ANOTHER WAY ~ THE ALFEE'S SONG,LIVE,GUITAR ~ 私設研究所

Happy 40th Anniversary for THE ALFEE!! 【長年愛用していたパソコンが逝ってしまったので、現在投稿が滞っております。スマホに馴れるか、おにゅうのPC買うかしたら続き始めますので、しばらく御容赦を】

 
--年--月--日

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40周年記念日まで後1週間ですな
晴れがましい日を迎える前に、次回からアップ予定の曲が生まれた時代をちょっと振り返り。



後にTHE ALFEEというバンドそのものを表すような中心曲になる宿命を背負った曲
SWEAT & TEARS
当時のリスナーの中心であるティーンエイジャーに向けたコッテコテのメッセージソングがシングルタイトル曲として発売されたのは1986年7月5日。
現代において、若者やリスナーを鼓舞するこういった詩は珍しいものではなく、むしろ今の歌の世界の中ではラブソングと二分するぐらい数多くのライターが書き、年若いアイドルシンガーから熟年ミュージシャンまでの幅広い年代で歌われるテーマ。
こういった方向の歌は支持を得やすい・・・と言ってしまうのはいい表現ではないかもだけど、割と作詞のテーマにしやすいのはあるでしょうねー。
しかしこの歌が発売された1986年、この手のテーマはまだまだ開拓されてない時代でした(決して無かった訳ではない)。
ポップミュージックの主テーマとして扱われるようになったこの手のメッセージソング、ちまたに流れるようになり始めたのは1986年を前後とする80年代中盤が境なんですよねー。
という事で、この頃の「メッセージソング」を本筋とは別項で、一ALFEEのファンからの見方と体験で思うまま書いてみますた。@【メッセージソング】という表現は拒否反応もあろうかと思いますが、話の便宜上コレで行かせて頂きます。



メッセージソング、といえどもその指し示す方向は幅広くー。。。というか、幅が広すぎて。
同じ詩のジャンルとして扱うには無理あるだろー(^_^;)というぐらいに多岐に別れており。
例えばALFEEの歌詞で言っても、同じメッセージソングとして扱われてるけど「祈り」と「SWEAT & TEARS」と「My Truth」ではあまりにも詩のポイントが違うよね。
大きく分けると3つぐらいのテーマに別れると思うんだよねー。
社会に対する憤りや不安を歌った物(プロテストソングとも言われるヤーツ)、ソングライター自身の自分の内面と向き合う葛藤や生き様を歌った物、そしてこの歌のように周囲と自分自身を鼓舞して光を目指す歌。
プロテストソングはそれこそ昔からあるものであり、「芸能」という物自体がその時代時代の特権階級に対する「反体制」的な物がルーツだったりするそうなので、いわば原点でもあったり。
現代では反戦を歌うPPMなどの海外のフォークソングからジョンレノンやボブディランといったミュージシャンの歌が日本に伝わりポップミュージックとして確立してますよね。
日本では泉谷さんや清志郎さん辺りが時にガッツリやったり、高田渡さんは上手く皮肉って歌ったりしつつ60年代―70年代を中心に名曲が多く残ってたりします。
「個」の内面から出てくる物を歌った物は、拓郎さんや尾崎豊、省吾などソロのボーカリストとして活動しているソングライターがラブソングと共に主軸にしてるテーマですよね。
その人のリアル性が強い分特に多感なティーンエイジ層に共感を得やすく、その時期に影響を受けた熱心なヘビーリスナーを中心に支えられて今日も活動しつづけてるミュージシャンが多いですよね。
その反面、物語を構築するより自身を削り取って詩を書くのでその精神力はなかなかハンパなく、作品を作り上げると次作までの間に長い休みと創作期間が必要になったり(笑)
こういった曲を書くシンガー達はプロテストソングなども書くし、この二つのテーマというのはソングライターを志すきっかけとして共存するものなんでしょうねー。
そして第三のメッセージソング、と言える自分自身と不特定多数の誰かを鼓舞して前に進もうとする歌。
単に自分があんまり知らないだけで60・70年代になかった訳ではないと思うんですが(岡林さんの「友よ」なんかは近い物あるよね)、80年代に入ってから一気に普及してった感はありますよね。

