ANOTHER WAY ~ THE ALFEE'S SONG,LIVE,GUITAR ~ 私設研究所

Happy 40th Anniversary for THE ALFEE!! 【長年愛用していたパソコンが逝ってしまったので、現在投稿が滞っております。スマホに馴れるか、おにゅうのPC買うかしたら続き始めますので、しばらく御容赦を】

 
--年--月--日

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続きー


こうしてヒットした「星空のディスタンス」ですがー、ヒットした事により
もの凄く地味に・・・じーみーにー(๑・ω・๑)@大事な事なので2k(ry
日本の音楽界に変化をもたらした事柄が多く。
歌謡界の変化については前投稿「1984年という時代」で書いてますがー、もう一つ。
前でもチラッと触れましたが
ハードロックを一般化させた事
だと思うのよね(бвб)
誤解を恐れずもっと突っ込んで言うと、メタルサウンドのテイストだよね。
これがホント地味にだけど(笑)なかなかの偉業だと思ってる。@全く評価されてないけど
もちろんツイストに代表されるように、ハードロックのテイストだったりサウンドだったりをTV世界に持ち込んだバンドはいたし、当然の事ながら欧米では確立されてたサウンド。
しかし日本という国において、大衆・TVの世界に持ち込んでお茶の間で一般化させたのは「星空のディスタンス」が最初だと思うんですよねー。
84年当時、日本のバンドでのHR/HMシーンというのは、それなりに盛り上がってはいますた。
特に関西が熱かったのかな?
ラウドネスを始めアースシェイカー、44マグナム、VOWWOW等、それなりに人気・地位を確立しているバンドも少なくなく、野外イベントやスコーピオンズ、MSGといったグループをゲストに迎え行われるスタジアムクラスのオムニバスイベントなどもあったし。
その人気は特にアマチュアバンド中心に盛況だった印象。
小さなコンクールとかオムニバスイベントとか割と頻繁にあって、例えばそっちに特化したイベントじゃなくても出場バンド10組中5組がラウドネス、3組がアースシェイカーのコピーとか珍しくはなかった。@金沢だけかもしらんが
俺もよく見に行ったわー。
さすがに「Milky Way」が3バンド続いた時は笑ったヨ(T∇T)
雑誌メディアもそっちに特化してる物が結構あったりしましたよね。
俺がシンプジャーナルとかGB買ってる時に、友人達はヤングギターだったりロッキンFだったりを読んでるヤツが多かったり。
そしてHR/HMシーン人気バンドの予備軍がけっこういたり、ラフィンノーズに代表されるパンクシーン、有頂天などのニューウェイブ系などが一緒くたになって
自主制作-インディーズシーンが盛り上がり始めてたのもこの頃。
そう、インディーズという言葉が世に出だしたのはこの頃だよねー。
その波からインディーズのメジャー化やバンドのメジャーデビューが相次ぎ、最終的にイカ天に結びつくのはもう少し後の時代ですがー。
何にしろロック・ニューミュージックに限らず「新しい音楽」を求める若者の熱がマニア層だけではない所まで高まり出した時代ではありましたよね。

HR/HMに話を戻してー。
そうした盛り上がりはあったし、実はNHKなどは若者のムーブメントに反応してオムニバスライブなども放送したりもしていたんですがー、それがファン以外のお茶の間のまで届くことはなく。
ハッキリ言って、まだマニア向けの小さなマーケットでしかなかったんですよねー。
それはミュージシャン側があまり歌謡の世界に切り込んでメジャーになりたいという願望がなかった・・・というより、その世界の関係者やファンに歓迎されなかったし歌謡の世界も受け入れなかった、ってのが正しいのかな?
インディーズならまだしも、売れたい願望がないってメジャーデビューしてるならありえないよね(^_^;)
実際ラウドネスの前身であるレイジーなどはソコにまず入り込んで、売れてなんとかハードロックに方向転換したものの解散してラウドネス結成に至った歴史もある訳で。
BOWWOW(VOWWOW)なんかはそのシーンの老舗バンドとして君臨してたけどやはりコレ!といったブレイクは出来なかったですよねー。
そうした活動って、まずどっかで行き詰まるとは思うんだけどー、彼らの多くが歌謡のメジャー以外で追った物は欧米進出。
後年のラウドネスのようになんとか根を下ろして活動できた例は稀だけど、どのバンドもテクニックがあった分海外のライブハウスツアーなんかは割合盛況だったようで。
やる側からすればマーケットが大きく浸透している分、日本でやってるよりは肌で盛り上がりを感じられたのかもしれないですねー。
そういった歴史や背景もあってか、当時はある意味閉鎖的な世界ではあったかもしれないですねー。
後個人的に思ってるのは、この時代の日本のハードロックやメタル、それぞれにテクニック面で秀でてたりしたのでそこそこサウンドもいいしメロディもステキなものはあった。
しかし。。。詞のクオリティがねぇ(-_-;)
割り切って全部英語にしてたバンドはいいとして、あくまで日本語で活動してたバンドは軒並作詞面で苦戦していた印象。
ネガティブすぎたりサウンドイメージのままおどろおどろしかったり、エンターテイメントとしてはあまりに稚拙だったんだよねー@あくまで個人的主観だけど
その辺も一般に受け入れられなかった要因の印象はありますねー。

