージソング。
ファン以外の目に映るのは、半歌謡曲という感じのラブソングを歌うトリオという状況を見返したい。
真のバンドの姿を見せたい。
特にまだ高校卒業したばかりでロック好きと粋がってたティーンエイジの自分にはその想いは強く。
そんな時代についに叶ったシングル化。
\ALFEE 大勝利/
ぐらいには浮かれたおね(бвб)←
少なからずいたであろう、同じように思っていたファン達には本当に待望のシングル化ではありましたよね。
当然、3人やスタッフにもそういった要望や声は届いていたんだろうし、そこに突き動かされた部分も少なからずあるかもしれないですねー。
曲があっという間に大多数のファンの支持を得、今尚愛されて続けてる事からも、どれだけ望まれていたかが解るよねー。

そして、この曲をシングル化するのにある意味運が良かったのは
企業タイアップが無かった事。
もちろんあればCMやTV番組などで視聴者が耳にする機会も増える訳だから、レコード会社的な所はもちろん、ミュージシャンとしてもありがたい事なんだけどねー(^_^;)
だがしかし、曲を使って頂くと言うことは、キャッチフレーズやイメージコピーなど詞にもある程度制約が出てくるわけで。
この曲にソレはないなーと思うし、当然3人も望まなかったろうし。
むしろ、「SEWAT & TEARS」をシングルとして切る為に、あえて積極的に動かなかったのかもしれないよねー。
それだけ純粋に想いの入った言葉を届けたかった、という意志が解るよね。

待望のメッセージソングシングルであると同時に、バンドにちょっとした変化・・・・結局はこれが大ターニングポイントになる訳ですが・・・が、ありました。
バンド表記がTHE ALFEE
今まで無かった“THE”という冠詞がついた表記になりました。
当時はネタ的要素も若干交えつつ
THE ALFEEのデビューシングルです!
とあちこちで言ってましたが、実際の所その想いはシャレではなくしっかりと強い物だったようで。
「この曲はALFEEだからこそ歌える歌、俺達にしか歌えない歌」という想いを強調したかったと語っており。
歌の意志=バンドの意志
というのを表したかったそうですねー。
ある意味賭け的な要素もあった訳なので、それだけの決意を持ってのシングル化だったって事ですよね。
フォーク-バンド-ハードロックと進んできた中での次の一手、次のステージへ入るために纏った冠・・・冠というよりは、兜だおね。
自分達に再度ムチを入れる儀式的な物ではあったのかもねー。
ファンである俺達も、これが真のバンドの核だ!ぐらいの想いはあったから、バンドとファンが同じ方向を向いてたというのは嬉しい事ですよね(*´ω`*)
しかし、これからこの名前で行くぜ!という強い意志があった訳ではないそうで、この曲に対して付けてみようかぐらいの感じで、今後このまま行く訳じゃない・・・と当時は語っていますがー。
結局はここからレコードはもちろん(たまに外すこともありましたが)ライブ活動・広報など全てに置いて、バンドはTHE ALFEEとして今日まで活動する事になったのは周知の通り。
どーなんだろーね?ファンの反応が悪くなかったからこれで行こうとなったのか、結果的に想いの延長線上で作り上げた「ROCKDOM」-「AGES」と続いたから外せなくなったのか(笑)
当然、冠詞を加えるだけとはいえレコード表記の名前が変わる訳だから、ガッツリとしたスタッフ会議はあったろうけど、この時点ではとりあえずで様子見感はあったっぽいですよね。
SEWAT & TEARS」という意志を更に強固に魅せるオプション的な物としての「THE」であり、後は反応が悪ければ戻そう、ぐらいの柔軟性は持ってた気がするー。
ともあれ、結果的にこの”THE”表記は受け入れられ、バンドにとっても我々ファンにとっても大転換となる出来事でしたよね。
THE ALFEEのデビューシングルではありましたがー、歌の内容がこれまでと変わった訳ではなく。
むしろ「夢よ急げ」から「ラジカルティーンエイジャー」-「Blue Age Revolution」と発展してきたテーマの到達点。
まぁ86年当時での事で、ここからバンドは更に果てしなくTo be Continuedだから、次の為のベースキャンプみたいなもんだよね。
歌ってきた事をもっとシンプルに、より力強く。
それがバブル最盛期の86年という時代に逆境するような「汗」と「涙」というキーワードになり、人間自身から湧き出る感情や情熱こそが明日への活力に繋がる事を言葉として認めた歌になりました。
歌ってきた事に対する自分自身への一つの答え、的な曲ではありますよね。
これがこれからの俺達だ!のTHE ALFEEデビューシングルであると同時に、1986年時点での
ALFEEの集大成
でもあった訳ですよね♪