そんな時代の創世記と言えるであろう80年代中盤に生み出された「SWEAT & TEARS」。
この時に王子がいきなりこの手のテーマを書き出した訳ではない、というのは皆さんご存じの通り。
これ以前には「ラジカル・ティーンエイジャー」という多くのリスナーに支持された同系統の楽曲を始め「Blue Age Revolution」や「ジェネレーション・ダイナマイト」等があり、さらに遡ればこの方向性は82年・所沢の為に書かれた「夢よ急げ」「A.D.1999」辺りから試行錯誤しつつ作り上げた物。
継続して歌ってきたテーマの一つ。
じゃぁこの路線は王子が独自に生み出した物か?。。。と言われれば多分そうではなく。
王子の40年近い創作活動の傾向から見て必ず何かしら強い影響があった上で突き動かされたものでだとは思いますよね。
それは人との会話・関わりや小説などによるものからの影響もあるかもしれませんがー、特に「歌詞」という分野だけに洋楽より日本のミュージックシーンからの影響が一番大きいと思われ。
そして表に出ている王子の情報をから考察するに、多分一番大きな影響を受けているのは
浜田省吾氏
80年のアルバム「HOME BOUND」に収録された「終りなき疾走」「明日なき世代」の2曲に刺激されたのが発端だと思うんですよねー。
この2曲は、王子にALFEEのバンド形態への移行を決意させた一因になった曲としても知られてますがー。
歌詞としても、アルバム「ALFEE」以降の楽曲を中心に王子の作詞に強く反映されてる気がするんですよねー。
「終りなき疾走」は1ミュージシャンのサクセスストーリーを歌った物。
歌詞の目線=主人公目線の歌で割と解りやすく書かれている物語性にソングライター自身を切り取った部分を当てはめたような歌詞なのですが、歌の方向は閉鎖的だったりもがいていたりするものではなく、あくまで夢の続きに向かって突き抜けた歌詞になっているので、自分自身を鼓舞する歌でありながら実は周囲も巻き込むタイプの歌詞になってるんですよねー。
当時よりも後年ファンになった人・特にティーンエイジ層中心にこの歌に影響されたファンが数多く、ある意味自分の思い描く未来の疑似サクセスストーリーとして自身を鼓舞し活力を貰える作用が働いた曲なんですよね。
この曲にシビれてファンになった自分もそうだったし、
間違いなくコイツもその1人である川・.B・||←
これは俺の歌だ!ぐらいの事言ってたもんなー(笑)
歌の目線・出発点的な所は違うと思うんだけど、受け取るリスナーへの効果は結果的に「ラジカル・ティーンエイジャー」「SWEAT & TEARS」と同じ作用をしたんですよねー。
そいった所からも王子の書くメッセージソングの一つのヒントになってる歌だと思うんですよねー。
そしてもう1曲の「明日なき世代」。
以前「A.D.1999」を書いた時にもちょっと触れましたが、こちらは王子の詞への影響力がより大きかった曲と思われ。
歌詞の目線は「自分と想いを共有する誰か」に向かって書かれていて、一見ラブソングっぽいていで書かれてはいますが見方を変えれば「相棒・友人」だったりそれこそファンに向いてる捉え方も出来るんですよねー。
そして歌の向かう先は影から光を目指すものになっていて自分自身と誰かを鼓舞する事でリスナーを巻き込む、まさに80年代のメッセージソング的な歌であり、アプローチは違えど方向性はより「SWEAT & TEARS」に近い物になっています。
多分「A.D.1999」自体がこの曲に触発されて書いた物だと思われる点が多く、そこからの発展が「ラジカル・ティーンエイジャー」以降に繋がってる事から考えても、「SWEAT & TEARS」を書くに至った原点がココにあると思うんですよねー。
この2曲、そして80年代序盤における浜田省吾氏のミュージシャンとしての立ち位置は、王子の作詞・ALFEEの変化においてかなり大きな影響力を及ぼしてる・・・と今になっては思う事多いなー。
また直接的ではないかもだけど、佐野元春氏の存在も間接的には影響受けてそうなんだよねー。
元春の作品は一歩退いた目線で物語の主人公の心情や想いを描いた物が多いのだけど、時には寄り添ったり励ましたりして主人公の行く末を見守るような展開をしていて、後に主流になるメッセージソングにかなり影響を与えてるんですよねー。
ロックンロール・ナイト」「ダウンタウンボーイ」といった曲は特にその辺りが強く出ている作品だと思うし、この辺りの曲はALFEEが同じオムニバスイベントに出たりしてる時に歌ってそうな時期だと思うので王子もきっと耳にしてると思うし、そうでなくても「SOMEDAY」辺りの作品にはそれなりに思う所もあっただろうし、それなりに感じる所はあったろうねー。
省吾と元春、それぞれに表現や思う所の方向は違えど、自分自身やリスナー・そして「時代」に対する皮膚感覚は同じような事を感じてた気がするんだよねー。
特に「作詞」という面で影響を受けているのは王子だけでなく、やがてくる時代・そして現代までに渡るJ-POPのバンド・シンガーの作品の主流になる「メッセージソング」の原点になってるんじゃないかなー。