HR/HMシーンの側は国内なんかより世界、歌謡界はそんなサウンドが売れるわけないという、両者の間で高い壁が存在していたのが1983年辺りまで。
ところが、その壁をひょいと飛び越え・・・というより何処かにに抜け道があったんでしょうねー(笑)
そんなサウンドテイストを取り入れて、しれっとスマッシュヒットになっちゃったのが「メリーアン」@さぁ本題だ( *`ω´)
そして続いてビッグヒット出しちゃったのがこの「星空のディスタンス」な訳ですよ(๑・ω・๑)
特にディスタンスはイントロから間奏、歌バッキングに至るまで完全なハードロックの美学に沿ったサウンドアレンジ。
それが何故お茶の間に支持されたのかというと、歌謡曲の美味しい所をしっかり取り入れたメロディとお茶の間層にもアピール出来る桜井さんのボーカルの質、そしてツボを押さえた分かりやすくもありしっかり構成された詩だと思うんですよねー。
この3点を基本に、全体を演出する手法としてハードロックのアレンジを選んだ曲作りなっていたため、ハードでうるさいながらも曲そのものは
華やかな印象
になってたんだと思うのよ(бвб)
また後奏において、当時HR/HMシーンで速弾きと並んでメジャーなテクニックだったライトハンドを使ったりし、毎週TVに出ていて話題も少なくなる分ソコが話のネタにされる事があったため、多少偏ってはいるけどお茶の間にハードロックの興味を深める役割の一旦を担ったと思われ。
このヒットにより何が解ったかというと
ハードロックもやりようによってはお茶の間に受ける
という事。
これがねー、ホントに地味だし評価もされてないんだけど、後々大きな事件だったと思うのよー。

ただ、当時のHR/HMシーン(というかファンや評論家)からは結構嫌われたよね(๑・ω・๑)
確かにハードロックの魂みたいな所までは入れ込まず、サウンドだけを羽織ってるから辛い批評も一理あるんだけどさー。
それだけある種閉鎖的な社会だったという証拠でもあるんだけど、風当たりはそれなりに強かったよなーという記憶。
特に王子は、当時おせじにもギターが上手い訳じゃなかったしミストーンも多かった分、その対象であったよね。
大体が、ライトハンドと言うとギター某にタッピングだろ!とリアルに空気の読めないマジレスされた事は多々あるのである( ´・ω・`)
呼び方なんかどーでもええわ←
しかも王子の場合は10本指使う訳じゃなく、ホントに右手人差し指でピロピロするだけだったので「ライトハンド」で間違っちゃないんだけどな(-∀-`)
何にしても余計なお世話だおね。
だいたいが
ALFEEはHR/HMバンドではないしなー(бвб)←
というか何処にも属さない@ここが強みでもあり弱みでもある訳だが
まぁ、こうしたそのシーンの評価しない風潮はあったんだけどー・・・であっても、リスナーである中高生にとってはTVの影響はかなり大きく。
なんだかんだいいながら隠れて「星空のディスタンス」をコピーしていたバンド・ギタリストは相当多いのである@えっへん
それだけあのイントロのリフは魅力的であり、ギタリストの触手を動かすんだよねー。
むしろ、ギターが弾けてあのイントロ弾いた事ないヤツに会った事ねーわ。
90年代以降にデビューしたバンドやセッションギタリストの中にも「星空のディスタンス」に影響を受けた人が少なくないしねー。
それだけバンドを志す人やこれで演者としての音楽に目覚めた人が多く、時代の大きなポイントではあったよね。
そしてシーン全体にも後々影響はあった・・・というか芸能界が学習し許容した、と言う方が正確なのかな?
次第にそのシーンの先駆者・VOWWOWやラウドネス、アースシェイカーなどが歌番組に呼ばれたり、HR/HMサウンドのバンドに歌謡の世界でもしっかり映える曲作り・作詞の方法をメジャーのレコード会社、芸能事務所が伝授・制作協力し、結果的に聖飢魔ⅡやSHOW-YAといったメジャーヒットするHR/HMバンドが生まれた訳でつよ。
浜田麻里さんなんかも上手く時流に乗ったよね。
そのサウンドは後期のTMやBz、また織田哲郎さんがプロデュースしたバンドなどから発祥したビーイング系によって歌謡やユーロのスタイルと完全融合した音楽が誕生したりして枝葉は多岐に渡り今に至るのである。
HR/HMメジャー化への最初の橋渡しを担ったのも、「星空のディスタンス」「メリーアン」が存在したから・・・という歴史もファンの手前味噌ながら貢献してるよね、と自負するのでつよ(бвб)
結局何が言いたいかというと
おまいら、もっと誉めろ(๑・ω・๑)←



