ANOTHER WAY ~ THE ALFEE'S SONG,LIVE,GUITAR ~ 私設研究所

Happy 40th Anniversary for THE ALFEE!! 【長年愛用していたパソコンが逝ってしまったので、現在投稿が滞っております。スマホに馴れるか、おにゅうのPC買うかしたら続き始めますので、しばらく御容赦を】

 
--年--月--日

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続きー


さて、長年TVで歌われてきた「SWEAT & TEARS」中でも、多分一番ファンの記憶に濃いのは
88年・12月28日の夜ヒット出演
ではないでしょーか。

前年よりその年最後の放送はスペシャル企画が行われていたこの番組。
当時はTVの歌謡界もロック・ニューミュージック圧巻していた時代。
そのムーブメントを反映して、年末最後の放送は通常より数多くのロック・ニューミュージック系人気バンド&シンガーが出演、普段の番組とは若干毛色が違うラインナップでした。
またこの年はレッドウォーリアーズ、プリンセス・プリンセス、米米クラブ・・・などなどALFEE等のベテランよりも、単体での集客力がありながらも当時数々あったオムニバス・イベントを盛り上げていた若手達が多く登場。
ちなみにこの日の放送の反響や時代の流れも有り、翌89年にロック・ニューミュージック系専門の姉妹番組「夜のヒットスタジオR&N」が深夜帯に登場するのである (๑・ω・๑)
この年末企画、出演者の特殊性だけではなく、ほとんどの出演者は通常の最新シングル曲ではなく代表曲を、しかも他のシンガー・ミュージシャンとコラボして歌うというスペシャル企画を行ってました。
この日の放送、ALFEEとしては王子が工藤静香とコラボして「恋一夜」でギターを弾く、というのがあり。
余談ですが-。。。普通のギター使えばいいのに何を気合い入れちゃったのか、オールドのストラトを持ち込み。
それも一因なのか解らないけども-、本番でシールドかトランスミッターの接触トラブルっぽいのがおこってしまい、低音のブーーーーンというノイズがしばらく続いてしまうという残念な結果に( ´・ω・`)
静香たんあきらかに歌にくい感じで、機材トラブルではあるんだけども
「ウチのぽんこつ川・.B・||のせいでなんか申し訳ない」
と見ているファンが切ない気持ちになってしまうなど( *`ω´)
まぁそれはそれとして←
ALFEE本体は、ありがたいことにこの日・1年の放送を締めくくるトリとして出演。
スタジオにファンを動員して(マニアで募集したのかな?)「SWEAT & TEARS」を歌う事になっていました。
フジの音楽バラエティ事業のエライ人・石田さん(タカさんのモノマネでおなじみ)がこの歌を気に入ってくれてたというのもあるし、スタッフの中には後にLOVELOVE・堂本でお世話になるきくち伸さんがいたりと、80年代後半の時期は番組スタッフ全体でALFEEを推してくれてたよね♪
そこには歌の力はもちろんの事、何要求してもある程度の事は断らず協力してくれる人柄の良さと
腰の低さ
がなせる技だったんだろーねー(=´ω`=)
番組意図的には、この曲で出演者全員巻き込んで盛り上がって終わろうぜ!という意図だったんだろうねー。
確かに意図以上に盛り上がったんだ、確かに。。。。

予定通り始まった「SWEAT & TEARS」。
1段高くなったセットの周囲をファンがとり囲み、イントロからパワーで推しまくるライブ演出でいい雰囲気での演奏。
ファンは女性もいたんだけど、参加してるほとんどが男だったのは、参加募集が男中心だったのかなー?
男限定だったけど少し足りなくて女性も招集したとかかな?
少なくとも、男のファンを入れて。。。という意図はあったっぽいよね。
ファンの力を借りて大盛り上がりの中1番を歌い
川・.B・|<|きっとー、きっとー!
と、あぁワンハーフ演奏でギターソロなんだなー。。。。。と思もいきや、ソロ前の1小節コードB7のはずがAになり、えっ?と思わせた次の瞬間
川・.B・||<お前のー涙ーもー俺<は>(←間違い)ー止めらーれないー
視聴者も取り囲んだファンも、出演者さえも全員何が起こったかわからなかったよね(^_^;)
DOGファンでもある俺でさえ、「あれ?これ何の曲だったっけ?メドレー?」と、記憶の中からALFEEの楽曲を特定しようとしてたぐらいだから←
一瞬時が止まったかのような空間に、ファンの海からステージに飛び乗った男が一人。
大友康平である (๑・ω・๑)
幸ちゃんにマイクスタンドを譲ってもらい、ワンフレーズ歌った王子に続いて
くぉーとばにーならぬぁーいぃー
と歌い出し、ようやく「ff-フォルテッシモ-」である事に気づくなど←
現場の人たちも多分俺と似たようなタイミングで事態を把握したよね(笑)
SWEAT & TEARS」の中に「ff-フォルテッシモ-」を挟み込み、大友康平とコラボするステージ!!
ALFEEとHOUND DOG、当時KING OF LIVEの称号を分け合う2つのバンドが交わる奇跡、それな\(^o^)/
いやーー・・・・・

泣いたわ。゜(゜´Д`゜)゜。

男泣きしますたよ。
だって王子と康平が顔見合わせて
あーいがーすっべーてっさぁー!!
って歌ってんだぜー!
同じステージで同じ歌を共有してんだぜー♪
こんな光景が見れるとは。。。。感無量とはまさにこの事。
この現場にいれたファンいいなぁー!!
いいなぁーーー!!!
自分の人生の中で参加できなかったイベントで今でも後悔しているものが3つあってー。
一つが1996年、「日本を救え!」のSuper Bandの流れで行われた神戸での震災支援コンサート。
パーマネントなバンドの一員である幸ちゃんと、桜井さん・康平・省吾が一同に介した、俺的には夢のようなライブ。
後で知って大後悔( ´・ω・`)
ただ、どうやら省吾と幸ちゃんが同じステージ上で演奏する事はなかった。。。のかな?
省吾が歌う時に、ベースが拓郎さんだったみたいですねー。
幸ちゃんギターでも参加してなかったみたいだし。
そしてもう一つが1995年の広島ピースコンサート。
HOUND DOGのバックで省吾&SAXの古村さんが参加して数曲歌うという、これまた俺的には夢のような共演。
これも後悔したなー。
省吾側の諸事情でTVでのこのコラボは放送されなかったし。
そして最後は、この夜ヒットだよね。
これはマジ現場にいたかったよー(´-∀-)
まぁTVの中でキチンと生で放送されていたものだから、ある意味リアルタイムでは参加してたんだけどねー。
ブラウン管のこっち側で、
うわー!そこに行きてぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
と笑い泣きしながら地団駄履んでおりますた (๑・ω・๑)
このときみたいな興奮と感動ともどかしさが入り交じった感覚って味わえないなぁー。
本当に夢を見てるんじゃないかというすっげー不思議な感覚だったわー(*´ω`*)

遠慮がちに入ってきた康平でしたが、ALFEEファンから歓迎され出演者達も盛り上がってるのを察すると自分のターンとばかりに堂々と煽りだし、サビになると自分のステージであるかのように盛り上げてくれ・・・・ましたがー。
ワンコーラス終わるとそのまま「SWEAT & TEARS」に歌は戻り、歌詞を知らない康平は今までの歌いっぷりがとは打って変わって居場所がない子犬状態(笑)
サビで参加しようとするも一部しか歌詞が解らないためパフォーマンスで盛り上げていく中、「SWEAT & TEARS」のサビに「ff」のサビを挟み込み交互に歌うので、康平のスイッチもオンオフが激しく
最終的にウォー!と、がなるというカオスwww
そんな状態なので周囲のファンの盛り上がりはライブ同然、もはやそれ以上。
さらにひな壇のDOGのメンバーはもちろん、このお祭りに便乗したくなりファンの後ろで踊り出し、見事ワンショット尺を貰う事に成功した
てっぺーちゃん@米米クラブ
など、出演者たちも本気で盛り上がってくれる人が多数出たためTV画面越しでも熱が伝わる相当なライブ。
最後は康平に花を持たせステージから飛び降りるジャンピングフィニッシュを決め、スタジオ中を巻き込んだセッションは終了♪
ただTV見てただけなのに、何この達成感←
気づけば拳握りしめ汗だくてTVにかじりついてたお(・ω・;)
文句なく熱く楽しかった88年の暮れでした\(^o^)/


さて。。。。このセッションに沸くいくつかの疑問。
数々のセッション、当時は「飛び入り」「乱入」などという言葉を使ってはいましたが、文字通りのハプニングでは当然なく、そこはTV局が仕掛けたセッションであり事前にオファーがあった上で個々で練習し、当日しっかりリハーサルした上でのもの。
お膳立て、というと聞こえは悪いかもしれないけれども、放送時間・枠・CMを挟まなければいけないタイミング等しっかり計算した上で視聴者にキチンと楽しんで貰えるよう企画された物。
まぁ仕事として当然ですよね(бвб)
進行上、MCの流れで突然振られたていでやってはいましたがー、そこら辺は視聴者でも解るようあざとい流れにしており、「やらせ」などと目くじらを立てるようなものではなく「お約束」的なもの。
しかし、この最後のセッションだけはお膳立てされた物とは若干雰囲気が異なり-。
まず曲前のMCで、何かありそうな事まったく匂わせてない。
突然の乱入、というていでも何か予兆を感じさせるような事は言うはずなんですよね。
そして康平が入ってくるタイミングがぐだぐだ←
普通なら「ff」の頭からスパっと入ってくるか、途中からでももっと見栄え良くステージに上がる段取りは組むよね?
さらに最大の疑問、入ってきた康平が
「SWEAT & TEARS」を歌えない(´-∀-)
普通ならリハでしっかり歌ってるだろうし、例え歌詞を覚えきれなかったとしてもスタッフがカンペ出すはず。
しかし本番ではそんな物もなさげな感じだったしALFEEターンでは終始煽ってただけ。
超盛り上がったんだけど、仕掛けた企画にしては細かい所でお粗末な面も目立ったセッションではありました。
このセッションだけ番組中の他のセッションとは異質だったんですよねー。

それもそのはず・・・・
このセッションに唖然としたのは、視聴者・出演者のみならず司会者・番組スタッフまでも同じ状態。
ホンマモンの飛び入りですた (๑・ω・๑)
知っていたのはALFEE3人+サポートの二人と康平(DOGのメンバーもかな?)のみ。
実は企んだのは王子でありー・・・・
川・.B・||@大友よー、俺ら「フォルテッシモ」歌うからよー、歌い出したらお前入ってこいよ
康平@えっ!何何?どういうこと?←状況が把握できず
川・.B・||@こんな仕掛けられたもんじゃなくてよー、ホンモノのセッションやろうぜ!
康平@あ。。。あぁ、それおもしろいねー!
←同意するもまだ及び腰
というやりとりが当日あったそうな(бвб)
髙見沢俊彦、ロックである (๑・ω・๑)
いったい、何があって尖ってたんだろーか(笑)
おもしろい事やりたい!ってのはもちろんなんだろーけど、当日共演していた勢いある若手達を鼓舞する狙いもあったのかなー?
ロックムーブメントが盛り上がるのは結構なんだけど、彼らが形骸化してしまったりTVに慣らされてしまわないように釘を刺す意味合いも、もしかしたらあったのかもねー。
その後の歴史を見てきた上で今感じる事だけども。
・・・・
年月・本数・内容・名実共に当時KING OF LIVEBANDと賞されていた2バンド、ベテランの超えられない壁を見せつけてやるぜ!という大人げないプライドがちょっとだけあった気がしないでもない( *`ω´)←
こんな内緒のガチなセッションだったので、当然リハする訳でもな本番一発勝負。
ALFEE側はもちろん思いついた段階で事前にスタジオで練習し、その上で康平に話を振ったはずですがー、康平は流れに乗っただけなのでこっち側の歌詞知らないのも当たり前だし所々グダグダになるのも当然。
だからこそ周囲を囲んだファンにもその熱も伝わったし、共演者や番組スタッフ達も魅せられちゃった部分はあるんだろうなー。
そのパワーがまたステージの上にいる4人に伝わり、よりテンションの上がった熱の入ったステージになりお茶の間に届く。
TVを見ていて文句ない嬉しさ・楽しさと同時に、ブラウン管の向こう側に行けないなんともいえないもどかしさと悔しさとが入り交じった想いでいっぱいですた(*´ω`*)
あんな感情でTVを見る事なんてそうはないよなー。
この日のトリを飾った2組のセッションは、スタジオ内・視聴者全てを巻き込み、多分仕掛けた本人達の想像以上の大盛り上がりとなり、番組的にもこれ以上ない1年の締めくくりとなりました♪