80年代前半、省吾や元春が書く歌は一定のリスナーに支持され少しずつ浸透してはいましたが、まだまだ「大ヒット・大ブレイク」とは言い難く。
84年以降のバンド・ムーブメントによってTVでもロックの露出も増え歌謡曲と並んで存在感・居場所を奪い、尾崎豊を始めとする若いシンガーが台頭してはきていたものの、当時の音楽業界でヒットしている歌の主流はロック・歌謡曲・演歌・どんなジャンルであれ男と女のラブソング。
ALFEEにしてみても「ラジカル・ティーンエイジャー」を始めとした大多数のオーディエンスに支持されていた「メッセージソング」は何曲かあるけれど、どれもアルバム曲やシングルカップリング曲でありシングル表題曲として発表してきたのは全てラブソングであり。
ソコは当然、ポニーキャニオンの営業的なレコードセールスはもちろんの事、TVの歌謡界の中でもリリース毎に露出できる居場所を安定させる為の手段であったのは間違いなく。
また曲によってはスポンサーとの兼ね合いもあるしねー。
そうする事で露出は増えるしリアルタイムの動向も掴みやすくなるので、そこから本来の仕事の成果であるレコード売り上げやツアー観客動員に確実に繋がり、活動自体が安定・発展できる訳だからねー。

そんな時代のまっただ中・ド直球のメッセージソング「SWEAT & TEARS」を初めてのシングル表題曲としてあえてリリースに踏み切った1986年・夏。
いろんなタイミングが合った、という事も当然あったでしょう。
この手のシングルタイトルをファンが望んでいた、という事もあるし。
シングルリリースや活動が安定して一区切りついた時期でしたがレコードセールス自体は下降気味ではあった事もあり、少し方向性を変えたり刺激が必要だった時期かもしれないし。
当然、TOKYO BAY-AREAへの旗印・プロモーションとして最後の追い込みかける為にもその年のツアー・イベントタイトル曲で盛り上げる意向もあったろうし。
こんな時代だからこそ、というALFEE&PROJECTⅢスタッフとポニーキャニオンスタッフの意見も一致してたのかもしれない。
ALFEEとして「メッセージソング」をリリースするのに絶好のタイミングではあった・・・・のですが。
まだまだラブソングがヒットチャートを圧巻している時代において、それなりの勝算がなければレコード会社が最終的なGO!を出さないと思うんですよねー。
正直ファンの大多数には間違いなく賞賛されるであろう反面、客観的に見ると閉鎖的に写ってしまう危険性もあり。
せっかく食い付き始めている不特定多数のリスナーの興味を失うことにもなりかねないマイナス要素も充分含んでたんですよねー。
目線がファンだけに向いてる、と判断されてしまうと一気に閉塞感は強まるもので。
せっかくここまで広げてきたライブ本数・動員も、あっという間にブレイク以前に戻ってしまう懸念もあったと思うんですよね(もちろん、そうはならない自信はあったろうけども)
それでも「SWEAT & TEARS」リリースに踏み切れた一つの要因として個人的に思っているのが・・・
このリリースから遡ること約10ヶ月、奇しくもALFEEデビュー11周年のその日・1985年8月25日に発売された
HOUND DOG「ff―フォルテッシモ―」
この曲のヒットこそが、「SWEAT & TEARS」のシングルリリースに繋がっただけでなく、現代のJ-POPシーンに根付いた「メッセージソング」に火がついた瞬間だと思ってるんですよねー。