【シングルジャケットに突っ込もうのコーナー】
「PAGE ONE」のアナログ盤をお持ちの方は解ると思うんですがー、これ同じ人が撮影&デザインしてんのかなー?
構図・画像処理の雰囲気が同じなんだよねー。
まぁ衣装以外で
賢が微動だにしてないのはデフォとして[ゝ■ハ■]
なんなら同じ日に撮影してんじゃね?とか思ったんだけどー、幸ちゃんの髪型が若干変化あるよーな気もするので、別日なのかな?
それ以外で特筆する事はないんだけどさー( ´・ω・`)@つまんね
しいて言えば、王子が長い歴史の中でこの頃しか味わえなかったマッシュルームカット風であるとか、幸ちゃんが武道館前に切った髪型から放射状に上に伸びてて収拾がつかなくなりそうになってるぐらい?@いやたいした事だわ(笑)
ただ「メリーアン」から「星空のディスタンス」の間で大きな変化は見てとれますよね。
そう、スタイリストさんが用意した衣装である(๑・ω・๑)
自前じゃないんだー、自前じゃないんだー、わーいわーい(棒←
暁パラ」「メリーアン」とも高低差に耳k(ry
この統一感・小綺麗感の違いは半端ねぇー!\(T∇T)/
モデルの質はこの際目をつむってー、全然シャレオツになってるおね。
売れるってステキ( ;ω;)
ジャケットのクオリティは間違いなく数ランクあがったよね。



ザ・ベストテン、歌のトップテン、夜ヒット・・・当時メジャー所な番組は相当出演しましたよねー。
最初の夜ヒットが年明けすぐでベストテンの最終ランクインがGW中、丸4ヶ月間この曲でTVに出続けた訳で。
5月の半ばにはもう「Starship」のプロモーションが始まってた訳だから、84年上半期は相当TVで見た記憶濃いよね。
ハードALFEEのイメージ戦略、路線を決めたからには曲だけではなくこの曲でTV出演する際、特に前半のプロモーション期間においてはビジュアル面でも戦略を立てて望んでました。
メリーアン」の時はそれぞれスーツ/カジュアル/ロック&フォーマルといった形で色もバラバラ、それぞれのキャラクターの違いをそのまま出していましたがー、この曲に置いては色は基本黒系統で統一。
形的にもメタルジャケット(BLACKで購入したと思われる・笑)ノースリーブのTシャツ、下はブラックジーンズやビニールレザー系、桜井さんと王子は何処かしらにヒカリモノを付けるという徹底ぶり。
スーツやジャケットにしても濃いグレーの同じ色味を着用。
また王子と桜井さんは持つ楽器もなるべく徹底。
王子はESPのStarモデル@X型のヤーツ。
今となっては可愛いもんだけど、当時はかなり話題にはなったよね。
前半ほぼコレだったけど、後半になってくるとTAKAMIZAWA-CUSTOMばっかになりましたよねー。
Starはあまり完成度が宜しくなかったみたいのと、王子用として作られた物ではなかった(真意は定かではない)という話もあるため、ネックの握りがフィットしなかったのかも?
しかしながら、イメージ付けという所では一応の成功だった気がするー。
そして桜井さんは水色のRANDOM-STAR BASS
もう当時リアルタイムで体験してるファンにとっては、「星空のディスタンス」と言えばコレだよね。
後に黒に塗り替えられたけど、やはり水色の方が印象深いわー。
黒、ヒカリモノ、変形ギター&ベース、ハードロックといったイメージ付けに終始した事&それがロングヒットになった事で、ハードALFEEのイメージは浸透しましたよねー。