・・・

。。。。が!!
番組内には喜んでばかりいられない方もおり。。。。( ´・ω・`)
そう、番組プロデューサーである(бвб)
ハプニングではあったものの事故もなく盛り上がったし、まぁ結果オーライじゃないか・・・と言いたい所ですがー、素人(ファン)を入れていることもあって何かが間違えば大きな事故に繋がっていてもおかしくはなかった事でもありー。
また時間内でなんとか放送出来たから良かったものの、放送時間を超えてCMに移ってしまえば視聴者からの苦情殺到、CM飛ばして放送しきってしまえば番組制作費を捻出してくれているスポンサーに対する契約違反となり、どちらに転んでも社内で大問題になる事案。
相当肝は冷えたろうねー(^_^;)
制作側にしてみれば怒り心頭だったろうけど、反面番組自体予想より盛り上がったのは事実。
迷ったろうけど、無事終わったからといって黙っている訳にもいかず。。。。
放送終了後、ALFEE&スタッフと康平が呼ばれ、30歳を超えた大の大人達がずらっと並んで
エライ人から説教を食らうのである(๑・ω・๑)
しかし相手はこの世界でそれなりの地位を築きあげ、以後も番組でお世話になるであろう叩き上げのベテランライブバンドの面々。
当然ガツンと手荒い事もできるはずもなく、かといって説教だけで済ます訳にもいかず。。。怒りの矛先は企画側(つまりこっちな)の担当マネージャーの監督責任という所に向かい、それが番組側の落としどころとなりました。
これが後々語られる事になる
棚瀬殴られちゃった事件である(бвб)
そして首謀者はこの光景を目にしながらも
川・.B・||。oOなんだよ、盛り上がったからいいじゃねーかよ
などと思っていたたらしくー。。。(-_-;)
。。。コイツにも一発行っとけば良かったのに( *`ω´)←
ただし、この件で「TVで何かやる時は一応エライ人に話通しておいた方がいい」という事は学習したようで、一応効き目はあったみたいですねーw
ちなみにこの件の裏話は、王子が康平のラジオ番組「スクールズアウト」にゲスト出演した際にたっぷり語られた物なのであった(´-∀-)

数多くTVで見聞きしてきた「SWEAT & TEARS」、頭抜けて記憶が濃いのがやっぱコレですねー。
この歌が持つパワーが目に見えた瞬間だったし、この歌だったからこそのコラボだったと思うし、この歌だったからこそ事故にならず
棚瀬さんが殴られただけですんだ←
んじゃないかと(бвб)



続くー



SWEAT & TEARS
作詞/作曲:高見沢俊彦
編曲:ALFEE
シングル「SWEAT & TEARS」(1986年)
アルバム「AGES」(1986年・album.mix)
アルバム「ONE NIGHT DREAMS」(1987年・live)
アルバム「HIT SINGLE COLLECTION 37」(2004年・re.take)
アルバム「STARTING OVER」(2006年・re.take【Medley】)収録

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*・゜゚・:.。..。.:*・’M.S.R.60’・*:.。. .。.:*・゜゚・*
桜井賢生誕60周年記念日!
バンド創始者にして永遠のボケ担当!
のり弁にのりが入ってない、勘で頼んだ出前がいつも外れ、残して置いた好物のゆであずきを食べられる、ライブの出勤時にタイヤがパンクする、イベント日の高速で集中豪雨に見舞われる・・・などなど残念伝説の宝庫←
アートガーファンクルの美声に憧れて歌うことに目覚めたのに、言われるがまま流されていったらいつのまにかドスの効いたメタルを歌わされていた40年[;■ハ■]

・・・

ご苦労様です(T▽T)

あなたがいなければ幸ちゃんが声に惹かれることもなかったし王子が加入することもなかったし、今日・そして未来もこのバンドはありえなかった!
Confidenceを立ち上げてくれて本当にかりがとう!
そして「明日に架ける橋」「THE BOXER」という楽曲を作り世に出してくれたサイモン&ガーファンクルにも感謝♪
太さ・高さ・大きさ・艶・濡れ感・迫力、全てにおいて申し分ない素晴らしい声をいつまでも。
くれぐれも酒はほどほどに@日本酒禁止[■ハ■]
桜井さん、還暦&誕生日おめでとうございます♪


そしてバンドの平均も還暦!
3人併せて180歳!!
全員70歳現役、200歳オーバーを目指して。。。まずは61歳に向かって!!


*・゜゚・:.。..。.:*・’’.。.:*・゜゚・*・*:.。.
(бвб)/□☆□\( *`ω´)
*・゜゚・:.。..。.:*・’’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

2015年01月18日

SWEAT & TEARS / 第三章

続きー


前回のTOKYO BAY-AREAに関する東京都の思惑うんぬん。。。という所で、一つ絡めて盛り込みたい事があったのを忘れておりましてー←

イベントが行われた86年の夏、東京では数日に渡って別の野外ライブイベントが開催されており。
当時大ブレイク直後のBOOWYやレベッカをはじめSTREET SLIDERSなどいくつかのバンドが、この年の夏だけ解放された特別な敷地内でライブを行いました。
その場所は新宿のど真ん中・新宿都有3号地。
現在の
東京都庁本庁舎
その建設予定地をぐるりと目張りして、即席野外ライブ会場として使ってた86年の夏。
当時の自分は東京とはほぼ無縁だったこともあり「そんな場所があったんだー」ぐらいにしか思わなかったんですがー、今にして思えばよくこの時期にこんな場所解放したなーと不思議でしょうがない。
で、やっぱり東京都としてのPR目的だったんだろーなー、と思う訳ですよ。
ここに関しては場所のPRというよりは、「ここに都庁ができますよ」という若い都民に対するPRだったのかなー。
多少の違いはあれど、目的としては13号埋立地と同じだったと思われ。
当時の東京都の広報に、音楽イベントと絡める特別なチームがあったのかもしれないですよねー。
その一環として、その部署から「86.8.3プロジェクトチーム」に加わってる人がいたんではなかろーか。。。。などと思うわけですよ(бвб)
どちらにしても「新しくなる東京」「未来都市東京」というのをアピールしたかった時期だったかもしれないですねー。



このシングルジャケット写真はライブシーンのワンカット。
過去の大会場イベントなどではなく進行中のコンサートツアー中に撮られた、まさに「旬」を切り取った中の1枚。
服装や持ってるギターから察するに、「SWEAT & TEARS」ではなく、「夢よ急げ」のエンディングでかき回してる時のショットだと思われ。
個人的には、今日までのシングル・アルバム・ビデオやDVDなど数多くの作品を飾ってきたパッケージの中でも
最高の一枚だと思ってます(๑・ω・๑)
だってさー、カメラなんて知ったこっちゃない桜井さんの弦叩く瞬間、感情を素直に表した幸ちゃんの拳、そして王子のあの笑顔だぜ!!
どんな凄腕のカメラマンであっても、スタジオフォトセッションでは絶対に引き出せないこの笑顔と躍動感、それな(бвб)
それがライブという空間になると、なんの苦労もなく最高の顔が撮れまくってしまうマジック♪
ALFEE BOOKにこの日撮られたボツカット的な写真が載ってるけど、そっちもいい写真なんだよねー。
これこそがALFEEの真の姿だし、「SWEAT & TEARS」という作品においてはこれ以上ないぐらいふさわしいジャケットに仕上がってると思うのよ♪
言うまでもない素晴らしいジャケット、唯一突っ込む所があるとすればぼやかしすぎた加工ぐらい?
なんだろねー、古いポートレート風にしたかったのかなー?
デザイナー拘りというか意図がよくわかんないんだけど、ただ悪い加工ってほどでもないよね←
これはこれで嫌いじゃないし、無加工よりはジャケットデザインとして良かったのかも。

この写真が撮られたのはSWEAT & TEARSツアー 5月23日・神戸文化ホール。
なぜこの地が選ばれたのかというと、特に拘りがあったわけでもないらしくー←
実はジャケットをライブ写真にする事自体、急遽決まったらしいですねー。
この日の前日?もっと前なのかな?いつもどおりスタジオフォトセッションで撮影をしたらしいんですがー、今一つイメージ通りなものが上がらず。
まぁ被写体にやる気がねーから、イメージしたものができるはずないんだけどね(´-∀-)←
さてどうしよう。。。。となった所でこのアイディアが出たようで。
そこでカメラマンのスケジュールと発売日から逆算した締切の関係上、この日の撮影となったいきさつがあるそーですねー。
より曲のイメージに近いものを求めた結果ではあるけれど、ライブ感が生命線のこの曲においては、こうなる事は必然だったんだろーねー。
また「THE ALFEE」と銘打つ最初の作品のジャケットとしてもふさわしいものになったし!
3人の構図も実にいいんだよねー。
当日は曲前に撮影の案内とかMCであったりしたのかな?
それ用にわざわざポーズ作った訳ではなさげな感じだし、どっかで撮ってどれかを使いますよ、ぐらいな感じだったんですかねー。
今見てもALFEEというバンドの本質が形になって表れている素晴らしいジャケットだと思うなー。



発売時期はALFEE史上でも指折りの本数が多いツアーの終盤の頃。
またTOKYO-BAY AREAも控え本格的な準備もあり本来の仕事だけでも相当忙しい時期で、その影響なのか発売前や発売週にTVで披露する事はなく。
この辺はALFEE側の戦略的意図もあったかもですが、まぁツアー続きでスケジュール取れなかったのが本音な所なんだろーなー。
実際プロモーション等で動いた期間は、発売後からBAY-AREA直前のほぼ半月余り。
この当時、すでにロングヒットする曲も少なくなりシングルの消費期間は3ヶ月持たないぐらいまで縮まっていましたがー、それでもシングルリリース直前ぐらいから2ヶ月間ぐらいはTV、ラジオなどのメディア出演でプロモーションするのが通例。
しかしこの曲の場合、曲自体の販売はもちろんですがそれより直前に迫った「BAY-AREAのプロモーション」という大事な任務が主で、また2ヶ月後の9月早々にはニューシングル(ROCKDOM)の発売があった事もあり、かなり短い期間でのプロモーションとなりました。
その分、忙しい合間を縫ってこの時期、夜ヒット出演を皮切りに集中的にTVで歌ってた印象がありますねー。


