ANOTHER WAY ~ THE ALFEE'S SONG,LIVE,GUITAR ~ 私設研究所

Happy 40th Anniversary for THE ALFEE!! 【長年愛用していたパソコンが逝ってしまったので、現在投稿が滞っております。スマホに馴れるか、おにゅうのPC買うかしたら続き始めますので、しばらく御容赦を】

 
--年--月--日

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

タイトルで解るように、年明けより「星空のディスタンス」をまとめております(๑・ω・๑)
その課程で、【1984年】のミュージックシーン(というより、TVの中の歌謡界)にガッツリ触れる必要があるなーと思い、自分の記憶とネット上の資料ググって書いていたところ
ソコだけでエライ長くなってしまい(бвб)
あまりに「ディスタンス」から距離がぐいぐい離れて遠回りしてしまうため、
まさにディスタンス←やかましいわ
本編の付録的な感じで先に上げちゃう事にしますた。



1984年という時代は歌謡界のターニングポイントになった時代でもあり。
星空のディスタンス」のオリコンの順位推移を詳しく知りたかったのでググってみたら、60年代終盤から毎週のチャートを記録してあるサイトにぶち当たりましてー。
この曲の推移調べたついでに1984年1月初週から12月最終週のチャートをザッと追ってみたら、
時代が変わる瞬間がハッキリ表れててビックリするなど(・_・;)
1月にチャートインしてるのは聖子・明菜・KYONKYON・ジャニーズの子達など当時の旬のアイドルと都はるみさんや渥美次郎さんといった演歌ど真ん中の歌手で占められていて、自分の記憶に濃い「TVの中の歌謡界」といった様相。
梅沢富美男さんの「夢芝居」なんかも相当長いロングヒットだったんだねぇと懐かしく思うなど。
ところがですねー、1月に「星空のディスタンス」が発売、その週からトップテンにランクインし、2月に入って上位に留まり始めた頃からシングルチャートの様相が変わってくるんですよねー。
遅れること半月、まず安全地帯の「ワインレッドの心」、そしてチェッカーズの「涙のリクエスト」が相次いでチャートに入り始め、さらに吉川晃司さんが「モニカ」でデビューして上位が賑わいだした頃、オメガの「君のハートはマリンブルー」もじわじわスマッシュヒットしてるなどありー、僅か3ヶ月余りでオリコンの上位半分近くをニューミュージック・ロック系が埋めるようになってるんですよねー。
チェッカーズに至っては「涙のリクエスト」が超ロングヒットした事によりデビュー作である「ギザギザハートの子守唄」、次作の「哀しくてジェラシー」の三作が同時にオリコントップテン入りする大ブレイクとなりました。
春からはオフコースが活動再開、チャゲさんと石川優子さんが企画物の「二人の愛ランド」を発売、チェッカーズと同タイプのバンド・Sallyがデビュー。。。などなどあり、12月最終週のチャートを見てみると、アイドルとニューミュージック系がチャートを二分してるんですよねー。