1980年、シングル「嵐の金曜日」でデビューしたHOUND DOG。
「嵐の金曜日」は業界関係者や一部音楽ファンの評価が高かったものの、「ヒット」というほどのセールスには繋がらず停滞、数年後にCMのタイアップがついた「浮気なパレットキャット」も芳しくなく、3人のメンバーの相次ぐ脱退があり解散の危機まで抱えた後、元TWISTの鮫島秀樹などの新メンバーを加え新生HOUND DOGの第一弾アルバム「Spirit」のリードシングルとしてアルバムと同時発売された「ff」。
ライター業であり作詞家でもある松尾由紀夫さんの詞(実はついこの前までこの曲書いたの松井五郎さんだと勘違いしてたわ( ´・ω・`)すまん← )で、基本的には自分がいて相手がいての「愛がすべてさ」と歌うラブソングの形態でありつつ、「拳を固めろ 叩きのめされても」「激しくたかぶる夢を眠らせるな」という言葉と大友康平氏のキャラクターが伴って、強い意志のある周りを巻き込むタイプのメッセージソングとして仕上がっている作品。
今でもHOUND DOG一番の代表曲として君臨しており、その歌の影響力は現代でも強かったりします。
パリダカの映像と「負けるもんか!」のキャッチフレーズと共に流れるカップヌードルのCMや、康平を先頭にファンを引き連れて拳を上げながら河川敷を行進するPVのインパクトを覚えている自分と同じ世代の人は相当多いのではないかと。
当時の多くの人の耳と脳に届いた「ff」、しかしセールス的にはこの曲も大ヒットした、とは言い難く。
その実、オリコン最高位も11位止まりだったりするんですよねー。
駄菓子菓子だがしかし、オリコンチャートTOP20に上がってきたのはなんと発売から数ヶ月後。
この年の年末-翌年初冬辺りまで残り、11位を獲得したのは86年1月下旬という半年に渡るロングヒットだったんですよねー。
長きに渡ってヒットした要因として、タイアップが長いスパンで使ってくれるカップヌードルだったり、アルバム「Spirit」のヒットやこの年の夏の西武球場のライブが結果として伝説的になった事(詳しく書くとただ長くなるだけなので知りたい人はググってくれたまえ←)などいろんな要素が噛み合った結果だとは思いますがー、その中で大きな要因になったと思われるのが
夜ヒットへの出演。
当時まだマイナーな域を脱してはいなかったHOUND DOG、メジャーな音楽番組出演だけでも結構なプロモーション効果があったと思いますが、この出演に関して一つの仕掛けをしており。
PVを見た番組プロデューサーが思いついたのか、福田信・マザーエンタープライズ側が仕掛けて夜ヒット側が乗ったのか定かではないですがー
スタジオにファン500人を動員
ちなみに400人予定だったのが応募が多すぎて500人に増えたという話らしく(人数は多少盛ってる可能性高そうだけどねー)、スタジオにいっぱいに入り込んだファンの中での演奏でした。
当時はまだドAwayであるTVの歌謡界をファンの力を借りて完全なホームにした事により本来の持ち味を余す所なく発揮。
康平は水を得た魚の如く、普段のステージとそう変わりないボーカルとパフォーマンス・カリスマ性でお茶の間を引きつける事に成功。
しかも曲中終始振り上げられる500人のファンの拳の海の中、Aメロド頭から全員が大きな声で歌った為康平のボーカルと同レベルでお茶の間に流れ、この勢いにじっとしてられなかったのか事前に二人で打ち合わせたのかは解りませんがその日の出演者の一組でもあった桑田佳祐が大サビで乱入したのも相まってかなり話題になった出演でした。
当時の音楽リスナー・ロックリスナーに限らずその日番組の光景を見ていた人達にはかなり強いインパクトを与えたのは間違いなく。
当時高三だった自分の周りでも翌日は「昨日の見た?」という話にはなったし、もし当時ツイッターみたいなのがあったら相当な盛り上がりになったと思うんだ( ´・ω・`)
そしてその反響は番組やバンドにも跳ね返る事になり、バブル絶頂期に向かう時代に逆境するように「暑苦しさ」を武器に80年代中盤から後半の時代に根を下ろした人気バンドの一つとして知られる事になる訳です。
また尾崎豊との二枚看板として(尾崎活動休止後は旗頭として)所属事務所・マザーエンタープライズを引っ張り、ロックムーブメントがいよいよ盛り上がる中で同じく所属のTHE STREET SLIDERSやRed Warriorsなどがある程度ブレイク。
一時期は
マザーでなけりゃロックじゃねぇ
ぐらいの勢いで最近映画公開されて話題になったBEAT CHILDや約10年間に渡り8月5.6日に行われた広島ピースコンサート、大晦日のオールナイトイベント・ROCK’N’ROLL BANDなど、様々なロックイベントを仕掛け、HOUND DOGが引っ張る・・・・
言い方を変えればツケを払う(бвб)
という図式で、80年代後半は事務所ひっくるめて時代の旗頭として君臨していますた。
また「ff」のヒットによって、「ロックンロールとバラード」のHOUND DOGから、「恥ずかしいけど愛と夢を歌い上げるのは俺達がやらなきゃ誰がやるんだ」のHOUND DOGへと世間の認識も変化。
自ずとそういう方向性の曲も増え、シングルも「Rocks」「Ambitious」「15の好奇心」など92年発売の「Bridge―あの橋を渡るとき―」までの数年間はかなりの割合でメッセージソングをリリースし続けました。
これにより「愛と夢のメッセージソング/それに答えるような自虐を交えたロックンロール/ロマンティックなバラード」という、この後の時代を支えた
HOUND DOG3つのワンパターン
による楽曲制作の柱が出来上がるのである(๑・ω・๑)@DOG論が目的ではないのでファン魂発揮するのはこのぐらいにしておこう←
もちろん短期間で時代の主役の一組となったのは、デビューしていきなりヒットに恵まれたポッと出のバンドではなく、5年間地道に続けてきたコンサートツアーの地盤があったから。
レコードは売れないけどライブは面白い
と言われ続けた中での一つの自信があったからこそですよね。
またHOUND DOG自体、この「ff」でいきなりメッセージソングを打ち出してきた訳ではなくー。
以前のアルバムに康平自身が作詞した「ラストヒーロー」など、同系統の歌が少なからずあり。
これらも省吾や元春からの影響が端々に垣間見えたりする作品だったりします。
もしかすると、当時のHOUND DOGファンもこの手の曲のシングル化を望んでいたのかもしれないですねー。