内容の冒険はあったけどバンドの強い意志もあり、当時の時代背景でヒットする目算がなかった訳ではないので晴れてシングルとして発表する事になった訳ですがー・・・・
シングルにするにはもう一つ、そして最大の問題が横たわっており。
曲の長さ
当時のライブサイズそのまま入れてしまうとそれこそ8分・10分。
後奏をある程度省いても7分ぐらいにはなる曲。
当時のシングルレコード・45回転で収録出来る時間は6分ちょい。
とても入らないですよね。
そこでリフレインもある程度削りなんとか収まるサイズまで絞り込んで
6分15秒
振り向くな 立ち止まるな」ですでにフェードアウトに入り、スゥエッタン・・・で切れてしまうのである(๑・ω・๑)
もう歌としてなんとかギリギリ入れ込んだよね(^_^;)
この長さ、歌番組とかどーするんだという課題もありましたがー、それは後で考えれば良いことなのでとりあえず収録できる長さはクリア。
そして7月5日(フラゲに走って7月4日)、我々の手元に届くことになった訳ですがー。
このシングル、なかなかのレコードプレイヤー泣かせ(бвб)
プレイヤーの設定・メーカーの仕様によっては、オートで針を落とすとファンファーレの途中から始まったり、フェードアウトの途中で針が上がる事例も少なくなく( ´・ω・`)
外周の少ない予備溝めがけて手でゆっくり針を落とし、僅かにあるかないかの最後の予備溝まで回ってから針が上がるようにしないとなかなか全てを聴くことができなかったファン続出。
力の入った内容を楽しむ前に、「聴く」という作業自体にファンが力を入れなければ行けなかった珍現象でありました(笑)
だったら12インチシングルにすればいいじゃんという意見もあるんだけどね( ´・ω・`)
やはりセールス的な面でポニーキャニオンが敬遠したのかもねー。
あのサイズだからこその味であり価値感、ってのもあるしね。



続くー



SWEAT & TEARS
作詞/作曲:高見沢俊彦
編曲:ALFEE
シングル「SWEAT & TEARS」(1986年)
アルバム「AGES」(1986年・album.mix)
アルバム「ONE NIGHT DREAMS」(1987年・live)
アルバム「HIT SINGLE COLLECTION 37」(2004年・re.take)
アルバム「STARTING OVER」(2006年・re.take【Medley】)収録
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そう言えばありましたね、電動でアームが動くタイプのレコードプレイヤーが。
対応できないレコードプレイヤーが出るほどぎりぎりまで溝を刻んだ職人さんも、さぞ大変だったことでしょう。
私はCD化されてからのファンで、レコードプレイヤーと戦うはめになるのを免れたせいか、テンポが早くなった後のものを先に聴いたせいか、あの曲がそんなに長い曲とは今の今まで気づいていませんでした(^_^;
というか、シングルレコードに6分強ある曲がぎりぎり収録できる、ということを今日初めて知りました。
あっちゃんのこの曲への思いがヒシヒシと伝わり、はやくも充実感を感じてますが、まだまだ完全燃焼するまでどうぞ書ききって下さい。
読んでてあの熱い86年の夏が甦ります。
ラジオのトーク、思い出します。
この曲を旗印に史上初の10万人コンサートへ向かう高揚感までも。

引き続き楽しみにしてます。


☆居眠り猫さん、いらっしゃいませー
古いプレーヤーの方が案外融通効いたんですよねー。
ラジカセタイプの縦型オートオンリーのヤツだと完全に途中で切れてました(^_^;)
ホントは45回転・6分3秒が限界って言われてたんだったかな?
いろいろ四苦八苦して収めた、盤制作の方々も力の入った力作です←
多分、その後もっと長い曲が沢山出てきてるので長く感じなかったのかも。




☆aaaさん、いらしゃいませー
本気で年末ぐらいのスパンで考えてます←
あの時の熱さ、忘れられないですよね。












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あっちゃん♪

Author:あっちゃん♪
twitter ID:@venusofrock



ALFEEファンの皆様、よーこそ!
訪問ありがとーございます♪
15の時にALFEEと出会って以来、四半世紀以上のお付き合いの石川在住・一ファンですv(。・・。)イエッ♪
大まかには各楽曲に絞ったあれこれを書いてます。
また楽器の事やライブの事もっ。
お気に召しましたら、コメント等頂けたら幸いです。

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