過去、フォークが支持された時代に代表されるように、何度か新しい大衆音楽が新勢力としてチャートをにぎわせていました。@ALFEEデビューに直結した、ガロのブレイクを起因とするブームもあったしね。
70年代全般として、ポプコン&世界歌謡祭が果たした役割も大きいよね。
優勝からデビューまでを垣間見れる訳だから、そら興味惹くわなー。
ここから見出されたり関わったミュージシャンは多いし、現在も活動されてる方は多いですよね。
しかし、そんな新勢力に対抗するように、歌謡界も新しい世代の歌謡曲やアイドル・演歌がまた出てきては大衆に支持されて、と繰り返す歴史がこの頃まではずっとあったんですよねー。
この時代の前は、70年代終盤から80年代初頭のニューミュージックブームもあったり。
このムーブメントは84年からの流れに繋がる要素がいくつか垣間見えるのでちょっと触れておきますがー。
Char・ツイスト・原田真二を始め千春やみゆきさんが出てきたり、アリスもブレイクした時代。
この時代、それまでと比べて変化があったのは、歌謡雑誌メディアの仕事や、TVメディアの出演もしっかり受けるミュージシャンが出てきた事ですかねー?@それ以前がどーだったかわかんないんだけど。
時代はラジオとTVの均等なバランス関係が崩れ、TVというメディアが俄然力を持ち出した頃。
特にベストテン番組が始まった事が大きかったのかもしれない。
番組が出演者や出演ジャンルを選ぶ訳ではなく、視聴者が見たい歌い手を選ぶ番組なので、ランクインし続けている間は売り込まなくても毎週出演が可能。
また、ランク外でも伸びてきている注目の曲を取り扱うコーナーもあったので、ここに出演できればジャンプアップも可能。
各芸能事務所やレコード会社からしてみれば、特にこれから売り出したいミュージシャンなんかは頑張ってせめてココに出演出来るよう売り込むおね(бвб)
それにはもちろん、これから来る!という何かが無ければいけないんだけれどもー。
ベストテン番組は毎週のレコードの売り上げだけではなく、有線やリクエストも順位の指数になっていたため、ラジオ等でファンに呼びかければ「伸び」を感じさせる事は可能だったんだおねー@レコード会社や事務所の社員さんがせっせとリクエストハガキ書いていた、という事もきっとあったろうなー(^_^;)
それまでの活動に加え、ある程度盛り上がった所でTVに出る→知名度上がる・人気がある・これから来ると視聴者が理解できる→レコードの販促・ライブ活動の拡大→ベストテン番組にランクインして出る→販促・ライブ活動の飛躍的拡大という新しい時代のサイクルが誕生したんですよね。
番組が人気急上昇すると同時に、それまでTV業界から一線を引いていたニューミュージック系の人達・・・というより、事務所・レコード会社はさすがにTVメディアを無視できない時代になったんだよねー。
そしてTVメディアで仕事をする、という事は歌謡界ともしっかり寄り添わなきゃいけなくもなったんですよねー。

もちろんTVメディア敬遠してた人も多かったですよね。
特にソロシンガーはまだ敬遠してた印象。
みゆきさんやら千春さんやら、たった1人で「芸能界」の中に入っていくのは余計にキツかったのかもしれないよねー。
それぞれいろんな事情説明でTV拒否してたけど、フォークブームの頃に拓郎さん達の世代がTV業界スタッフから受けてたぞんざいな扱い等に起因して、歌謡業界のスタッフと仕事したくなかったのは本音としてありそーな気がする。
対して、バンド系は積極的にメディア活用してたおね。
ツイストやゴダイゴ、サザン、特異な例だけどソロでは原田真二さんなんかはTVガンガン出まくってたし、姉が買ってた「明星」や「平凡」なんかにグラビア記事出てたの覚えてるわー。
幼かった自分の目線からは、アイドルや歌謡の世界の人達と何ら変わらない存在。
多分、それがある意味彼らの成功であり「売れ続ける」という観点から見れば失敗でもあった訳ですがー。
しっかりと歌謡業界に寄り添った割にはメディアからの扱いにさほど変化はなかったんだろーし、本来の創作・ライブ活動を優先すると「売れたから調子に乗った」と叩かれる事もあったろーし。
彼らにしてみれば、メディア活用は自分達の活動を安定させるための基盤作りであって、いい加減区切ってその次に行きたかった目論見もあったかもしれないしねー。
さらに、歌謡界に寄り添いすぎてしまったが為に、本来新しい波を後押しすべき人達が何故か足を引っ張るという事もブームが去る原因の一つになっていたとも思われ。
「ジャンル」という世界に拘る人達や、商業として成り立っている「歌謡界」という世界と並列に並ぶ事を極端に嫌う人達。
また困った事にそーいった人達が「ペンの力」を持ってる人が多かった為に、吸収力が強い10代20代のリスナーがそっちの意見に流されてしまうんですよねー。
本来のフィールドであるはずの業界からの支持は少なく、創作活動に時間を割いて一旦メディア露出を離れると、時間を掛けた新作もあまり取り上げて貰えなくなる時代の速さもあり、次第に歌謡曲業界との折り合いも悪くなり、いつの間にかチャートからは消えていった印象ですよね。
メディア拒否と距離を置いて活動していた人達はあまり影響なくその後も活動できてたけど、メディアを積極的に使っていた、特にバンドは行き詰まってしまった気がするなー。
解散、活動休止も多かったよね。
TVメディア・芸能界とのいい距離を保つのがどんだけ難しいか、という70年代終盤だった気がするー。
そして80年代に入った頃には聖子ちゃんやたのきんといった80年代を代表するアイドルがすぐ出てきたり、演歌もビッグヒットが多く当たったりしてこのニューミュージックブームも終焉。
しかしTVメディア・芸能界に寄り添い過ぎなければ何か興せる予感は残しましたよね。