前評判が高いデビューが不発、レコードが売れなくてもライブが面白い、地道なライブ活動・・・・
そして、AWAYのTV出演をファンの力を借りてホームにし、お茶の間にインパクトを与えそれを足がかりの一つとしてブレイク・・・・
そう、お気づきの通り事ある毎に
ALFEEと似てんのよね(๑・ω・๑)
夜ヒットの戦法と効果なんか、ベストテン・大阪野外音楽堂の中継の「メリーアン」と同質だよね。
初武道館も同じ83年だったり、ブレイクした歳も同じ29歳だったり。
性質も体質もまったく違うこの二つのバンドに共通する偶然って凄く多く。
その中で偶然ではなく、二つのバンドに共通していた物は
ホール・コンサートツアー
ガンガンTVに出るようになっても大会場を数日満員に出来るようになっても、活動ベースは1500-2000人クラスのホールを回る全国ツアー。
DOGに関してはそれがエスカレートし、足かけ3年間(実質1年4ヶ月)で207本という無茶苦茶なツアーを組まれたりもしましたが(・_・;)
「全国のファンが待つそれぞれの街」に行って歌う事を共通の活動の理念としていた2つの似たものバンド。
いつしか互いのツアースケジュールを見て読めない街の名前を見つけ「勝った負けた」と楽しみながら競いあうような、
自他共に認めるライバルバンド
として存在する80年代後半の時代がありました。
3人と康平には
過剰なサービス精神(๑・ω・๑)
という共通点もあったしね←
ちなみに3人と康平初めての出会いは、3人が売れないフォークグループ、康平が大学で先輩と「コント爆弾」をやっていた頃である(бвб)
普通にライブ活動をしていればなかなか交流もなかったかもしれませんが、DOGのTV露出が増えるにつれ共演する機会も増え親交も深まり、あるツアーの広島の打ち上げ会場でバッタリ出会ってスゴイ事になったなんて逸話もあったりします←
歌番組のひな壇などでは、主に幸ちゃんや桜井さんは鮫島秀樹や橋本章司などと、王子は康平や蓑輪単志などと固まって歓談する姿がよく見られました。
また桜井さんと康平は家がご近所だった事が長く、実は互いを「へーちゃん・まーちゃん」と呼び合うぐらいプライベートでも仲が良かった話もあったりと、ライバルというよりは「ロック」という志を胸に同じ時代を共に闘う戦友としての関係だったんでしょうねー。