TV初披露は7月16日・夜のヒットスタジオ。
多分、この出演は多くの視聴者に
インパクト絶大
だったはず。
ファンのみならずそれ以外の視聴者に対して、ベストテンのスポットライト「メリーアン」に次ぐぐらいの驚きはあったんじゃなかろーかと。
少なくともTVでのイメージはある程度覆った感あるよね。
それはALFEE側の意図もあったはずで、見た目の印象からすでに違って見えるようにしてたし。
それまではスーツ/カジュアル/王子様、または派手なメタルファッションという印象だったんだと思うけど、この出演では3人ともほぼ黒中心に統一。
ブラックジーンズ&皮・ナイロンパンツ、Tシャツ&タンクトップというラフな出で立ちで、王子は皮ベスト着てたけれども長髪を無造作に立てるなど、全体的な3人のイメージはメタルというよりはパンクロックの方に近いファッションでした。
そして演奏が凄かった!
のっけから動く・拳振り上げまくる・360度アピールして他の出演者のみならずスタッフ全てを煽りまくる・・・・カメラリハーサルしているにも関わらずスタジオを動きまくり決められた場所から外れフレームからはみ出る←
そして最後の
ヘドバンですよ川・.B・||))///。.B。///))川・.B・||))///。.B。///))
ファンであれば通常のステージと変わらない気迫・魂を込めてフルパワーで歌い演奏しているのが画面を通じて理解できたし、それ以外の通常の視聴者にもきっと伝わってたおね(*´ω`*)
観覧者も入れてないTVのスタジオでそこまでやらなくても・・ぐらいの熱量があったのは、その日の出演者達も最後口ぽかーん状態だった姿を抜かれていた事からも理解できたり。
そこまでさせたのは、TOKYO BAY-AREAへの先導よりも、やはり曲に込めた想いを余すことなく伝えたいからだったんだろーと思われ。
王子は気合い入れすぎて力みまくりで
リアルうわずる男川・.B・||
状態だったり、若干の空回り感もあったものの(←)「想いはブラウン管を通しても伝わる」という事をこの数年間の経験で体感し理解してたんだろうねー。
カメラの向こうにいる不特定多数の視聴者を観客として意識し、ある意味感覚で見えていたんだろうなー。
当時はまだオケよりもスタジオ生演奏が主流で、その日の気合いやコンディションがダイレクトに伝わっていた事も、この日はいい作用してたおね。
演奏の荒さも含め、間違いなく「ライブ」がそこにはありました。
もちろん、「世界が~」で二人で王子を挟むフォーメーションとか、最後のヘドバンもバミってある所ちゃんと確認して前に出てきてたりとか、TV意識した動きもちゃんとしてたけどねー(笑)
その辺りは大人だったというか
節度ある暴れん坊(бвб)

また当時の夜ヒットのスタッフもALFEEの魅せ方をある程度理解してくれてたよね。
フジサンケイグループがガッツリ絡んだBAY-AREAのPRという事もあったんだろうけど、この長い曲を間奏・後奏を含め最後のリフレインも入れてワンハーフ以上歌えるぐらいのしっかりした時間割いてくれてたし。
・・・
逆に間奏・後奏抜けば2番も歌えた気がしないでもない(๑・ω・๑)←
まぁ絵的な所で、ALFEE側もスタッフ側も最後のヘドバンは魅せたかったんだろーなーとは思うけどもw
そして何よりド頭ででかい声でカウント入れる
長谷川さんの単抜きですよ (๑・ω・๑)
解ってる!!スイッチャーさんファンが欲しい所解ってるわー!(бвб)
あの「わんっ!つー!すりー!ふぉー!!」が当時の演奏のキモなのよね(´-∀-)
初期はドゥーンのベンド音よりも、あのカウントが血を呼び起こされるスイッチだったおね(*´ω`*)
あれはスタッフGJ!
だったと思う-。
その辺りの巧さもあって、より良い伝え方が出来たんじゃないですかねー。
この日の出演で、ファンのみならず一般視聴者にも「THE ALFEE = SWEAT &TEARS」という刷り込みはある程度出来たんじゃないかと思うんだよねー。
TVに関しては事故的な失敗談が目立つバンドだけども←
この出演は指折りの成功例だった気がしますねー。

プロモーション期間での夜ヒット出演はこの日だけでなく、イベントの直前・7月30日にも出演。
当時ベストテン系以外では唯一と言って良かった大型音楽番組、毎週リリースされる数多い曲を差し置いて、1週間空けてもう出れるというのはかなりの好待遇♪
その辺りは、ポニーキャニオン所属という利点があったのはもちろん、組織の力結集してBAY-AREAの最後の一押し!という意味はあったんでしょうねー。
まぁ、バンドとしては数日後のイベントの大詰め・最終作業中にそんな仕事入れたくはなかったのが本音でしょうがー(бвб)
王子の目の引っ込み具合がハンパなかったし川・.B・||←
今映像を見返すと、3人ともなんとなく心ここにあらずな感じがしないでもない。
まぁステージに上がる出演者であると同時に営業の最前線なのが芸能なので致し方ないよね(^_^;)
そんな感じだけど演奏に入ると一変、力入れつつもカメラ寄りでリアクションとったり目線合わせたり、何度かTVで歌った事による余裕があった気が。
エンディングのかき回しでは当時のお約束
川・.B・||<東京湾で待ってるぜー!みんなー!!
もあり。
また古館さんがえらいヘドバン気に入っちゃって、率先してスタジオ盛り上げようとしてましたねー(=´ω`=)
王子と古館さんが急速に仲良くなったのってこのぐらいからかなー?
同世代なのはもちろん、バンドのスタンスとかも気に入ってくれてたよね。
二度の出演とも、かなり荒いんだけどライブ感溢れる・しかもアンコール時のような熱と魂が注入された演奏・歌だったなー♪
これを見てTOKYO BAY-AREAの会場に足を運ぶ気になった視聴者がいたかどうかはわからないけど、少なくともファン(特にツアーに参加できなかった)のテンションと想いを凝縮して8月3日に向かわせる前哨戦としてはかなり効果的だったよね。
多分、このぐらいから「TVを使う」事にも長けてきたような気がするー。
それまでのTVに踊らされてる感は、少なくともこの曲に関してはなかったよね。


それらの作用はベストテン番組も同じ。
夜ヒット初出演の翌日、「ザ・ベストテン」のランクインから始まって、上手い具合にTOKYO BAY-AREA直後当たりまではベストテン圏内でした。
この間約半月ちょい・1ヶ月満たないぐらい。
オリコンチャートも同様な感じで、結果的には残念ながらリリース毎に短くなってきたサイクルを覆すようなカンフル剤にはなり得ませんでした・・・が!
この曲に関しては同時期・以後の作品とは明らかに違う動きがありました。
というのは、BAY-AREAまでの数週間(まぁ2-3週間だけだったですがー)、初登場から圏外に落ちるまでほぼ上位層に君臨。
「歌のトップテン」に至っては2週目に
☆1位を獲得☆@これがTVのベストテン番組では最後の1位
オリコン初週3位、以降それなりに落ちてる事からも、2週目にトップに上がったのはリクエストの集計がずば抜けていたであろう事は言うまでもなく。
もともとリクエスト関係には定評と実績があるALFEEファン@ある意味悪評←
そのパワーがこの曲では凝縮して発揮されたって事だよねー。
BAY-AREA直前の浮かれたテンションもあったんだろーけど、それよりも
この曲を知って欲しい
というファン一人一人の強い想い・願いが形になって表れた結果だと思うのよ。
まだまだ世間一般には知られていないであろうALFEEのコア・真の姿。
このストレートなメッセージソングは、ファンにとってそれだけ待ち焦がれたシングルタイトルチューンだったんだよね(*´ω`*)
ランクイン時はまだ春ツアー中だった事もあり、二つの番組どちらも初週はツアー先からの中継。
この歌でライブ会場、しかもアンコール前とかアンコール後の客席のテンション。。。。
最強じゃねぇかぁぁぁぁぁぁ (๑・ω・๑)
この画面見せときゃ何も言わずとも伝わるおね。
アンコールのノリそのままなのでステージもそのテンション、勢い余ってハンドマイクで前に出て歌うシーンなどもあったり。

どっちの番組も1時間、持ち時間は夜ヒットよりも相当シビアになるので歌はどうするのかなーと思っていたら。。。
歌前に入る司会陣との若干噛み合わないトークを極力削りー←
さらっと紹介して歌う時間を確保。
間奏・後奏のフレーズをもう少し詰めてワンハーフしっかり放送時間に入るように調整。
どの番組でも曲に対する想いや要望をスタッフとの事前ディスカッションしっかりやった結果だとは思いますが、TVスタッフの皆さんも協力的だったおね(=´ω`=)
それはこれまでいろーんな事に協力し、放送事故レベルの扱いでも決裂せず上手いことやってきたからこそだよね(´-∀-)
まぁインタビューが短くても、曲のイントロが長いので歌に入るまでのアナウンサーや司会の前口上である程度情報を入れられるから、ってのもあったんだろーけどねー。
そのおかげで後奏も演奏でき、しっかりと最後の
ヘドバン川・.B・||))///。.B。///))川・.B・||))///。.B。///))
も魅せる事ができますた。@ここ大事

ベストテン番組出演時、最大のハイライトは7月31日の「ザ・ベストテン」出演。
この日の出演は
TOKYO BAY-AREAからの中継
この日は現地リハでの音出し中?では多分ないよね?
特効の確認とかで現地入りしてたんだったのかなー?
なにせ現地で当日のメインステージの上から歌う、というかなり大胆な出演ですた!
白で統一された二段のステージも、もちろんあの中央階段も丸見え状態。
本番前3日前に隠すことなく晒してしまうこの懐の深さよ←
まぁあれだけ巨大なステージは隠しようもなく、少なくとも現地近くに行けるのであれば全容はほぼ見えてしまうんだけどねー。
実際、当日TDLからBAY-AREAに向かうツアーバスの中で、結構遠くからセット見えたし。
それにしたって、当時はもう全国に見せてしまっていいのだろうか。。。。と想いつつも、3日後には自分もあの場所にいるんだという高揚感は相当煽られたおね。
イベント前のTV出演はこの日が最後。
参加するファンの想いが最大限煽られたのはもちろん、あれを観て行って見ようかと思う視聴者も極小数ながらいたんじゃないかと思われ。
ファンとしては感無量だったよねー。
うっわー!すっげー!!\(^o^)/
という興奮が脳内支配して心はすでに現地に行ってしまった記憶。
また番組側も相当頑張ってくれ、この日4位という順位にも関わらず6分以上の尺を使ってくれました。
おかげで現地の話はもちろん余裕を持った演奏もでき、
川・.B・||<東京湾で待ってるぜー!みんなー!!
というキメ台詞もしっかり叫んで中継終了。
イベント直前・最後のPRとしては最高の形で終われたんじゃないですかねー。

この現地からの中継、今にして思えばフジ・サンケイグループ主催のライブをTBSが大々的に宣伝に力を貸し、また一番先にステージを晒してしまって問題なかったのかな?などと思ったりしたんだけどもー。
番組スタッフにしてみりゃそんなん関係ないわな (๑・ω・๑)←
彼らにしてみりゃその日視聴者が食いつくいい映像が撮れればいい訳で、10万人が集まる予定のライブ会場の絵が流せれば最高だしねー。
それに86年と言えばこの手の番組も少しずつ衰退の一途をたどり始めていた頃。
ランクインする出演者の主流も演歌・歌謡曲からロック・ミューミュージックのシンガー&バンドへ移り、その占有率もかなり多くなっていた時期。
当然、そんな出演者達のメインフィールドはTVではなくステージと創作活動。
週によってはツアー中、オフ、レコーディングなど様々な理由で出演できない方々も多く、1時間10組と言えどその半分も揃わない事も増えていた時代。
番組を成立させるのにスタッフも四苦八苦してた時代だと思われ。
そんな頃だったので、この中継はある意味この週の目玉企画だったんじゃないですかねー。
そう思えば、6分以上の尺も納得行くおね。
そして、現地ステージからの中継。。。と言えど、ソコは上手く全容を見せないよう工夫もされており。
まずメインステージはTV用に当日より左右を短くスケールダウンして設置していた気が。
さらにカメラもそのメインステージ中央しか移さず、スタジアムのような左右に広がったイントレの壁は徹底して映さなかった配慮もされていたり。
なのであの中継を見て知っていたファンも、当日会場の全容を見て桁外れのスケールの大きさにビックリできますた。
ある意味、当日のセット風の別物ステージの絵だったんですねー。
その辺りが中継を実現させるための、関係各所との妥協点だったんでしょうねー。
それでもTOKYO BAY-AREAのスケール感を垣間見せてイベント気分を煽るには充分。
少なくともファンの心はガッチリ掴んだ中継ではありました。