さらにこの時代の音楽業界は、2000人前後のホールコンサートで全国を回る
「コンサートツアー」という活動の基盤というかシステムが出来上がりつつあった頃。
拓郎さんを始めとする先輩ミュージシャンと、それぞれの地域で独立して存在していた「興行主」という独特な(ある意味カタギじゃない)団体から発展・独立・新規立ち上げなど「会社」として成り立たせる「イベンター」を立ち上げた方々の労力があってこそ成り立った「システム」。
これによって日本全国を繋げて回れる「コンサートツアー」が一定期間を通じたパッケージとして組めるようになり、音楽ビジネスの形が出来上がりましたよね。
80年前後にデビューしたり活動が整った人達は、このおかげで余計な事に煩わされずに創作とライブ活動という仕事に集中して出来るようなった、そんな地盤作りが出来上がりつつあったのも70年代の終わり頃。
活動の基盤作りとメディアの使い方、次の世代の為の下準備になったのが、この時のニューミュージックブームだった気がしますねー。


オフコース、RC、なんかは人気を得ていたし、一時低迷したサザンも再び火がつき始め、YMOなどは国際的なヒットも飛ばしてはいましたが、それぞれが孤軍奮闘という感じで線としては繋がらず、ムーブメントやブームまでは至らなかった80年代に入った頃のミュージックシーン、。
70年代終盤時のいくつかのバンドの失敗もあってか、80年代前半は再びTVに出たがらないミュージシャンも増えていました。
そんな時代の中、新たな点として出てきたのが
83年「メリーアン」のロングヒット@さぁ本題だ(๑・ω・๑)
曲が良かった、3人のビジュアル・キャラクターが異質すぎた・なんで真ん中の人がボーカルじゃないんだ等、いろーんな事が噛み合った結果としか言えないけど、ヒットした一つの要因としては
最初のインパクト
があったのは間違いないですよね。
言うまでもなく、ザ・ベストテンのスポットライト出演のインパクト。
いろんな要素が混ざった訳の解らなさはもちろん、何より大阪城野外音楽堂からの中継!
ライブそのものを見せた事により
お茶の間とライブ会場を結びつけた
これが何よりM.V.Pだと思うんだよなー。
これまでもいろんな歌手のライブ会場からの中継が無かったわけじゃないけど、名前も知られてないバンドがいきなり超盛り上がってる光景ってのは絶大な衝撃があったと思うのよ(бвб)
もちろん前説で「大事だから盛り上がってる風に見せろよー」、という説明と煽りはあったでしょうがー(笑)
当時のお客の参加意識は極めて高いし、このチャンスにブレイクさせてやろうという意識統一も出来てただけに、ステージ・客席双方にやりきった感はあったろーねー。
お茶の間は初めて見たへんてこな3人組なのに野外ライブで沢山のお客さんが超盛り上がってる光景、さぞかし脳内「?」マークだったっと思われ。
人って、訳の解らない物にほど惹かれるし知りたくなるんだおね(бвб)
そして3分ほどの出演時間の中で、ライブ=ロックをお茶の間に浸透させた事も大きい。
ロックが一気に身近になった瞬間だったんだなーと思うのよ@今となっては
誰がどう動いてこの中継・スポットライトを実現させたのかは知りませんがー、このおかげで「メリーアン」はじわじわセールスを伸ばし、オリコンにもTVベストテン番組にもしばらく定着、久々にロック・ニューミュージック系の新しいバンド(実は10年選手のベテランな訳だが)がお茶の間に登場したんですよねー。
まぁこの時は他の一緒で、一つの点にしかすぎなかった訳ですがー・・・・
翌84年に入ってすぐ「星空のディスタンス」がリリース。
ALFEE2発目のヒットになった頃から80年前後にデビューしたバンドが続々台頭して、BOOWYのブレイク、メッセージソングのムーブメントからバンドブーム、ビーイング&小室ブームなどを経て現在に至るJ-POPの流れまで繋がる1本の線になる訳ですよ。