いろいろ出演した中で、主に顔を売ったのはやはりベストテン番組。
2月~3月の上旬はツアーのない期間という事もあり、直接スタジオ(トップテンは渋公)に出演して司会者としっかりトークしたり共演者と親交を深めたりもできたよーで。
また歌では、今やベストテンの伝説となっている
山田修爾さんの意味不明演出
の洗礼も受けていたり(笑)@消えたり、アメフトの人が出てきたりいろいろと(ry
3月後半になってくるとツアーに突入、しかし未だランキングに入っていたため、ツアー先からの中継が主になりー。
ベストテンではかなり長く上位に位置していた為、9時台後半ではさすがにライブ中断して歌う事もできず、移動して野外に場所を確保してもらい歌うこともあったり。
また3月4月と2度に渡った長期間の九州ツアー(この頃のツアースケジュールすげいわ(・_・;))の最中では、ライブ中はもちろん移動日でさえも場所用意して貰って、なるべく生で出演していますた。
熊本城の前で、演奏前に西瓜食わされて手ベタベタになりながらギター弾かざるおえなかったのが印象強い想いで(笑)
古い映像見返したら、王子幸二が丁度30歳になる中日・16日にも九州のツアー先から出演してたり。
あの頃の九州のお客さん、何度もTV出演に遭遇した人多かったろうなぁー。

中でもファンの一番記憶に濃いのはやっぱ
ザ・ベストテンの1位!
歌謡界の中で解りやすい数字の記録としての足跡残せた最初だから特にねー。
この1位になるまでは一旦見えかけた所で順位が落ちたりといろいろありー、晴れて1位を奪取したのは3月15日。
実に発売から約2ヶ月後の事でした。
2ヶ月間、そしてそれ以上の期間ベストテンに顔出してたんだから、今となっては信じがたい出来事だったよね(・_・;)
これを支えた当時のファンのパワーたるや
ゲリラ戦超強ぇー(๑・ω・๑)
この1位を取る前週、2位で番組に出演した時に、1位になったら何をしたい?(当時1位を取ると願い事を叶えてくれる慣例アリ)と聞かれた際、
いやー、さすがにないっすよ(^_^;)と謙遜&10年間そんな華々しい所に昇った事がなかったが為の本気のネガティブを発しつつ、
番組でフルコーラス歌わせて欲しい
と要求。
一見、ファン想いだなー、ミュージシャンらしい意見だなー、他に解りやすくハデな事ないんかなー、などと思う地味な要求ですがー・・・・
1時間、実質45分ぐらいの時間の中で最大10組(スポットライト入れて11組)を歌わせなきゃいけない時間配分の中、
尺が欲しいという大胆要求
だった訳でつよ。
これにはさすがにスタッフも緊張感漂ったろうねー(^_^;)
内心「1位になるのは勘弁・・・」ぐらいには思った事だろう(бвб)
そんなベストテンスタッフの不安は的中する事になってしまいー( ´・ω・`)翌週、ついに1位を奪取!
さぁフルコーラス、どうしたかと言うとー。。。
通常のワンハーフをまず歌ってもらい、2番はCMを挟んでエンディング中に歌って貰うという苦肉の策で納得して貰った模様(笑)
当時録画した映像はCM前までしか撮れてなかったんだけどー( ´・ω・`)、確か結局エンディングも最後まで入りきらなかったよね?
本編も後奏の最後でCM入っちゃった記憶。
なかなかのドタバタ&放送事故でしたがー、当時のベストテンではさほど珍しい事でもなく←
特に問題にもなる事はなかったよーで。
だいたいがALFEEだけでもそれ以上の放送事故結構あるもんなー(-∀-`)
ファン的にはある意味、この程度事故の内にも入らんよ、ぐらいの馴れはあったおね(・Θ・)