シングルリリース&イベントのプロモーション期間でのTV出演は短かったですがー、ライブにおいてALFEEの中心曲として長く大事に歌われ続けているのと同じように、長い活動の中でTVで披露する機会も比較的多く。
リリースのない夏イベ前とかねー。
星空のディスタンス」「メリーアン」に次いで多いんじゃないかなー。
近年だと「堂本兄弟」でよく歌われてた印象。
きくち伸プロデューサー自身が俺たち同様のファンでこの曲に思い入れ持ってくれてたのもでかいんだけど、D.B.Bライブでの王子持ち曲・ALFEE持ち曲は必ずこの曲だったよね。
KINKIやバンドメンバーも楽しそうでいい演奏ですた(*´ω`*)
出演者全員に愛され尊敬されてるのが実感できるから、見てて暖かくなるおね。
記憶に新しいのは、堂本兄弟終了も押し迫った去年の王子還暦記念京都ロケのでの歌。
ALFEE側は王子だけだったけど、トークメンバーだけでの
アカペラのSWEAT & TEARS
これが素晴らしかったー( *`ω´)人(бвб)
KINKIや総ちゃんというトップアイドル、タカノリ、マッキーなどの実績と実力を兼ね備えたシンガー達が一同に介して、王子の為にこの曲を一緒に歌ってくれる感動、それな(бвб)
アレンジも素晴らしかったし、TVの企画でこんなに嬉しくなる事はそんなにないよね。
D.B.Bの中でトークメンバーだけでも一つのグループとして機能してたんだなーと実感。
あの瞬間は明らかにセッションではなく「バンド」だったよね。
そしてこの人はこの輪の中心にいた。
弄られ愛され、そして尊敬される出演者みんなの(もちろんホストであるKINKIの二人とはまた違った意味での)リーダーとして10年間引っ張ってきたんだなー。
その関係性が垣間見えるような歌ではありましたよね。
またちょっと前にはフォーク村で幸ちゃん×ももクロのアコースティックアレンジでの演奏もありますた。
彼女達がしっかり曲を把握してくれ、自分たちなりの解釈で歌ってくれてました。
発信力の強い若手達が歌ってくれる事により、時を超えて現代のティーンエイジ達に届く歌。
時代も違えば情報量も違う。
物事の考え方も相当変わってるかもしれないし、歌の捉え方ももしかしたら違うのかもしれないけど。。。それでも自分たちが熱狂した28年前の歌を今の自分たちに重ねて聴いて歌ってくれてる事がファンとしては嬉しいし誇らしい。
ファンの外のティーンエイジ達が「ALFEE = SWEAT & TEARS」って認識してくれていれば。。。。それは素敵な事だよね(=´ω`=)

こうやって28年間、幾度となくTVでも披露されてきましたがー、その中でも我々ファンにとって一番印象深い「SWEAT & TEARS」、きっとコレなんじゃないかなーと思うのが・・・・・


続くー



SWEAT & TEARS
作詞/作曲:高見沢俊彦
編曲:ALFEE
シングル「SWEAT & TEARS」(1986年)
アルバム「AGES」(1986年・album.mix)
アルバム「ONE NIGHT DREAMS」(1987年・live)
アルバム「HIT SINGLE COLLECTION 37」(2004年・re.take)
アルバム「STARTING OVER」(2006年・re.take【Medley】)収録

2015年01月18日

2015年

あけましておめでとうございます(๑・ω・๑)

年も明けてまる3週間が経とうとしている今更ではありますがー。
しばらく更新が滞っておりましたが、実は昨年の秋に長年愛用していたパソコンがお逝きになられまして( ´・ω・`)
スマホで代用しようかと思ったんだけどやはりやりにくくー。
とりあえずこのブログ投稿とネットだけ出来ればいいかと思い、年末前に思い切って安いノートPCを購入。
それまでずっとXPとたまに親の7で、このマシンで初めて8.1になったので多少戸惑う事も多く-。
ノート特有のタッチにも馴れて、ようやく年明けぐらいから下書き再開。
年末までに終わらせようと思っていた「SWEAT & TEARS」、かなり予定が狂ってしまい。
さすがに春ぐらいまでには完成させたいなぁ。。。。という希望を持っております。
去年のシングルやアルバム、夏イベ、秋ツアー、さらにこの1月の桜井さん還暦&2500回ライブとかあるし還暦記念のヤツとか書きたいこと山のようにあったんだけどー、そっち気にしてたら筆が進まないのでとりあえず今やってるヤツ完結するまで考えない事にしますた(๑・ω・๑)←

4ヶ月近く更新してないのでこのブログの存在を忘れてしまった方も多いでしょうが、見て頂ける皆様
本年もよろしくお願いいたします♪

「SWEAT & TEARS」書いてる途中ですが、ちょっと休題。@番組の途中ですが的なね←
本日、明けて昨日から秋ツアー
THE ALFEE 40th Anniversary 2014
GENESIS Ⅱ

がスタート。
個人的にもろもろあり、夏イベや40周年記念ライブ(まぁプレミアムメンバーどころか未だマニアにも入ってないから行けるわけないのだが)はもとより、20年以上振りに春ツアーを我慢。・゜・(ノД`)・゜・。
今秋ツアー、1年半振りの金沢もあるんだけど運悪くその日仕事休めず( ´・ω・`)
しかし、その分この秋は日曜から月曜にかけて時間的余裕が出来たので地元行けない分どっかしら行くつもりでチケット探そうと思っとります。@今週末の名古屋余らしちゃってる方いたら、席不問・当日手渡し可能な方で1枚急募です←
2年に渡る40周年キャンペーンの締めくくり、どんなセットリストになるのか楽しみですねー\/
祭りの最後(毎回・毎年祭りみたいなもんではあるが)、盛り上がっていこー\(^o^)/


この夏、なんかいろいろあったねぇ。
AGR第二弾やシングルとかTVもNHKで不定期の冠番組(あれ第二弾あるんだろーか)があったりもう忘れてることも多く←
書きたいことが沢山あったのだが、書けずに終わりそうである(๑・ω・๑)←
そんな中、40周年記念日からTwitterでちょっと盛り上がってる事がありまして。
#ファンが語る今年デビュー40周年のTHEALFEEのマジで凄いところ
というタグが出来。
普通なら額面通りの捉え方でツイートしてるとそんなに盛り上がる物でもないし、盛り上がったとしても1、2日で終息するもんなんですがー。
初日にネタ的な方向で火がついてからまぁ盛り上がる盛り上がる(笑)
ネタの方向に振った投稿をしまくった1人である(๑・ω・๑)←
ネタ的ではあるんだけど、その内容の9割以上が
実話だから困る(бвб)
まぁ40年以上分の伝説・逸話てんこ盛りでこんな事あったねー、あんなのあったねーとみんなよく覚えてて
もう本にしてもいいレベル←
幸二のオモチャにされ具合
賢の残念具合
そして王子のぽんこつ具合川・.B・||

41年目に入ったバンドの足跡を存分に振り返り笑えるタグになってます(๑・ω・๑)
あれから約1ヶ月半、今もゆるゆると投稿が増えているのでアカウント持ってる方は是非閲覧&投稿してみてねー。
また投稿をTogeterでまとめて管理してくれてるフォロワーさんがいるので、そっちでも覗いて見てくだされv(。・・。)
togetter #ファンが語る今年デビュー40周年のTHEALFEEのマジで凄いところ

もひとつ。
atelier laureaというスワロフスキーのデコレーション・オーダーをやられてる方なんだけど、春ツアーグッズのRadical teenagerバンドのデコレーションオーダー受けたら、出来上がったものがなかなかの反響でファンの間で流行ったよーで。
写真貰ったのでこんな感じ↓

rt1
rt2
rt5
rt4
rt3


ちなみに還暦祝いで赤使う率が多かったらすい
こーいったグッズもカスタムでワンオフ的にできるんだねーという一例。
あ、もちろん自分で買って所有してるグッズを持ち込みでね!@ここ大事
バンドだけじゃなく、昔のグッズTシャツとかエコバッグとかカスタムしてみるのもいいよねー@という名のお店のCMであった←
もちろんiphoneケースを始め普通のオーダーも受け付けてるので是非―(との事です)
atelier laureaさんのサイト


そして最後に。
こないだ発売されたALFEEぴあ。
本編3/1じゃねーかとか、むしろ地球音楽ライブラリー増補版がメインやないかとかは置いときまして←
裏表紙にスッゴイのキテタ――(゚∀゚)――!!
まだツアーで買うの楽しみにしてる人いっぱいいると思うから書こうかどうしようかと思ったけど、今日オフィシャルにも載ったからいいよね。
40周年ドキュメンタリー映画化決定!!
うむ、人によってはあんまり反応なかったりするんだけどー、個人的には一昨年の夏イベ決定時以来ぐらいに震えますた。
山のように眠ってる、それこそ大袈裟じゃなく何万時間という未公開映像の一部がついに世に出る時が来たかー!!
TOKYO BAY-AREAのアンコールとか、日本平のAcousticコーナーとか出るかなー♪
昔の武道館の映像とか来るかなー。
ツアー中のオフショット映像とかツアー前のリハーサル・ゲネプロ・立ち稽古風景あるかなー。
レコーディング風景とか出るかなー。
いやー、どんな感じになるんだろーか。
過去映像垂れ流す訳じゃなく、メインは関係者インタビューガッツリ入れて振り返る感じっぽいので、一番気になるのは監督!
監督の人選・解釈次第でどんな方向性にも触れるしねー。
AKBのドキュメンタリー4作品全部見てよーく解ったお←
個人的にはあんまりファンに配慮せず、独自の切り口でちゃんとした「作品」として見たいなぁー。
2時間ぐらいになるのかねー?
なんせ1作品だけでまとまる気がしねぇ(бвб)
普通にやったんじゃ絶対まとまんないし、担当される監督さんは思いきってやって欲しいねー。
早春って書いてあったから、2月3月にはもう公開なのかねー?
これは楽しみ\(^o^)/@金沢でロードショーがあるのかどーかが疑問だが
今回は結局これが書きたかったのである(๑・ω・๑)


2年にわたる40周年もこの3ヶ月が最終章!
年末・ファイナルまで完全燃焼で盛り上がって行きましょー( *`ω´)人(бвб)
さー、チケット見つかるかなー( ´・ω・`)