さて。。。
本題に戻りますが←@ここまでのほとんどが余談である( ´・ω・`)
後にライバルと言われるようになるバンドが一足先にシングルとしてリリースしたメッセージソング「ff」。
このヒットこそが、「SWEAT & TEARS」リリースにおいてポニーキャニオンに最後の一押しをさせた要因じゃないかな、と自分では思ってるんですよねー。
今の時代、メッセージソングでもある程度のヒットは期待できる
を証明した「ff」
ならば同じような世代に同じような言葉を投げかけるALFEEの曲も、ファンだけでなく一般層に受け入れられる・・・このくらいの目算はあったと思われ。
もちろん「ff」のヒットがなくてもこの時にリリースできていたかもしれないし、もう少し後年にリリースしたかもしれない。
でもこの時代、1986年夏のこのタイミングで「SWEAT & TEARS」をシングルとしてリリース出来たのは、「ff」のヒットと無関係ではないと思うんですよねー(*´ω`*)



ムーブメントの口火を切ったのは多分「ff」、さらにブーストかけたのは「SWEAT & TEARS」じゃないかと思ってますがー、じゃあこの2曲・2バンドが時代の中心だったか、と言われればそうではなくー。
この時代に上手く流れを作った真の立役者がいると思うんですよー。@じゃあここまで何だったんだと突っ込んじゃダメ(๑・ω・๑)
作詞家・松井五郎氏
この人こそムーブメントをリードした真の主役だと思うんですよねー。
松井五郎と聞いて、多分多くの人が思い浮かぶのは安全地帯。
その作品の大多数を作詞し、「6人目の安全地帯」とまで言われてた方。
元々は自信でバンド活動をしていて、ポプコン本戦出場したのをきっかけに作家としてのセンスを買われ、チャゲ&飛鳥の「熱風」で作詞家としてデビュー。
ちなみにこの時の本戦出場者は、後にオメガトライブでデビューする杉山清貴の「きゅーてぃぱんちょす」、スタレビの前身「アレレのレ」、そして優勝したのはクリスタルキングだったという激戦の年
そのまま初期のチャゲアス作品の多くや(「ふたりの愛ランド」も松井さんだったんだなーと初めて把握しますた)、YAMAHA系のシンガーの曲を手がけた後、安全地帯の曲作りに参加を始めた経歴。@ここまでググった
そんな松井さんが安全地帯に書いたシングルの中で、85年にリリースした「悲しみにさよなら」。
玉置浩二の歌声も相まって柔らかい表現に終始している歌ですが、内容は誰かを見守り励ますこの時代のメッセージソングそのもの。
デビュー作の「熱風」もかみ砕けば旅立ちの歌であり、元々メッセージソング的な物が好きでこの手の歌を書きたかった方だったんでしょーねー。
その「悲しみにさよなら」はオリコン1位にもなったヒット曲となり、世間にもそれなりに浸透。
ALFEE、DOGにちょっと先駆けて「メッセージソング」をヒットさせています。
後年、同じく安全地帯に「I LOVE YOUから始めよう」というド直球のメッセージソングも書いており、これもヒットしていますよね。
また先に書いたHOUND DOGのアルバム「Spirit」にも多く参加しており(「ff」を松井さん詞と勘違いしてたのは多分そのせいである)以降も数多く参加し、シングルである「Ambitious」「でっかい太陽」「BRIDGE」といった作品も手がけています。
そして安全地帯やDOGに参加していた事以上に決定的というか、なかなかの縁の下力を発揮してるのが