この1位の出演中のエピソードは他にも多々ありー。
まずは1位記念で貰ったプレゼント。
総桐(らしい・すげい)で作られた箪笥・・・星形のね。
星空のディス「タンス」(箪笥)←って、やかましいわ
3人もさすがに腰砕けたよね(笑)
しかし小さかったけど作りはなかなかのもん。
TVで見ただけだけど、発注からかなり時間かけて出来てるんじゃねーかなー?
1位になる事見越して発注かけてくれてたのかすら(бвб)・・・もし1位逃してたとなると。。。おぉ。。。
この程度のダジャレにかけたTBSの労力・資金力よ(๑・ω・๑)
そしてこの箪笥よりファンを最大に騒然とさせたのは
特別衣装(бвб)
多分「星」がテーマという事もあり、宇宙・・・そーだ宇宙人だ!という
安易な発想
から出たんだと思うんだけどね( ´・ω・`)
3人色違いのラメのパンツに、サテンのマフラー、上半身シースルー・ベースで装飾が施された共通の上着を着込んで登場してきた訳ですがー・・・
まーこれが安っぽいのなんのって orz
箪笥作る金あったら、何故こっちに回らなかったんだと当時のTBSスタッフを正座させて問いつめたいレベル( ´・ω・`)
決めに行って裏目に陥る、典型的なパターンである。
まぁ衣装自体はALFEE側で用意したもんかも知れんがー←
なんせファンであっても軽く引くレベルだっただけに、一般視聴者は
(бвб)。OOこのおっさん達正気?
ぐらいの冷ややかな目線はあったろうなー。
しかし、長年の経験&コケルのは馴れているだけにー、転んでもただでは起きないバイタリティもあり。
この後のFlying Away春ツアーに置いてこの衣装をそのまま使う事により、アンコールの盛り上げているのである。

何故か「ラジカル・ティーンエイジャー」だったけどな(๑・ω・๑)
何故よりによってこの曲で着たのか、こいつらを正座させて小一時間(ry

衣装と並んでセットも宇宙をイメージし、個別に用意された球体の枠の中に入り、枠に電飾仕込んで惑星に見せる演出などもあった中、王子個人にも演出がありー。
当時のSF映画などにおける最先端(だったのか?)の特殊メイク(当時はSFX技術などと呼ばれた物)を使った演出。
王子の髪の毛の脇からミスタースポックを彷彿させる尖った耳を途中でニョキニョキと出現させる演出を施していた訳です・・・が!
多分、どっかでスイッチ入れたら仕込んだ耳にゆっくり空気が入り込んでそそり立つ仕組みだったんだと思うんだけどさー。
・・・きっとロクにリハやらなかったんだろうなぁー( ´・ω・`)
本番、何故か片方しか耳が出てこず、時間差でようやくもう片方が出てくるというなんとも解りにくい微妙な空気を生んでしまいー。
見ている視聴者からすれば
お。。。。おう。。。。(・_・;)
と、モヤっとした感じに映ってしまった、ある意味TVとして一番起こっちゃ行けない大失敗もありますたー(笑)
なかなかカオスで、ある意味ALFEEらしさ満点の初の栄冠だったおね(бвб)

この年、ザ・ベストテンにおける「星空のディスタンス」は週間1位だけではなく、
上半期総合2位、年間総合4位にも輝きました。
年間ベストテンの日は翌日ツアーファイナルの大阪城ホール2Daysを控えた日。
この出演の為、わざわざ大阪郵便貯金ホールを借り切って機材運び込んでファンの前で一緒にお祝いをしたり、という中継もありますた。
あのファンはマニアで募集してたんだろーねー、きっと。
後年・・・特に21世紀入ってからだよね、過去のヒット曲を取り扱う特番や番組が増えてきた事によって、不動の代表曲として年間1、2回はTVで歌う事も増えてきておりー。
中でもLOVELOVE・堂本で競演が長いKINKI KIDSを始めとして、若い世代のアイドル等が敬意を払って一緒にコラボしてくれるのはありがたい事だよね。
嵐の二宮くん、関ジャニ∞の錦戸くん、この前のFNSでの氷川くんなんかが記憶に新しい所ですよねー。
TVの世界でも、世代を超えて愛され始めている曲になってきてますよね。