続きー



この曲をシングルタイトルとしてリリースする事を英断出来た一因の一つとして忘れちゃいけないのが
THE ALFEE 1986.8.3
SWEAT & TEARS TOKYO BAY-AREA
の開催。
このイベントのPRソングとしてこれ以上ハマる曲はない訳だし、大体がイベントタイトルに曲名入ってるしね。
前年・前々年、イベント前の6-7月頃はシングルなりアルバム曲なりをTVで歌う(当時はベストテン番組&夜ヒットが主だった番組でしたが)際にイベントPRをしてきましたがー、この年のPRはそれまでと趣旨というか中身が違いましたよね。
これまでのイベントであれば発売即日SOLD OUTなので、ニュース的な意味合いの「イベントやるんですよー、イベントもうすぐなんですよー」というPRでしたがー、このTOKYO BAY-AREAの一つの特長は
売りきれナシ
来たいヤツ・来れるヤツはみんな来い!が一つの売りになっていたので、夏前のこの時期でもチケット絶賛発売中。
つまり、近況・ニュース的な活動報告だけではなく
販・売・促・進
という、大義名分を背負ったプロモーションではあった訳ですね(бвб)
チケット発売初日で7万席を売っていたとはいえ、PROJECTⅢとしては最低限横浜スタジアム3Daysの3日間9万人と同等・それを超える動員を目論んでいただろうから、まだまだ届かずと行った所だったのかなー。
まぁあれだけ広大な土地でいろいろ仕込んで巨大なステージ立てて、交通やらもろもろ協力して貰って・・・ってなると、例え10万人超えてたとしても採算全く合わなかったんだろーけどねー( ´・ω・`)
冠付くようなメインスポンサーがいた訳ではないので余計にね(^_^;)
そうなると積極的にPRして、1人でも多く・少しでも収益に・・・と、例年より力は入るだろう事は想像するに容易いですねー。
そう考えると当時TV出演の際、再三王子が叫んでいた
東京湾で待ってるぜー!川・.B・||
がかなり切実な言葉に感じたり。
ホントに待ってたんでつね(๑・ω・๑)←
となると、濃いオーディエンス以外の層に「そんなライブがあるなら行ってみようかな」とより強くイメージを刷り込むには、ラブソングでプロモーションをかけるよりは歌そのものにメッセージであった方がいいよね。
またPRだけであれば夜ヒットで歌うアルバム曲・未発表曲でもいいんだけど、「販売促進」というプロモーションであるが故、ベストテン番組でのPRも不可欠。
やはりシングルタイトル曲としてリリースする必要があった訳ですよねー。

このイベントで歌う事を想定した上で詞を書いた、という事もあるだろうしねー。
10万人規模のオーディエンスのエネルギーを受け止め、倍にして返せる懐の深く広い歌。
相当のプレッシャーを感じつつ向き合って出来上がったのがこのスケール感なんでしょうね。
ソングライターの想いと現実的な営業(笑)の思惑が合致したのもシングルタイトルとしてリリース出来た一因ではあるでしょうね。
ファンの中では、イベントではこの曲が柱になるんだろーなとは想像ついてたけど、音源解禁になりシングルリリースが近づくにつれステージ上はもちろん、TVなどでも歌い「東京湾で待ってるぜー!」と呼びかけ続け、いつしかファンの中により強く
TOKYO BAY-AREA = SWEAT & TEARS
という認識が生まれ。
この曲を聴くために参加する、この曲の元に集う、という名実ともに
イベントの旗印
としての役割を担うようになってましたねー。
そういった意味、TOKYO BAY-AREAというイベントにおいては、この曲をシングルとしてリリースしたは大成功だったと言えるんだろうなー。



さて・・・・この曲が導いた夏のイベント・TOKYO BAY-AREA
前年・横浜スタジアム3日間満員にしても尚「チケットが買えない・ステージが見れない」という要望が止まなかった1985年。
だったら売り切れ出ないぐらい席が用意出来る広い所でやったろうじゃないか!川・.B・||
という想いを実現させた大イベント。
場所は東京都が所有する東京都江東区青海1丁目13号埋立地。
当時は海の科学館以外に何の建造物もない、見渡せば360度地平線でとても東京湾に囲まれてるとは思えない真っ平らで広大な土地。
夏イベ候補地の一つとして上がったのは84年だったそうで。
横浜スタジアム完売を受けて、これる人はみんな来れるライブを・・・という構想から始まったらしく。
ツアーで羽田から行き来する機上の中で、眼下に見える広大な土地を使えないかな?という所で目を付けたらしいですねー。
実際に動き出したのは夏から秋ぐらい。
当初85年の夏イベ候補地として交渉していたようですがさすがに間に合わず、ギリギリになって今年どうしよう?となった時に
一応リザーブとして横浜スタジアム3日間押さえてありますけど@棚瀬さん談だったかな?
という朗報があり
!!それだ!!川・.B・||
という事で85年の夏イベが決まった逸話があったり。
その後も粘り強く交渉を重ね、関係各所を含め本格的にGOサインが出たのは86年の2月。
前年の武道館で王子が
来年は東京湾の海の見える所でやるぞ!川・.B・||
と言ったようですが、その時はまだ見切り発車だったらしいですねー( ´・ω・`)
・・・頓挫してたらどーなってたんだろーか。
若さと勢いって時に恐ろしい←

そんな経緯で開催されたTOKYO BAY-AREA
13号埋立地、当時の土地は東京都23区の3つの区が分割して所有。@会場になった箇所は江東区
土地の借入交渉もさる事ながら消防や警察、ありとあらゆる省庁に許可取って都営バスにも全面協力してもらって・・・・などなど、スタッフはかなり大変な作業だったと思われ。
結果貸してもらえたのは、それまでの実績や3人&スタッフ一丸となったALFEE’S CREWの熱意があったから・・・・などと、当時は10代の自分は単純に思ってたんですがー。
30年近く経ち、中年まっただ中になった年齢になって思い返せば
。。。。
よく貸してくれたよね??
そして特効や交通、トイレなどの簡易公共施設こ含め
よく許可出たよね??
考えれば考えるほど不思議だったり。
どうかんがえてもさー、芸能の1バンドのライブの為にここまで譲歩してくれるのって考え辛いんだよね( ´・ω・`)
じゃぁ開催出来た要因をもう一度考えてみると。。。ALFEE’S CREWの熱意だけではない、いろんな思惑が合致して出来たんじゃないかなー?と思うんですよねー。
【こっから先は一個人の想像の話です】
その背景に何の目的・思惑があったのか・・・推測するに
13号埋立地そのもののPR
だったんじゃないかな?と思うんですよね。

その思惑を抱いていた関係者、すぐに思いつくのが
フジ・サンケイグループ。
13号埋立地、現在どうなってるかというとみなさんご存じの通り
お台場ですよね。
今や東京を代表する一つの繁華街、そしてその中心にあるのが
フジテレビ本社屋。
河田町から移転してきたのはTOKYO BAY-AREAから11年後の97年ですがー、実際に移転が決まったのはそれよりかなり前。
10回目の夏の時だったかなー、バイクで行っていたので、ついでに今どうなってるのか見に行って見たんですが、その時はもう建つこと決まってた記憶。
そしてその移転計画が最初に浮上したのがいつだったのかな、と調べてみるとー・・・どうやら
1984年
見事にイベント開催地を探し始めた時と一致するんですよね。
衛星放送の対応、デジタル化、スタジオ増設などの問題で、将来を見越すと前社屋ではもう対応できなくなっていたそうで、それでも当時は移転候補地の一つに過ぎなかったみたいですが。
もろもろの条件や地価の関係上、長年の議論の末最終的にお台場に移転が決まった経緯があるようで。
また、社屋そのものを観光地化してそこからの収益も得たい以降があったようで、その点でも一から都市を築けるお台場移転を後押ししたらしいですねー。
13号埋立地を移転計画の候補地にしたフジテレビ、その土地でイベントを行ったALFEE。
そして当時ALFEEが契約していたレコード会社は、同じフジ・サンケイグループのポニーキャニオン。
・・・
偶然とは思えないよね?
それを裏づけるかの如く、TOKYO BAY-AREAに主催・後援等協力していた企業を見てみると
主催:ニッポン放送/フジテレビ/86.8.3プロジェクトチーム
後援:キャニオンレコード/サンケイ新聞

グループ総力上げてガッツリです!
ガッツリです!!(бвб)@大事な事なので二度
相当な資金が必要だっただろうと思われるTOKYO BAY-AREA。
そして当時は右肩上がり以上の伸びを見せていたフジテレビとフジ・サンケイグループ。
協賛や協力ではなく主催側にフジテレビの名があるという事は、開催資金のほとんど(全部とうと言い過ぎなのかな?)はそこから出てたんだろうな、とは想像できますよね。
そしてその資金はお台場移転計画の予算から算出されている物じゃないか、と考えてもおかしくはないかと。
ALFEE’S CREWスタッフがイベント開催候補地の一つとして目を付けた、という話にはなっているけど、実際の所はフジテレビやポニーキャニオン側からの打診や推薦的な物があったんじゃないかなー?
もしくは会議などで開催地を実際に絞り込む際に話に出た所で、そこだったら計画があるから丁度いい!とフジ・キャニオン側が乗っかってきた可能性もあるよねー。
少なくともフジの移転計画案とTOKYO BAY-AREAには何らかの関係性はあった、ぐらいには考察できますよねー。

そしてもう一つ考えられるのが
東京都そのものの思惑も絡んでいた可能性。
当時、東京都はこの13号埋立地や有明周辺を中心とした「臨海副都心計画」を立ち上げ、この土地への企業・商業施設誘致をかなり積極的に行っていたようで。
また当時の都知事だった鈴木氏が「情報が集まる所に人が集まる」との考えを持ち、エンターティメントの誘致を考えていた事もあり、その点ではフジの移転計画はもってこいの話だったらしく。
しかも移転計画を考えたフジの人と鈴木氏は元々親交の深かった関係のようで・・・むしろ、鈴木氏の方からフジにアプローチかけた可能性の方が高そうだよね。
いくつもの移転候補地から13号埋立地が残ったのは、この関係の力が大きそうだよねー。


当時ヒット連発・ライブ本数&動員も多く、KING OF LIVEBANDの一つとして上げられたALFEEですが、だからといってそれほど世間に影響力があるわけでもなく。
むしろ時代のメインストリームにならないのがウリなんで(๑・ω・๑)←
にもかかわらずフジ・サンケイグループと東京都、この2者がTOKYO BAY-AREA開催をバックアップする事で何を得るのか?
それは
土地そのもののPR
だったんではないでしょーか?
都を上げた「臨海副都心計画」とはいえ、場所や立地条件など知名度は多分皆無。
まずは13号埋立地という場所があるんですよ、という事を東京・関東だけではなく日本国内で知って貰う、知名度向上の必要があったんだと思われ。
他にもいろんな業界で様々な方法で仕掛けてはいたんだろーけど、コレに関しては若者中心に興味を持ってもらうための一貫として協力してくれたんじゃないのかなー。
実際自分もこの開催で初めてこんな場所がある事を知ったし、同じようなファンは数多いよね。
都内や首都圏住まいのファンであっても知らなかった人は少なくないんじゃないかなー。
まずは13号埋立地って何処よ?から始まるもんね。
しかしそれだけではALFEEファンと一部の音楽ファン以上には広がらず、東京都としてはお世辞にも効率のいい宣伝効果とは言えないと思うんですがー・・・・そこにもう一つ、
10万人
というキーワードが付くとどうでしょう?
少なくともファン以外に広がる、興味を引きつけるキーワードではあるんですよね。
ALFEEが東京で10万人集める野外ライブをやる←そんな場所東京の何処に?
という所で「10万人」が付くだけで場所を知ってもらうチャンスの広がり方は段違い。
若者だけではなく、一般の方々にすら多少の興味は持ってもらえるよね。
そして場所の知名度向上という点ではフジ・サンケイグループの思惑も多分同じであり。
両者の目的、狙いを成功させるにはもちろんALFEEじゃなくても良かったはずだし、もっと宣伝効果があり同じ規模の集客ができるバンドやシンガーも少なからずいたはず。
また何もコンサートに限らなきゃいけない話でもないし。
駄菓子菓子だがしかし!
見たいヤツはみんな来い!川・.B・||を実現させうる広大な場所を本気で探し、何万人集まるか解らないそんな酔狂なライブイベントを当時やろうとしていたのは
多分ALFEEE’S CREWのみ!
そしてそのバンドは偶然にもフジ・サンケイグループ傘下のポニーキャニオンに所属。
臨海副都心計画を進行させたい東京都、本社屋を中心とした都市構想を持ちソコに移転場所を決めたいフジテレビ(の、一部の派閥なのかな?)、そして情熱を持ってライブ開催地を探していたALFEEとそのスタッフ達。
偶然か必然か同じ時期に3者の思惑が合致した。
それがTOKYO BAY-AREAというイベントだったのかな?と今となっては思う訳ですよ(бвб)
主催側に参加している「86.8.3プロジェクトチーム」の中には、フジ・サンケイグループの人間はもちろん、東京都から出向・参加している人達もいたのかもですね。