この盛り上がりの突破口を開いたのは特に「ALFEE・チェッカーズ・安全地帯」の3つのバンド。
中でもチェッカーズの功績は絶大だったおね(бвб)
84年は彼らのブレイクの年という印象が強いわー。
この3組、これまでのブームと何が違ったかというとー、音楽業界と「芸能界」の両者で上手くバランス取って活動出来たからなんだろーなーと思われ。
コンサートツアー&創作活動というのをしっかりやり、尚かつ音楽番組だけじゃなくバラエティなどTVメディアに出る事も厭わず、むしろ積極的だったからこそでしょうねー。
その距離感はそれぞれのバンドによって異なるんだけども。
ALFEE、安全地帯はそこそこ高齢だったのが功を奏した面もありますよね。
ティーン対象のビジュアル面需要があまりなかったが為(笑)そっちに振り回されるよーな事が無かったんですよねー。
さらにウチの3人に関しては、皆さんご存じの通り(笑)
売れたからTVに出た訳ではなく、それ以前も少ない出演以来をほぼ断る事なく出てきたが為、結果的に売れた分忙しくなっただけでやってる事はまったく変わらないでいただけでありー。
逆に、売れっ子になっても何ら断ることなく仕事を受けてきたのが好結果だったんでしょうねー。
さらに三者三様の類い希なるキャラクターと、音楽業界関係者からも芸能界関係者からも可愛がられる
腰の低さ
という人間としてのベースがあったのも案外大事な要素だった気がしる。
安全地帯は全員寡黙なイメージ中で意外に玉置浩二が饒舌であり物腰柔らかかった事が、仕事関係者やファン・視聴者に好印象を与えたよーな印象。
そしてチェッカーズ。
若いだけに2者に需要がなかったアイドル面としての露出を求められましたがー、彼らは拘ることなく何なら当時のアイドルみんな喰ってやるぐらいの勢いで、進んでそのど真ん中に居座ったのが良かったんでしょうねー。
そしてフロントマンである藤井フミヤだけが突出する事なく7人全員が何かしらキャラが立ったというのもこのバンドが成功した要因だと思われ。
数年はシングルも作家の手によって作られていましたが、彼ら自身のやりたい音楽という所からさほど離れるよーな楽曲じゃなかったし、何より楽器陣のそこそこのテクニックと見事なボーカルワークがあったから、何をやろうとどう見られようと潰されることなく芸能界を生き抜けたんでしょうねー。

そこそこ芸能界に寄っただけに、相変わらず足を引っ張る音楽業界の人はいましたがー、そこも世の中軽薄短小傾向だった80年代という時代だったのがまた良い風が吹いたのかも。
若者の思想の拘りが薄くなっただけに、評論家が何言おうがいい意味で左右されなくなったんでしょうねー。
また上手い具合に、その手のバンドを支持してくれる雑誌メディア(GB、BEST HITなど)が出てきたりしたのも好都合だったはず。
そして芸能界の中でも彼らが本質を見失わず活動できたのは、先人達が切り開いた「コンサートツアー」という活動基盤を支える「システム」が出来上がってたからこそ。
TVや雑誌に厭わずに出ることにより本来の仕事がさらに充実するという、いいサイクルが回った見本みたいなもんだよね。
まぁ当事者の本人達は大変だったと思うけどもさー(-∀-`)
結果、この3組を良くも悪くも見本するように音楽界・芸能界両者と上手く付き合っていけるバンドなりシンガーなりが複数に出来てた事によって、両者の間にあった「越えられない壁」みたいな物が無くなり上手く流れ出したんじゃないですかねー。
基本はステージの上、それ以外の時間は芸能界の仕事も構わないよーという活動姿勢が結果的に時代を切り開いたんでしょうねー。
そしてそれらのバンドやシンガーがTV関係者と濃く付き合う中で相互の理解も深まり、それによって数年後には一旦TVを遠ざかっていた人達も徐々に呼び戻す事に成功。
最終的には拓郎さん、陽水さん、泉谷さんなども出演交渉に応じて、番組によっては歌ってくれるようになりましたよね。