ハードALFEE戦略の中、ただ一つ犠牲になりかけていたものは、やはり幸ちゃんの生ギター。
シングルに限ってはイメージ戦略を優先しAcoustic ALFEEを短期間棚上げした形となりました。
まぁ「星空のディスタンス」に関してはそれなりにサウンドスパイスにはなっているんだけどねー、無くても成立はするもんね。
TV見てる人に取っては、「真ん中の人何やってんの」状態でしたがー、そんな中で幸ちゃんは若干毛色の違う仕事をしており。
というのもこの時期、各ギターメーカーからエレアコのモニター契約依頼が絶えなかったんだとか。
ちなみにモニター契約とは、製品・試作品を無償で提供する代わりに、それを宣伝・販促して下しねというお願いに近い契約。@ざっくりとなので多少解釈は間違ってるかもしれない←
ギターなど楽器の場合は、プロミュージシャンに無償提供する代わりに、ステージやTVで使ってみて下さいねー、という事になると思いますがー。
当時は人気急上昇中で年間数多くのライブがある&TVに進んで出るバンドという事もあって、幸ちゃんに限らず3人にはいろんなメーカーが接触してたよーで。
正直ライブで使ってもらうのもありがたいでしょうが、TVで1、2度使ってもらうだけでも販促効果大きいもんねー。
メリーアン」でTV沢山出てたし、増して他のバンドと比べても歌と演奏を同時にこなしてフロント横並びな訳だから、その効果は計り知れずー。
ここぞとばかりに多くの国内屈指のメーカーがお願いに来ていた模様。
84年に関しては王子なんかはかなりいろんなメーカーのギターを使っていて、中には1回ライブやTVで見た限り何処にいったんだろう?という物も多かったりしました。
アリアプロなんかは82年からすでにモニターとして絡んでいたようで、所沢で使用したギターの多くはアリア側から用意されたもの、という事もあったり。
そこは幸ちゃんも然り、なんですがー、実はモニターと同時に
実戦開発プレイヤーとしても注目されていたようです。

当時はまだ登場して間もなかったエレアコ。
マイクの前から離れてステージを所狭しと動き回れるようになった反面、ボディが共鳴して音を出すアコースティックギターの特長を如何にして殺さず・そしてハウリングを興さずという相反するバランスをどう取るかの難題を抱えていた頃。
従来の生ギターに内蔵マイクを付けただけ・という仕様では、Acousticアンサンブルや1人だけのステージならまだしも、バンドの音圧の中で生かそうとするとすぐにハウリングをおこしまって使えねぇー、じゃーハウリングをおこさないようにボディ板を厚くすると当然ギターが鳴ならねぇ・使えねぇと不評になっていたので、エレアコの開発者は難しい問題に頭抱えてたんですよねー。
83、84年当時のALFEEは
日本で一番うるさいバンド
との異名もあったぐらい爆音のライブを繰り広げていてた頃。
ギター、ベースはマーシャルアンプフルボリュームで4発づつ鳴らす鬼畜の所業( ´・ω・`)
そんな大音量の音圧が支配するステージではハウって当たり前のAcousticギター(エレアコ)を生かす事に拘り、しかもそれをステージのど真ん中で探求しながら実践しているチャレンジャー・坂崎幸之助当時29歳。
20代にして仙人のような男である(-∀-`)
繊細さと相反する環境で、当時まだそれほど知られていなかったマイク付のAcousticギター・エレアコをを弾く人気急上昇中のギタリスト。
使って貰うことによりエレアコの注目度は上がるし、他のミュージシャンにに比べて問題点・改善点のフィードバックは桁違い。
これはもう販促の営業さんのみならず、エレアコを開発・製造をしているギターメーカーにとっては
格好の実験台な訳ですよ(бвб)
大音量の中でハウらず・鳴りを殺さないエレアコを開発できれば他メーカーから一気に抜きに出る事も可能だったおね。
きっと、独占的に契約を結びたがるメーカーも多かったと思われ。
それもあって多くのメーカーがかなり熱心に接触をかけていたよーで。