結果としてイベントのPR効果がどうだったのかは解らないけど、その後すぐバブル景気が最盛期を迎えると同時に川崎や品川・芝浦など同時多発的に東京湾の湾岸地域に若者が集まる施設が次々とでき、そんな湾岸地域の象徴としてライブタイトルに使われた「ベイエリア」という言葉が定着した80年代後半の時代がありました。
そして13号埋立地の開発も本格化し、レインボーブリッジやゆりかもめなど交通網の整備、バブル崩壊や都市博中止の暗雲もあり滞った時期もありましたが商業施設なども続々と誕生し、97年にフジテレビが移転。
今や東京の一繁華街となった
お台場
の基礎が完成。
BAY-AREA効果の程は別として、結果としてなんにもない広大な広場で行ったあのイベントから始まって、今や東京・首都圏を代表する街がある。
それが事実としてありますよね。
・・・と、こう考えていくと当時こんな桁外れの大規模ライブが実現出来た事や大量の火薬を導入できた事、関係各所が協力的でスムーズだったって事がすんなり納得できるのよね(бвб)
2年かかったのは、場所自体の問題よりも消防や警察などの国との交渉、そして交通の問題なんじゃなかろーか?
当初85年開催目指してたのは、東京都やフジのバックアップがあるから交渉も甘く見てた所があるのかもしれないよね(笑)
また正式決定出る前に王子がフライングしちゃったのも、バックアップがある安心感があったからなのかも。
ホントかどうかしらないけど、都内走らすバスの本数減らしてまで都内から都営バスかき集めたって話もあったりだし。
13号埋立地周辺のマイカー規制もかなり大規模だったみたいだしねー。
誰もやった事のない規模のイベントを交通の便悪い場所でやり、なおかつ特に大きな問題を起こすこともなくやりとげた。
少なくとも別の力や思惑が働かなければ実現は出来なかっただろうな、とは思うよね。
収容人数や規模は後に破られていく訳だけれど、ライブの成り立ちや質(コンサート内容という意味ではなく)というのは相当特殊。
この後も続いていくALFEEの夏イベ、という所に限定してもかなり異質ではありますよね。
いろんな偶然が重なり合って結びつき実現した、文字通りのONE NIGHT DREAM。
ただ根本にあったのは「売り切れが出ないイベントをやろう!」「東京でやろう!」という、ALFEE&スタッフの果てしない欲求と情熱だったのは間違いなく。
肝心の発信媒体にやる気がなければ、どんな思惑も机上の空論にしかならないしねー。
構想から2年という短期で実現できた訳だけども、これこそ
諦めない夢は終わらない
を身をもって証明したイベントだったかもしれないですねー。
そしてこの成功が、後のみなとみらい周辺で行った数度のイベントに結びついてる気が。
出来る限り企業の冠スポンサーは付けない、という方針でずっとコンサートツアーや夏のイベントを行ってきたALFEEですがー。
イベントに関しては、開催都市からのしっかりした協力が得られていたから逆に冠スポンサーは必要なかった、と言えるかもしれないよね。
これから開発が始まる埋立地でのライブは、世間に向けて場所の知名度を上げると同時に景気づけ・地鎮祭・そしてファンの地固め(笑)等
都市のこけら落とし
としての役割を担っていたのかもしれないですねー。
両都市とも発展した今になって感じる事ではありますが。



決定したイベントが6月・7月と近づくに連れ、比較的野面でのほほんとしている3人の精神状態もプレッシャーでさすがに尋常ではなかったようで(бвб)
後日談として「俺達これからどうなっちゃうんだろう」それぞれが感じていた事も話してるし、我に返った時に自分以上の何かになってるような恐怖感もあったみたいですね。
特に王子の重圧はハンパなかったろうねー(^_^;)
当時のBAY-AREA直前のインタビューとか写真の目つきとかやっぱりちょっと変な所あるもん。
バリバリのハードロッカーの風貌なのに長髪の頭頂部を無造作に逆立てて
俺はパンクだ川・.B・||
とか言っていみたり←
いきなり本気のフルコーラスでDeep Purpleのコピー演奏したりねー。
このツアーでの演奏曲もオープニングナンバーからどんどん変えたってのも、襲ってくるプレッシャーをはねのける為の何らかの方法だったのかもしれないよね。
ステージ上での弾け具合も半端なかったし、荒々しかったよね。
多分、ステージ裏でシャンパン・ワイン等瓶毎ラッパ飲みで一番飲んでたのもこの時期なんではなかろーか。
そんな中で自分以上の虚像にならなかったのは、次男坊グループだったり3人の関係性だったり、「メリーアン」までの長い時期に見聞きして蓄えた知恵だったりしたんでしょうが。
この「SWEAT & TEARS」という曲自体が、TOKYO BAY-AREAというイベントへのプレッシャーに対する3人のよりどころになってた気がしないでもない@と、強引に曲の話に戻すなど(๑・ω・๑)
この曲を演奏し歌う事により、歌に乗せていろんな重圧を解放して自分達のエネルギーに転換出来てた気がするなー。
規模や人数ではなく、ファンもメンバーもスタッフも、
この曲の下に集う
というシンプルな共通意識があったからこそ、平常心とまでは行かないけど浮つかなかったんだろう、とは思うよね。
そこで気付いた事や改めて考えた事が「ROCKDOM」という作品を生み出し、このバンドを終わらせなかったんだろうなー。
そういった意味でも、BAY-AREAのプロモーションとしてこの曲をシングルで切って大正解だったんだろうね。
TVで普通にラブソング歌ってたらもっと変な事になってた気がするわ(・_・;)
しっかりカメリハやってるはずなのにフレーム外れて動き回ったりとかが、この曲だったから許された感はあるよね(T∇T)
ファン達の期待感やエネルギーだけでなく、あの時期の彼らのプレッシャーや迷い全ても「SWEAT & TEARS」が受け止めて包み込んでいたのかもしれないですねー。
だからこそ、この曲は今もあの頃の熱と輝きを放ち続けてるのかもしれないですね。


続くー



SWEAT & TEARS
作詞/作曲:高見沢俊彦
編曲:ALFEE
シングル「SWEAT & TEARS」(1986年)
アルバム「AGES」(1986年・album.mix)
アルバム「ONE NIGHT DREAMS」(1987年・live)
アルバム「HIT SINGLE COLLECTION 37」(2004年・re.take)
アルバム「STARTING OVER」(2006年・re.take【Medley】)収録


2014年08月25日

SWEAT & TEARS / 第一章

・゜゚・:.。..。.:*・’’・*:.。. .。.:*・゜゚・
Happy 40th Anniversary for THE ALFEE
・゜゚・:.。..。.:*・’’・*:.。. .。.:*・゜゚・

愛と夢と希望を歌い続けたお笑いロックバンド・40歳の誕生日!←
ついにこの日が来たねぇ。・゜・(ノД`)・゜・。
その日になってみるとあっけないもんだけど、40年前の今日に「夏しぐれ」が発売されたんだなーと思うと感慨がじわっとくるおね(*´ω`*)
そして個人的にも出逢って31周年の夏になります。
・・・・
長っげー付き合いになったなぁー(бвб)@このブログももう6年目の夏である(๑・ω・๑)
そんなデビュー記念日、3人に敬意と感謝と最大限の思い入れの念を込め、個人的には満を持して、という感じで何年か前からこの日に・・・この日からアップしたいなーと思ってた曲に取り組んでいきます@もちろんまだ序の序である
多分このブログ史上、今後いつまで続くか解りませんが
最長の文量にはなるはず。
年内・・・下半期いっぱいで書き上がればいいかな、ぐらい気持ちで←弱気
さぁ!始めるか!!


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



【1986年、6月の最初の土曜日?5月の最終土曜だったかもしれない。
一週間のルーティーンになっていた、午後9時から始まる愛してやまないバンドがパーソナリティのFMラジオ番組。
この日の放送は待ちに待ったバンドのNewシングル音源解禁日。
早く聴きたいのはもちろん、バンドのツアーがこの街にやってくる直前だった事もあり、少しでも早く覚えようという思いでいっぱいだったのかもしれない。
その曲はツアーの重要なポジションで歌われているというので尚更。
そして間近に迫った梅雨が終われば、前人未踏の野外イベントが待っている夏がくる。
いつも以上にワクワクしながら今か次かと一喜一憂しながらオンエアを楽しんだ番組後半。
多分番組エンディング前・最後のパートだったと思う。
その曲のボーカルを担当するパーソナリティが1人で曲に対する想いを語り始めた。
何を話したかはまったく覚えてない。
シングルレコードとしては容量ギリギリの長さなのと、長すぎてもこの歌をシングルにしたかった、という話はしたかもしれない。
それほど長い話でもなかったと思う。
でも曲に込めた熱を感じ、リスナーの想い高ぶらせるには十分な内容だったと体が覚えている。
曲名を紹介した後で流れ出したシンセのベンド音、続いて響いたシンセブラスとピアノが同期したファンファーレ。
少しゆったりしたテンポも伴い、「これが俺達だ!」と言わんばかりの堂々たるイントロだった。
血液の流れが速くなり熱が一気に上がり、高揚した体が震えた。
それだけでも充分だった。
ボーカリストの声が今まで聴いたことのない力強さで歌う。
そして最後に叫ぶ。

Sweat & Tears For Lonely Boys Sweat & Tears For Lonely Girls
愛のすべてを信じる心捨てるな!
あきらめるために夢を投げ出すな!
明日を信じて振り向くな 立ち止まるな!