84年に始まったロック・ニューミュージックの時代、一つはファンの年齢層からくる要因がありますよね。
当時のティーンエイジ、中高生というのは1960年代後半~70年代前半生まれ。
第二次ベビーブームの世代なんだよね(๑・ω・๑)
その世代が、年齢や性格による誤差はあれども自我に目覚めてくる時代だったんですよね。
自我に目覚めた事により、与えられた物ではなく自分で探し出す物を求めだす訳で、音楽もその例外ではなく。
TVから流れる音楽よりもそうじゃない音楽を求め出すおね。
もちろん洋楽もそうなんだけど、日本のロック・ニューミュージックはその受け皿として成り立ったんだよねー。
というより、元々ティーンエイジの受け皿として成り立ったのがロックなんだから当たり前よね(бвб)
そして、世代の人口数が多いだけにそこを求める絶対数が多い訳だから、ミュージシャンそれぞれのファン数やレコード購買数も増える訳でー。
もちろんそれは数多いミュージシャンにまんべんなく行き渡る物ではなく、ティーンエイジのアンテナに引っかかる音楽は限られるし、熱い人が何人か食い付いた物に引き寄せられるのも人の業。
・・・
ある意味、ビッグヒットが生まれるのは当たり前なのよ(๑・ω・๑)
そしてまた新しい物・引っかかる物を探し食い付き、新たなヒットが生まれ・・・という中で
ブームは必然的に生まれるよね(бвб)
それがたまたま1984年が皮切りになった、というだけなのかもしれないよね。
また高度成長期の最後のツメな時代、親の世代の離職率も低くかった為当時の中高生の懐は比較的豊か。
当時シングルが600円~700円、アルバムが2800円の頃。
割高感はあったけど買えなくもなかったし、何より学生ならではの貸し借りが頻繁だったし貸しレコード店も増えてた時代だから、借りて聞いてホントに良かったら次の新譜は買うというサイクルがあったんだよね。
この時代のロックは、そんな世代の子供達に支えられてはいましたよねー。


このムーブメントを開いた3組の中でALFEEとチェッカーズ、両者には(当時)共通点がありますよねー。
キャニオンレコード所属
これは、この2組がヒットした事と無関係ではないと思うんだよねー。
キャニオンレコードは皆さんご存じの通り、フジサンケイグループの会社。
元々はニッポン放送の関連会社として立ち上げたそーですがー(ググった)、当然系列会社にはフジテレビも含まれる訳です。
さて、当時のフジテレビはというと・・・・
漫才ブームの一因となった「THE MANZAI」のヒットを皮切りに「ひょうきん族」や「笑ってる場合ですよ」などが当たり、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを引っさげて業界トップを独走し始めた頃。
「オールナイトフジ」なども大人気で、ある意味「軽薄短小の時代」を代表するようなテレビ局になっていた時代ですよね。
ここからは只の推測ですがー・・・・
その恩知・威光は当然関連会社にも巡り巡ってくるであろうとは想像できるよね。
という事はキャニオンレコードにもきっと・・・。
であればー、1人の歌手、1つのバンドに使える広告費などの予算は、他のレコード会社と比べても多少は豊富だったと思われ。
フジの音楽番組やニッポン放送にもブッキングしやすいだろうし、他局であっても多少は無理が利いたんではなかろーか。
売り出す為のお膳立て作りは、かなり有利だった気はしますよねー。
そう考えると、82年「別れの律動」時のイメチェン戦略・各レコード店への宣伝の大きさにも合点が行くよーな。
所属4年目、シングル11枚リリースしてオリコン50位内ナシのバンドにしてはかなり手厚く宣伝費かけて貰ってるよねー。
もちろんイケる予感があったからこそでしょうが、似たような立場のミュージシャンに比べれば、多分予算配分は多めだったんだろーなーという気が。
基盤が安定したからこそここで打って出た、とも考える事出来るよねー。
まぁ実際の所どーだったかは知るよしもないけれど、宣伝費かけてもらった所で売れる訳ではなし。
上手く掴んで流れに乗ったALFEEやチェッカーズはそれだけの資質を持ってたんでしょうねー。