メリーアン」当時、幸ちゃんがメインで使っていたのはTakamineのPT-118
このギターはモニターというより、売れない頃からずっと使ってくれていたPT-206(コイツは自腹)に対するお礼的意味も込めた無償提供だったらしいのですがー@この情報関してはこれを書いてる時に、多分メーカーの元営業さんっぽい方のサイトを発見、その中に幸ちゃんであろうと思われるエピソードがありますた。
この他、サブ的に前出のPT-206、王子同様モニター契約であろうアリアプロのエレコード、そして今では幸ちゃんの良き開発パートナー・テリー中本さんが手がけたYAMAHA XS-56、といったラインナップ。
このうち、YAMAHAとアリアのエレアコの考え方・作り方はまったく逆方向であったと思われ。
当時のYAMAHAは、既存のラインナップをエレアコ仕様にしていただけに、あくまで生ギターベースのエレアコを作っていた印象。
だから音はいい分、今のALFEEのステージでの使い勝手は・・・という感じだったのかも。
対してアリアはエレキメーカーとしての感覚で作ってたっぽいですよねー。
実は高校の先輩が持ってて弾かせて貰った事もあるんですがー、やはりボディの板の厚みが相当あったおね。
ハウににくい事を前提に考えてた感じですねー。
そしてTakamineは、出発はYAMAHAと同じような考え方からハウリング対策としてボディに厚みを持たせる方向で制作されてた頃なのかなー?
その中でPT-118をメインに使っていたのは、大音量の中でもそこそこ耐える作りだったり、エレアコ導入時から使って来たメーカーだけに使い勝手も良かったんだろうと思われ。
また実際自分が持っている感想で言えば、エレアコだけに鳴る訳じゃないけど独特角のない丸みのあるいい音するんだよねー。
ボディが小さい事での使い勝手の良さや、ハードALFEEのイメージを損なう事のない独特の見てくれ・カラーリングも良かったんだろうねー。
また売れかけた時期に無償で提供して貰った恩義もあったろうしね。
ベストテン番組の常連となった頃からこの曲発売の時期、すでに付き合いのあるメーカーはもちろん、ここに新規参入したいメーカーとか、結構入り乱れてたんだろうなぁーとは推測でき( ´・ω・`)
きっと中には断ったり、とりあえず1本だけでもと手渡されたまま表舞台では使うことの無かったメーカーも多いと思われ。
幸ちゃんの所有ラインナップの中に、コレ使ってるの見たことねーわってエレアコが何本かあり、その中には生ギター分野ではYAMAHAのライバル関係にあるモーリスのエレアコまであったりします。
これももしかしたらこの時期に営業さんが置いてった物なのかなー?とかいろいろ妄想は膨らむおね(бвб)
この曲でTVに出始めた時期では何度かTOKAIの黒いエレアコを番組で使っていた事もあり、これなんかは営業さんが頼み込んで置いてったもんなんだろうねー(^_^;)
少し後になると、Ovationなども使い始めていて、これもきっと日本の代理店の人が持ってきてたのかな?という気が。
Ovationは、この分野では先駆者なのとカーボン素材をボディに使った独特の考え方で作られているのもあり、ハウリング対策と生音の関係に置いても一歩進んでおり。
幸ちゃんが求めるエレアコの理想では無かった気はするけど、この時期のALFEEのステージでは使い勝手も良かったのか、割とその後数年間は数モデル使ってましたよね。

そういった状況の中、この曲からTV、ステージと幸ちゃんが頻繁に抱えるようになったのがテリーさんが手がけたYAMAHA CWE-58
いろんなミュージシャンからの課題・要望を取り入れ開発した、YAMAHAが手がけたエレアコ専用シリーズの最初(になるのかな?)
開発には、幸ちゃんからの意見も取り入れられていたようで。
この年から市販されたシリーズ製品とはいえ、そこは物量・サービス体勢共に他を凌駕する大企業のYAMAHA(笑)@先ほど触れた某メーカーの元営業さんのサイトには、ALFEE(と思われる書き方をしている)が売れ出した頃のある日の幸ちゃん(と思われる人)の楽屋を訪ねたら、Y社のギターが20本ほど並べられていて愕然とした、的な話が書いてありますた( ´・ω・`)
各ミュージシャン個別の拘りに応じたカスタム(というよりベースの型以外は材質・デザインも替える一品物)であり、幸ちゃんに渡された物もそんな1本だったそーです。
当時すでにギター職人として数多くのプレイヤーから信頼されていたテリーさん、そして大企業ながらなるべく痒い所まで手が届くようなバックアップ体勢が敷かれたYAMAHAは、やはり幸ちゃんにとっても魅力的だったんだろうなー。
幸ちゃんにとってはステージで使う理想のギターを作ってくれる提供者として、テリーさん(YAMAHA)にとってはより多くの情報をフィードバックしてくれる実戦開発プレイヤーとしての利害関係が一致。
互いの相性も良かったのか、このギターからこのコンビが誕生。
後にYAMAHAのベストセラーになるAPXやテリーさんの独立を経た後VGとのトリプルコラボレーションにより誕生した現在のTSKシリーズなど、エレアコの名機が続々誕生する訳ですよ(๑・ω・๑)
この時期の幸ちゃんは目立たない中実戦開発の分野でエレアコの進化に貢献し、後の発展を担う立役者としての案外大事な仕事をしてたんですよねー。
地味にね・・・じーみーにーねー(бвб)
YAMAHAとの関係が出来上がったとはいえ、幸ちゃんからの要望だったのかYAMAHAの余裕から来る配慮だったのか解らないけど、どーやら専属契約みたいな縛りの多いものではなかったよーで。
チラッと使ったTOKAI、Ovationはもちろん、引き続きTakamineも半メイン的に使用していますた。
“使えるギター”である事はもちろん、CWEのバックアップ的な意味も含め、それこそTakamineに対する恩義もあったんだろうなぁ(*´ω`*)
こういった各ギターメーカーの協力もあり
ハードロックの真ん中で生ギターを弾く幸ちゃん
という独特のバンドスタイル・イメージが守られた事も結構重要。
おかげで唯一無二・孤高のバンドとして他に侵される事がなかった故に迎えられた40周年だよなぁー、と思う訳ですよ(бвб)
音楽を創り出す業界全てに支えられてきたんだなーと、今となっては感謝ですよね。