「感動」という言葉にしてしまうには何か違う感情、だけどじっとはしてられない想いに満たされた。
今すぐ大声で叫び暴れ、自分の全てを解放したい衝動にかられた。
自分の心のどこかにあった、自分でも気付かなかった扉の鍵を開けてくれた歌に出逢った。
瞳から汗を体中に涙を感じる時に何かが見えるはず
あの時感じた想い、少し湿度の高かった肌触り、梅雨間近の臭い、18歳の初夏の夜を今も昨日のように思い出せる。
そしてきっと、生涯忘れないんだろうと思う。】



☆ ☆ ☆ ☆ ☆




ALFEE通算23枚目のシングル(ポニーキャニオンからは21枚目)として、そして
THE ALFEEのデビューシングルとして1986年夏に発売された
SWEAT & TEARS
言わずと知れたTHE ALFEEの骨・肉・血液を作るバンドの存在意義そのものを表した曲。
星空のディスタンス」「メリーアン」が代表曲・・・いわば玄関口の表札みたいなものならば、この曲はALFEEという家の中心に建てられた大黒柱みたいなもんですよね。
バンドの核曲であり、ファンとの「絆」「約束」が最も強く体感できるライブの中心曲。
ミドルテンポで王子のボーカルによって歌われる言葉は
♪愛のすべてを信じる心捨てるな♪
♪あきらめるために夢を投げ出すな♪
♪明日を信じて振り向くな 立ち止まるな♪

と力強く、そしてかなり解りやすくリスナー・特にティーンエイジを鼓舞する
コッテコテのメッセージソング
86年当時の作詞家・高見沢俊彦の特長を最大限発揮し、ALFEEとしての想い全てとライブでの躍動感そのものを注ぎ込んだナンバー故に、「Gate of Heaven」の様な組曲は別として、普通の楽曲としては当時異例の
6分を超える大作
に仕上がっています。
とはいえ、当時既に5分台の曲は何曲かあったし、今となってはもっと長げぇのいっぱいあるけどね(бвб)←
企業タイアップが無かったものの、シングルとして非常に大事な役割を任された曲でもありました。
まずこの年・1986年、TOKYO BAY-AREAを含む年間を通じたツアータイトルソングとして。
そしてその年の秋に発売予定だったアルバム「AGES」のリードシングルとして。
そしてもちろんTOKYO BAY-AREAへの旗印、PRソングとして。
86年の夏をピークとして年間を通じてALFEEが掲げたテーマであり、発表当時から強くファンから支持され、それは31年経った今尚長きに渡ってバンドとファンを繋ぐ絆の証として愛されている曲ですね。
ツアー・イベントでは欠かせない定番曲として君臨しており、長いライブ活動の中でも「星空のディスタンス」に次いで
☆総演奏回数第2位!☆
である事からもバンドにとっては「ライブの代名詞」といっていいポジションの曲であり、そしてファンからもライブでの演奏を一番望まれている曲、と言っても過言ではなく、それは2012・WGR開催時のファン投票
\高見沢ボーカル総数第1位/(総リクエスト位1だったのかな?)
という結果からもうかがい知れますよね。
なんせライブ見に行って
ドゥーン
がないとなんか物足りないもんね(๑・ω・๑)
あのベンド音で条件反射的にキタ――(゚∀゚)――!!と五感が反応して滾る血液と次の瞬間上がる右腕、それな(бвб)
ある意味、あの血湧き肉躍る瞬間を味わうために未だ通ってる所あるよな←
メニューから外れた時があったとしても、イベントやツアーの大都市・アリーナなど何処かで歌ってたりするので、発売以降歌わなかった年というのは多分ないんじゃないかなー。
「AGES」のアルバムバージョンの間奏入れてみたり、3人で1コーラスずつ歌ったり、後奏でちょっと遊んでみたり、時折遊び心を入れたりしますがー。
基本31年間、未だ変わらないアレンジ、変わらない熱さ、そして
変わらないヘドバン川・.B・||
で当時の輝きを今も失うことなく、オーディエンスとのステージの共有が出来る曲ですねー。
常連さんにはいつものALFEEを確認でき、一見さん・初見のお客さんには「これがALFEEの魅力か!」というインパクトを与え、そして久しぶりにくるお客さんにはそれぞれの中にある「あの頃のALFEE」そのままが一瞬で蘇る、年数回・半年に一度・1年1回・数年ぶり・十何年振り・そして一見さんを含む全てのオーディエンスに対して、ある意味「元気だったかい・また逢おうぜ」という再会の喜びと次への約束を
歌と演奏で投げかけ歌と拳で返す
ALFEEとファンの存在確認的な時間を演出する曲ではありますよね。



元々は86年ツアーの為のタイトルソングとして作られた楽曲。
ツアータイトルが先だったのか、曲が先に出来てたのかは定かではないけどねー。
「86年ツアーの為に」という中には、多分制作時期にはほぼ決まりかけていた「TOKYO BAY-AREAの為に」という意味も充分に含んでいると思われ。
とにかく最初からシングルとして。。。という構想ではなかったようですねー。
まぁシングルありきで作ってたらこの長さにはならないだろうしなー( ´・ω・`)
とはいえ、王子の中にはある程度腹括って決めてた所もあったのかもしれないですねー。
それくらい春ツアー前から力入ってたし、BAY-AREAの開催発表後はもう突っ走り始めてた感はありますよね。
このタイトルソングも加えた86年春ツアー、前年の白を基調にしたロマンチック感を演出するステージとは打って変わって、黒を貴重としたステージにむき出しのイントレ階段が組まれ、演奏面も頭からラフ&ヘビー。
何の演出もしない緞帳もないステージに袖から3人が表れてギターを持って、互いのタイミングを計らって
川・.B・||<よーし、行くぞー!
と叫んで演奏がスタートするオープニングから、前年末に出した「THE BEST SONGS」からの選曲も交えつつ、当時のALFEEそのものを象徴するような3曲で締める本編のラストにこの大作は置かれ、この歌を軸に構成されたようなメニュー構成・演出となりました。
ツアー前のインタビューなどでは「むき出しのステージにしたい、ライブハウスのような」と語っており、その言葉通りのライブ内容であると共に、この年の秋に発売されるアルバム「AGES」で表れている
ヘビーなロック
という感覚を既存曲で表現したようなツアーでした。
そして何より圧巻だったのは、最後のアンコールで曲への想いを語るMCと共に
川・.B・||<みんな来いよー!
東京湾で待ってるぜーー!!!

と雄叫んで歌われた
二度目のSWEAT & TEARS
ブレイク前後のシングルや曲数の少ない初期のライブならいざ知らず、爆発期からすでに安定期に入っり始めていたバンドのツアーで新曲を二回歌うなんてなかなかの前代未聞。
過去ALFEEのステージに置いても、ブレイク直前までは「Since1982」や「夢よ急げ」なんかはあったけど、それらとは意味合いがまったく別物。
客席に煽られて歌った訳でもなくノリで歌った訳でもなく、来てくれたファンにより言葉とメロディを届けたい・感じて欲しいという意志。
そして夏の東京湾への溢れ出る想いを客席に向けて爆発させて、ファンも含めたALFEE’S CREW全体で盛り上がって行きたい意向と狙いの元セットリストに組み込まれていた物。
本編とアンコール、きっとどっちかだけでは足りないと思ったんだろうね。
二度三度歌ったからと言って想いが伝わる訳ではないし、雑誌のインタビューなんかをしっかり読んでくれてるファンであっても100%は伝わらない。
でも、二度歌う事でファンも何故二回も?と考えてくれる。
そこで解りたい人はステージの意図を探ろうとしてくれるだろうし、そのきっかけを与える為にはこのやり方だったんだろうと思う。
「結果」ではなく「きっかけ」を作る事。
それこそが二回のSWEAT & TEARSを歌った意図なんだろうなー。

その曲がツアー中にシングル化決定。
ALFEEとして初になる
メッセージソングのシングルタイトル曲
いつ頃から王子に・3人にその想いが強くなったのか。
もしかしたら、これまでにもその意向があったけど不採用になった経緯はあったかもしれない。@「Blue Age Revolution」辺りは案外シングルとして売るつもりで作ってた気がしないでもない。
「自分達でも迷ったし、反対するスタッフもいた」という当時の王子のインタビューを裏づけるように、時代はまだ冒険だった感はあるし、少なくとも「出したい→じゃーそれで行こう!」という単純な物では無かったのは事実だろうね。
それでもシングルとして出したかった理由。。。@外的な影響と思われる推測は前回の投稿を参照して頂くとしてここでは内的要因をいろいろ考えてみましょー。
当然、TOKYO BAY-AREAへのPR的要素が強かったのはあるよね。(詳しくは後でやります)
そして「メリーアン」、それ以前からある程度固めて進めてきたシングル戦略も陽の目見て目処が立った所で、次の段階に進む時でもあったんだろうし。
「シングルヒット」という縛りの中での次へのステップといった所で、じゃーどーするの?的な迷いというか先詰まり感はPROJECTⅢもポニーキャニオンもあったとは思うんだよねー。
桜井さんのボーカル力は浸透したし、それぞれのリードボーカルも魅せた。
ハードロックもバラードもポップな物も、「風曜日」ではロックンロール風のも魅せた。
次の一手に対する行き詰まりはあったろーし、事実シングル売り上げ自体は下降気味。
「メッセージソング」というカードは、そこで考え得る次の一手の一つでもあったはずだよね。
しかし興味を示している層を一気に手放してしまう危険性もはらむ冒険でもあった訳で。
ツアー現場はもちろん、レコーディング現場のスタッフ達も気概に溢れていただろうけどこれだけではレコード会社にYesと言わせれるだけの材料にはなりえなかったかもねー。
何せまだ切ってないカードとして「桜井さんが歌うバラード」という選択肢があり、まさにそのタイプの曲「もう一つのラブソング」(後の「風よ教えて」)もこのツアー前に作り歌ってた訳だから。
音楽雑誌関係者でさえも大方の予想はこの曲が次のシングル候補で、「SWEAT & TEARS」を切ると聞いて驚いた人がほとんど。
ちなみにシンプの大越さんは最初に高橋研さんからこの話を聞いたそうで、その話しぶりはかなり嬉しそうだったと記事に書いています。
3人自身も次はこっちの方がいいかな?という迷いはあったみたいですしねー。
そんな状況であっても最後に「SWEAT & TEARS」をシングル化に押し切ったのは、何より3人の情熱なのかも。
王子自身、発売時のインタビューでは、迷ったけど
絶対出したかった。出すべきだと思った。
と強く語っており、その当時の情熱が伺い知れますよね。

「絶対出したかった。出すべきだと思った。」という言葉の意味は、当時の世界情勢・とりわけ日本の現状に対する想いが大きかった気がしますよね。
海外ではアメリカのリビア制裁があったり(これも後のイラク同様言いがかりに近い気がしる)何より
チェルノブイリ原発事故
があったよね。
遠く離れてはいても、日本での報道や日本人が感じたショックはかなり大きなものでた。
核に対する恐怖心的な物はあったけど、原子力発電所に対するリアルな恐怖はこれが初めてだったかも。
平和利用、という名の元に導入される「原子力」に対しての「果たしてこれでいいのか?」という疑いが芽生えた時だったですね。@その疑いが25年経って現実になるとはその時誰も思いはしなかったよね( ´・ω・`)
1人のミュージシャンとして、1人の作詞家としてここには当然敏感に反応したはず。
そして日本、大きく話題になったのは青少年の自殺。
その中でも衝撃的だったのは当時人気だったアイドルが無くなった事。
それに対して後追い自殺してしまう若者が現れ社会問題にもなりました。
右肩上がりの経済、豊かに贅沢になった国民・・・雇用率も高く(今の若い子は信じられないかもしれないけど、多少の選り好みしても就職できた時代である)安心・安定で暮らしていける国・・・・なのに軽くなる人の命。
不思議だよね。
何処で狂ってしまったのか、何がおかしいのか。
そこに対して王子の心のアンテナが敏感に反応してしまっていたよね。
そしてそんな頃だったかもっと前だったか・・・・新聞に載った一つの投稿。
ラジカル・ティーンエイジャー」を聴いて自ら命を絶つ事を思いとどまった少年がいた話。
当然王子の目にも留まり、それに対して相当胸に期する物があったようで。
実際、この春のステージ上で「お前ら、死ぬんじゃねーぞ!」と、ちょっとこっちが戸惑ってしまうぐらいストレートな言葉を投げかけていたりもしました。
この新聞の件がいつ頃だったか覚えてないけど、「SWEAT & TEARS」の制作時期かシングル選考時期かに大きな影響を及ぼしてたはず。
心の問題にしても世界の情勢にしても、突き詰めれば結局は個人個人の己の心意気次第。
生きていく勇気、Noと言える勇気、明日への希望、繋いでいく今日・・・・
この国に生きるティーンエイジ達、せめて自分の歌が届く範囲のティーンエイジ達にはしっかり伝え1人1人に考えて欲しいと願う衝動があったんでしょうね。
だからこそ今この歌をシングルに!という気概に溢れていた所はあるんだろうなー。