こうして始まったJ-POPに繋がるムーブメントですがー、いい事ばかりではなく。
ここで割を喰った、という言い方は変かもだけど、この時代の波に押されてしまったのが、それまでTVの歌の世界を支えてきた
演歌・歌謡曲。
この年辺りから時折ヒットは出すものの長い「演歌低迷の時代」が始まったんだよなぁー。
現在は氷川くんが頑張ってるけど、やはりまだ低迷という印象はあるよね。
これは何故なんだろーねー?
当時、新しい時代を担う演歌の若い歌い手が出てこなかったって事なんだろーか?
いろいろ調べて見ると、歌番組のターゲットが若年層に手厚くなった事やカラオケブーム到来によって求められる曲の質が変わった、とかいろいろ理由はあるよーで。
結局は時代の変化に対応しきれなかったのが原因とも言えるのかもですね。
割を喰ったのは演歌だけではなくー、80年代終盤頃はイカ天バンドブームの煽りを食ってアイドル文化も一瞬死滅しかかったしねー。
あの時代を経て現在、ここまでアイドル文化が盛況に復活するとは夢にも思わなかったわ(・_・;)
とはいえ、当時認識していたアイドルと今ではその質的なもんは大きく違ってるよね。
AKBにしろ、ももクロにしろ、自分の固定観念の中にある「アイドル」とはまったく別の存在になってるお。
これは90年代に孤軍奮闘したSMAPの功績が大きいですよねー@と、アイドル論は関係ないのでこのぐらいにしておいて

歌謡曲全体の支持が著しく減ったのはもちろん、最大の購買層であるティーンエイジの支持が減ったから、ってのが主な原因でしょうがー。
ロック・ニューミュージック系のミュージシャンやムーブメントが、ある意味歌謡曲を目の敵にするような言動・ステージトークをしていたのも一因と思われ。
代表的なのは、HOUND DOG全盛期の大友康平氏による
ダせぇ歌謡曲ぶっ潰そうぜ!
ってのがありましてー。
もちろん、観客を盛り上げる為のリップサービスであり、大友さん自身も王子同様に演歌やムード歌謡に絶大なる影響を受けてきた人なので額面通りの意味合いではなく、みんなでロックを盛り上げて行こうという鼓舞だった訳なんですが。
いかんせん、ティーンエイジは基本素直(бвб)
「大人」や「体勢」には反発したり穿った見方するものの、自分が一度信頼や支持した人の言葉は素直に入るんだよね。
ミュージシャンだけじゃなく、ロック系の音楽雑誌にしたって直接は書かないものの、そーいった方向の思想に振るよーに誘導してた所もあるしねー。
そういった思惑を額面通り受け取った結果、ある意味歌謡曲=悪、歌謡曲=体勢という刷り込みがされちゃったんですよねー。
当時の自分も然り(๑・ω・๑)
今でこそ演歌とかムード歌謡とか大好きだけど、高校生の頃はアイドルも含め徹底的に嫌ってたもんなぁ( ´・ω・`)@KYONKYONは覗く←
一時期の歌謡曲離れは、そういった原因もあるのかなぁーと、今となっては思うよね。
戦後の焼け野原から復興を目指す人達を、時には鼓舞し時には癒しとなって時代と人に寄り添ってきた歌謡曲。
この時期から低迷してしまったのは、今となっては残念な事だったなぁーと感じるなー( ´・ω・`)
ロック・ニューミュージック系メジャー化の功罪、と言えるでしょうね。