続くー



星空のディスタンス
作詞:高見沢俊彦/高橋研
作曲:高見沢俊彦
編曲:ALFEE
シングル「星空のディスタンス」(1984年・オリジナル)
アルバム「THE RENAISSANCE」(1984年・long ver.)
アルバム「ONE NIGHT DREAMS」(1987年・live)
アルバム「THE BEST」(1991年・re.take)
アルバム「LIVE IN PROGRESS」(1995年・live)
アルバム「HIT SINGLE COLLECTION 37」(2004年・re.take)
アルバム「STARTING OVER」(2006年・re.take)
アルバム「ALFEE GET REQUESTS!」(2012年・re.take)収録


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こんばんは。

気になったのですが、『星空のディスタンスが今なお越えられぬ最高傑作』とは、いつ発言されたものなのでしょう?

最高傑作についてはnext one と言う事が多いと思うので… ちょっと気になりました。
ガブリエルさん、いらっしゃいませー

近年、ディスタンスの話になると結構話してますよー。
一番解りやすい明言だと、35周年の時の、新潟の音楽雑誌「cast」のロングインタビューで「アレを超えた楽曲は未だにない」とハッキリと。
それだけいろんな要素が絡んだからこそだとは思いますけどねー。

ALFEEがHR/HMテイストをお茶の間のヒット曲に盛り込んだ最初のアーティスト、というのは面白い視点ですね!
言われてみれば、なるほどです。

HR/HMと大衆性をうまくミックスした「歌謡ロック」の代表がアン・ルイスだと私は思っているのですが、「ディスタンス」の方が数年早かったですね。

ただおっしゃるようにALFEEはもともとHR/HMバンドじゃなかったし、その後の「STARSHIP」「ぺイヴメント」「シンデレラ」「ソフィア」「風曜日」のシングル路線で、世間的にはロックなのか歌謡曲なのかよくわからない中途半端なイメージを与えてしまったのが、個人的には残念です。

まあ独自の立ち位置とファンを獲得したといえば、それはそうなんですけどね。
東京ヒルトンさん、いらっしゃいませー。

あぁ、アンさんまったく頭になかったわ( ´・ω・`)←
そうですねー、六本木心中はディスタンスと同時期ですもんね。
売れるのに時間かかったけど。
でもラ・セゾンはもう少し早いのか。。。。
確かにアンさんも歌謡にハードロック持ち込んだ先駆者ですよね。
ここ踏まえて書いたらもっと面白く書けたなー。。。と思ったけどまぁいいや(๑・ω・๑)

「ペイヴメント」からソフトランディングしていろんな方向に振ったのは「生ギター」という特殊性があっただけに良かったと思いますよー。
元々持ってたもんを進化させただけですが。
ハード路線、後4作とか続けてたら消えてた可能性大。
日本という、これまた特殊事情の音楽嗜好・流通があったからこそ存在し得たバンドですしねー














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