BOOWYの3rdアルバム「BOOWY」への参加
何曲か参加してる中で、アルバムの代表曲である「Dreamin’」を布袋寅泰氏と共に作詞していますがー。
自分は自分のままありたいと願うソロシンガーの作品のような弾けんばかりの歌詞であり、リスナーをも巻き込む典型的な時代メッセージソングの基礎的な物に仕上がってるんですよね。
1985年に発売したこのアルバムは低迷していたバンドの起死回生作であり、アルバムとこの曲は多くのファンに支持され、結果としてBOOWY大ブレイクの下地を作った作品ですた。
松井さんの作品は、もちろんこれらのメッセージソングだけではなく多岐に渡って書いており多くの名曲を生み出していますがー、ロックやメッセージソングが時代の主流になる時、そのポイントになる曲やアルバムのあちこちに必ず参加してるんですよねー。
こういった流れもあり、時代の立役者は松井さんじゃないかなーと思っているんですよね。
ちなみに松井さん、王子とも関わりがありー。
何処でどう知り合ったのかは知りませんが、王子自身「五郎ちゃん」と呼ぶぐらいの仕事仲間だったよーで。
実は作品にも参加しており、アルバム「GO! GO!BEAT BOYS」における作詞
「L.J.Ferie」は松井さんの事。
4曲書いてくれてるんですねー。
きっといつか一緒に仕事してみような、って話たりしてたのが実現したとか、そんなエピソードとかあるんだろーなー(*´ω`*)←



浜田省吾、佐野元春、HOUND DOG、尾崎豊、松井五郎・・・そして高見沢俊彦。
彼ら以外にもエコーズを率いていた辻仁成や、白井貴子もそうだよね。
少なくないミュージシャンがそれぞれの想いの元導き出した曲達が、結果的にリスナーに同じように響くメッセージソングとして届いた80年代前半から中盤。
何人かが気付き、「乗り越えよう、頑張ろう、諦めない、立ち止まらない・・・」といったあえて言葉にした自分自身とリスナーに投げかけたもの・・・
正直、歌詞に乗せても気恥ずかしさのあるストレートな言葉が当時のティーンエイジ中心に響いたのは、やっぱりその「時代」だったからこそだろうなーと思うんですよねー。
戦争から数十年かけて復興し豊かになり、ある程度の余裕が生まれ軽薄短小な生き方が旬だともてはやされた80年代前半。
それから時代は華やかさや贅沢さを求め「金余り日本」と揶揄されたバブル景気絶頂期に突入。
・・・・
実際、庶民の暮らしはそんな時流とはほど遠かったんだけどねー( ´・ω・`)
しかしTVを始めとする情報が発達したおかげで、情報番組でもドラマでも景気のいい物が流行り、ティーンエイジ達の目には世の中の大人や社会が全てそんな風に映って見えたんですよね。
そこに対する憧れももちろんありましたが、当然ソレはお世辞にも尊敬できるものではなく。
得た富以上に無くした何かがあるのではないか、人としての理想や生き方、人同志の関わりが希薄になってないか・・・・いち早くそんな危惧を覚えた人達も少なくはなく。
そんな中でミュージシャンの一部がその想いを歌にし、生まれたのが
80年代のメッセージソング
なんだと思うんですよね。
そして心の何処かに違和感を抱えていたティーンエイジ達を中心とする層が、メロディに乗って向かってくる言葉に反応し、このムーブメントが生まれたんじゃないか・・・今となってはそんな気がしますねー。
結局は
時代が求めた
という事なんだろーなー。@ここで書きたかったのは結局これである(бвб)