日本の文化に根付くようになったJ-POPの創世記といえる1984年、間違いなくALFEEは時代のメインストリームに位置し、立役者の一つではありました。
しかし実際にブームを作り先頭を走った代表格はチェッカーズだよね。
メインストリームにいながらメインじゃなかった、これがALFEEが今日まで続いてきた事と無関係じゃない気がするー。
時代の代表になっちゃってたら、前10年の経験があってもどっかで疲弊してたと思うのよ。
矢面に立たないからぬるま湯でいられたのか、ぬるま湯だったから矢面に立てなかったのか(笑)
何にしろ今のままのALFEEで居られたのは、先頭・中心を避けてたからだろーなー(бвб)
ある意味、チェッカーズ様々である(๑・ω・๑)
しかしながらそのブームの一歩手前、83年の大阪城野外音楽堂のスポットライト出演が、ムーブメントの扉に最初に手を掛けた瞬間だよなー。。。
J-POP最初の一歩を刻んだのがALFEEなんだよなぁー(多分)。。。などと、ファンの手前味噌ながら自負するのでありますよ。
そして今年はJ-POPムーブメントの始まりを決定づけたヒットシングル第二弾
「星空のディスタンス」発売30周年!( *`ω´)人(бвб)

と、こんな無駄な予備知識を頭に入れつつ、多分数日後からアップするであろう「星空のディスタンス」本編をお楽しみ下さい(๑・ω・๑)←



ではっ


スポンサーサイト

まさに!
あの大阪野音の光景が!
わたしの人生を変えましたよ。
それまで見たことが無いものが目の前に広がったあの瞬間を忘れません。
そして現在まで至る。

思えば遠くへ来たもんだあ。
夏葉さん、いらっしゃいませー

食い付き早ぇwww
当時の現場しらない中高生にとっちゃー、あの光景はカルチャーショックだよねぇ( ´・ω・`)
あれがLONG WAYの始まりだったとは・・・orz←
待ってました~!!

今回のお話、70年生まれの私のど真ん中ドンピシャリ!あの頃の興奮が甦って来ました。楽しみにしています~♪
初めまして、宜しくお願いします。
僕はアルフィー大好きな25歳です。
去年の夏に大ファンになりました。
29日の城ホールライブもう最高でした。
これからもファンでいたいです。
特に好きな歌はメリーアン、星空のディスタンス、冒険者たち、エルドラド、JUSTICE FOR TRUE LOVE、太陽は沈まない、まだ見ぬ君への愛の詩、グロリアス、FAITH OF LOVE、無言劇、天河の舟です。
後チェッカーズも好きです、クロベエ可愛いですよね。
1984年、西暦言われて自分がいくつだったか即答出来る唯一の年。アルフィーを知り、コンサートに行き人生節目となった年。その年を記事にしていただいて感謝してます。
感覚では、やはり1984年を境に世の中がより軽やかになっていった印象です。
@mintaさん、いらしゃいませー
思い出してって下さい。
発売30周年!


@ジョニーさん、いらっしゃいませー。
初めましてです。
またよろしくお願いします。


@ケンさん、いらっしゃいませー。
バブルを感じると同時に世の中軽くなった印象ですよねー。
音楽的に凄い年だったなーと改めて実感。











管理者宛の投稿

プロフィール

あっちゃん♪

Author:あっちゃん♪
twitter ID:@venusofrock



ALFEEファンの皆様、よーこそ!
訪問ありがとーございます♪
15の時にALFEEと出会って以来、四半世紀以上のお付き合いの石川在住・一ファンですv(。・・。)イエッ♪
大まかには各楽曲に絞ったあれこれを書いてます。
また楽器の事やライブの事もっ。
お気に召しましたら、コメント等頂けたら幸いです。

なんでも一言っ
カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

ぺそぎん♪
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

コメント入れんのが照れくさいって方は、こちらから一言頂けると嬉しいです♪

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
最新トラックバック
検索フォーム

RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード

QR

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。