そうやって同時多発的に出てきてそれなりにヒットしたメッセージソング達。
こうなってくるとさすがにレコード会社も気が付く訳で。
人を励ます歌は利益になる
と。
そうなると、ちまたにそんな歌が爆発的に増える訳ですよ。
そんな時代に突入した87年に相次いでデビューしたのがブルーハーツとジュンスカ。
両者ともサウンドや方向性は違えどよりストレートに解りやすくメッセージを打ち出す歌を主流とするバンドであり、両者ともデビュー前からそれなりに話題でデビュー後も瞬く間に人気バンドになりました。
これもリスナーが求めてたからこそなんだろーねー。
こうなってくるとレコード会社もミュージシャンやシンガー、作詞家などにその手の歌を書かせようとし始めていただろうし、またその手の歌を作る若いバンドも各社発掘しはじめ、もうブーム的になってたよね。
逆にメッセージソングがスタンダード的になってしまった時期。
この頃になると旬のトップアイドルもメッセージ性のある楽曲を宛われたりしてましたよね。
時代がそうなると、逆にそうじゃない物やラブソング・メッセージソングとは違う目線で歌を書くバンドも注目され、若手バンドもどうにかして目立ってやろうとあの手この手で模索し
世に言うバンドブームの到来に繋がる訳ですよ。
そんな時代、先駆者達はいうと・・・
省吾や元春は80年代半ば辺りには既に歌テーマや言葉の選び方など方向性を変えていたり、王子にしたって多くのバンドが一挙して出てきた時代には「終わりなきメッセージ」に代表されるような自己を振り返る作品を多く書くようになってました。
同じ方向の歌がちまたに溢れると、励ましの言葉も軽くなり届かなくなってくる。
決してそれぞれのシンガーや作詞家が流行ってるからとか金になるからとかの理由で書いてた訳じゃないんだろうけどねー。
やっぱり「このままじゃダメだ、何かが違う」と気付く人は気付いたんだろーねー。

迎えたバンドブームもしばらくして去り、ダンスミュージックがもてはやされた時を得て多様化する現代に突入する訳ですがー。
当時生まれたメッセージソングの形態は今もJ-POPにおける歌詞の主流の一つとして生き続けてますよね。
時代を遡れば、ブームの源流にALFEEあり(๑・ω・๑)
そしてここでも
決して主役ではない
ここに芸能世界を生き残るポイントがあるんだろうなーと思わずにはいられない今日この頃←
王子も結局はこの手の曲を、むしろ当時以上にストレートに書きつづけているしねー。
メッセージソングも結局は人間愛のラブソング。
人が人として生きていく上で必要なぬくもりなのかもしれないですね。



SWEAT & TEARS」が生まれた1986年はそんな時代でした。
こんなヨタ話を頭の片隅に入れて次回からアップ予定のこの曲を楽しんで頂ければ。
・・・・
週末にアップする部分だけでも書き終わるかなー?( ´・ω・`)←


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待ってました!!!
この曲まであと何年かかるだろう、気長に待とうと思ってましたが、嬉しいです。
続きを楽しみにしています!
aaaさん、いらしゃいませー。

とりあえず、とっかかりは間に合いました←
年末までには終わらせます←←←











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プロフィール

あっちゃん♪

Author:あっちゃん♪
twitter ID:@venusofrock



ALFEEファンの皆様、よーこそ!
訪問ありがとーございます♪
15の時にALFEEと出会って以来、四半世紀以上のお付き合いの石川在住・一ファンですv(。・・。)イエッ♪
大まかには各楽曲に絞ったあれこれを書いてます。
また楽器の事やライブの事もっ。
お気に召しましたら、コメント等頂けたら幸いです。

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