ファンが「メッセージソングのシングル化」を望んだというのも決め手の一つにはなったかもね。
シングルになると発表されたのはいつ頃だったか。。。
多分5月の終わりから6月の初旬。
月早めの発売であるARENA37℃の7月号に速報が出てるので、6月の頭にはもう発表になってたんだろうねー。
当時はレギュラーのFMがあったから、そっちが一番早かったのかな?
発表当時、まだツアーも来てないしどんな曲かは知るよしも無かったんだけどー、雑誌等でかなりの熱量を持ったメッセージソングである事だけは解っていて、それだけで熱くなったのを思い出す。
そう、ファンはみんな喜んだよね!
ラジカルティーンエイジャー」に感化されて以降、待ち望んでいたシングルタイトルでリリースされるメッセージソング。
ファン以外の目に映るのは、半歌謡曲という感じのラブソングを歌うトリオという状況を見返したい。
真のバンドの姿を見せたい。
特にまだ高校卒業したばかりでロック好きと粋がってたティーンエイジの自分にはその想いは強く。
そんな時代についに叶ったシングル化。
\ALFEE 大勝利/
ぐらいには浮かれたおね(бвб)←
少なからずいたであろう、同じように思っていたファン達には本当に待望のシングル化ではありましたよね。
当然、3人やスタッフにもそういった要望や声は届いていたんだろうし、そこに突き動かされた部分も少なからずあるかもしれないですねー。
曲があっという間に大多数のファンの支持を得、今尚愛されて続けてる事からも、どれだけ望まれていたかが解るよねー。

そして、この曲をシングル化するのにある意味運が良かったのは
企業タイアップが無かった事。
もちろんあればCMやTV番組などで視聴者が耳にする機会も増える訳だから、レコード会社的な所はもちろん、ミュージシャンとしてもありがたい事なんだけどねー(^_^;)
だがしかし、曲を使って頂くと言うことは、キャッチフレーズやイメージコピーなど詞にもある程度制約が出てくるわけで。
この曲にソレはないなーと思うし、当然3人も望まなかったろうし。
むしろ、「SEWAT & TEARS」をシングルとして切る為に、あえて積極的に動かなかったのかもしれないよねー。
それだけ純粋に想いの入った言葉を届けたかった、という意志が解るよね。

待望のメッセージソングシングルであると同時に、バンドにちょっとした変化・・・・結局はこれが大ターニングポイントになる訳ですが・・・が、ありました。
バンド表記がTHE ALFEE
今まで無かった“THE”という冠詞がついた表記になりました。
当時はネタ的要素も若干交えつつ
THE ALFEEのデビューシングルです!
とあちこちで言ってましたが、実際の所その想いはシャレではなくしっかりと強い物だったようで。
「この曲はALFEEだからこそ歌える歌、俺達にしか歌えない歌」という想いを強調したかったと語っており。
歌の意志=バンドの意志
というのを表したかったそうですねー。
ある意味賭け的な要素もあった訳なので、それだけの決意を持ってのシングル化だったって事ですよね。
フォーク-バンド-ハードロックと進んできた中での次の一手、次のステージへ入るために纏った冠・・・冠というよりは、兜だおね。
自分達に再度ムチを入れる儀式的な物ではあったのかもねー。
ファンである俺達も、これが真のバンドの核だ!ぐらいの想いはあったから、バンドとファンが同じ方向を向いてたというのは嬉しい事ですよね(*´ω`*)
しかし、これからこの名前で行くぜ!という強い意志があった訳ではないそうで、この曲に対して付けてみようかぐらいの感じで、今後このまま行く訳じゃない・・・と当時は語っていますがー。
結局はここからレコードはもちろん(たまに外すこともありましたが)ライブ活動・広報など全てに置いて、バンドはTHE ALFEEとして今日まで活動する事になったのは周知の通り。
どーなんだろーね?ファンの反応が悪くなかったからこれで行こうとなったのか、結果的に想いの延長線上で作り上げた「ROCKDOM」-「AGES」と続いたから外せなくなったのか(笑)
当然、冠詞を加えるだけとはいえレコード表記の名前が変わる訳だから、ガッツリとしたスタッフ会議はあったろうけど、この時点ではとりあえずで様子見感はあったっぽいですよね。
SEWAT & TEARS」という意志を更に強固に魅せるオプション的な物としての「THE」であり、後は反応が悪ければ戻そう、ぐらいの柔軟性は持ってた気がするー。
ともあれ、結果的にこの”THE”表記は受け入れられ、バンドにとっても我々ファンにとっても大転換となる出来事でしたよね。
THE ALFEEのデビューシングルではありましたがー、歌の内容がこれまでと変わった訳ではなく。
むしろ「夢よ急げ」から「ラジカルティーンエイジャー」-「Blue Age Revolution」と発展してきたテーマの到達点。
まぁ86年当時での事で、ここからバンドは更に果てしなくTo be Continuedだから、次の為のベースキャンプみたいなもんだよね。
歌ってきた事をもっとシンプルに、より力強く。
それがバブル最盛期の86年という時代に逆境するような「汗」と「涙」というキーワードになり、人間自身から湧き出る感情や情熱こそが明日への活力に繋がる事を言葉として認めた歌になりました。
歌ってきた事に対する自分自身への一つの答え、的な曲ではありますよね。
これがこれからの俺達だ!のTHE ALFEEデビューシングルであると同時に、1986年時点での
ALFEEの集大成
でもあった訳ですよね♪

内容の冒険はあったけどバンドの強い意志もあり、当時の時代背景でヒットする目算がなかった訳ではないので晴れてシングルとして発表する事になった訳ですがー・・・・
シングルにするにはもう一つ、そして最大の問題が横たわっており。
曲の長さ
当時のライブサイズそのまま入れてしまうとそれこそ8分・10分。
後奏をある程度省いても7分ぐらいにはなる曲。
当時のシングルレコード・45回転で収録出来る時間は6分ちょい。
とても入らないですよね。
そこでリフレインもある程度削りなんとか収まるサイズまで絞り込んで
6分15秒
振り向くな 立ち止まるな」ですでにフェードアウトに入り、スゥエッタン・・・で切れてしまうのである(๑・ω・๑)
もう歌としてなんとかギリギリ入れ込んだよね(^_^;)
この長さ、歌番組とかどーするんだという課題もありましたがー、それは後で考えれば良いことなのでとりあえず収録できる長さはクリア。
そして7月5日(フラゲに走って7月4日)、我々の手元に届くことになった訳ですがー。
このシングル、なかなかのレコードプレイヤー泣かせ(бвб)
プレイヤーの設定・メーカーの仕様によっては、オートで針を落とすとファンファーレの途中から始まったり、フェードアウトの途中で針が上がる事例も少なくなく( ´・ω・`)
外周の少ない予備溝めがけて手でゆっくり針を落とし、僅かにあるかないかの最後の予備溝まで回ってから針が上がるようにしないとなかなか全てを聴くことができなかったファン続出。
力の入った内容を楽しむ前に、「聴く」という作業自体にファンが力を入れなければ行けなかった珍現象でありました(笑)
だったら12インチシングルにすればいいじゃんという意見もあるんだけどね( ´・ω・`)
やはりセールス的な面でポニーキャニオンが敬遠したのかもねー。
あのサイズだからこその味であり価値感、ってのもあるしね。



続くー



SWEAT & TEARS
作詞/作曲:高見沢俊彦
編曲:ALFEE
シングル「SWEAT & TEARS」(1986年)
アルバム「AGES」(1986年・album.mix)
アルバム「ONE NIGHT DREAMS」(1987年・live)
アルバム「HIT SINGLE COLLECTION 37」(2004年・re.take)
アルバム「STARTING OVER」(2006年・re.take【Medley】)収録

40周年記念日まで後1週間ですな
晴れがましい日を迎える前に、次回からアップ予定の曲が生まれた時代をちょっと振り返り。



後にTHE ALFEEというバンドそのものを表すような中心曲になる宿命を背負った曲
SWEAT & TEARS
当時のリスナーの中心であるティーンエイジャーに向けたコッテコテのメッセージソングがシングルタイトル曲として発売されたのは1986年7月5日。
現代において、若者やリスナーを鼓舞するこういった詩は珍しいものではなく、むしろ今の歌の世界の中ではラブソングと二分するぐらい数多くのライターが書き、年若いアイドルシンガーから熟年ミュージシャンまでの幅広い年代で歌われるテーマ。
こういった方向の歌は支持を得やすい・・・と言ってしまうのはいい表現ではないかもだけど、割と作詞のテーマにしやすいのはあるでしょうねー。
しかしこの歌が発売された1986年、この手のテーマはまだまだ開拓されてない時代でした(決して無かった訳ではない)。
ポップミュージックの主テーマとして扱われるようになったこの手のメッセージソング、ちまたに流れるようになり始めたのは1986年を前後とする80年代中盤が境なんですよねー。
という事で、この頃の「メッセージソング」を本筋とは別項で、一ALFEEのファンからの見方と体験で思うまま書いてみますた。@【メッセージソング】という表現は拒否反応もあろうかと思いますが、話の便宜上コレで行かせて頂きます。



メッセージソング、といえどもその指し示す方向は幅広くー。。。というか、幅が広すぎて。
同じ詩のジャンルとして扱うには無理あるだろー(^_^;)というぐらいに多岐に別れており。
例えばALFEEの歌詞で言っても、同じメッセージソングとして扱われてるけど「祈り」と「SWEAT & TEARS」と「My Truth」ではあまりにも詩のポイントが違うよね。
大きく分けると3つぐらいのテーマに別れると思うんだよねー。
社会に対する憤りや不安を歌った物(プロテストソングとも言われるヤーツ)、ソングライター自身の自分の内面と向き合う葛藤や生き様を歌った物、そしてこの歌のように周囲と自分自身を鼓舞して光を目指す歌。
プロテストソングはそれこそ昔からあるものであり、「芸能」という物自体がその時代時代の特権階級に対する「反体制」的な物がルーツだったりするそうなので、いわば原点でもあったり。
現代では反戦を歌うPPMなどの海外のフォークソングからジョンレノンやボブディランといったミュージシャンの歌が日本に伝わりポップミュージックとして確立してますよね。
日本では泉谷さんや清志郎さん辺りが時にガッツリやったり、高田渡さんは上手く皮肉って歌ったりしつつ60年代―70年代を中心に名曲が多く残ってたりします。
「個」の内面から出てくる物を歌った物は、拓郎さんや尾崎豊、省吾などソロのボーカリストとして活動しているソングライターがラブソングと共に主軸にしてるテーマですよね。
その人のリアル性が強い分特に多感なティーンエイジ層に共感を得やすく、その時期に影響を受けた熱心なヘビーリスナーを中心に支えられて今日も活動しつづけてるミュージシャンが多いですよね。
その反面、物語を構築するより自身を削り取って詩を書くのでその精神力はなかなかハンパなく、作品を作り上げると次作までの間に長い休みと創作期間が必要になったり(笑)
こういった曲を書くシンガー達はプロテストソングなども書くし、この二つのテーマというのはソングライターを志すきっかけとして共存するものなんでしょうねー。
そして第三のメッセージソング、と言える自分自身と不特定多数の誰かを鼓舞して前に進もうとする歌。
単に自分があんまり知らないだけで60・70年代になかった訳ではないと思うんですが(岡林さんの「友よ」なんかは近い物あるよね)、80年代に入ってから一気に普及してった感はありますよね。

そんな時代の創世記と言えるであろう80年代中盤に生み出された「SWEAT & TEARS」。
この時に王子がいきなりこの手のテーマを書き出した訳ではない、というのは皆さんご存じの通り。
これ以前には「ラジカル・ティーンエイジャー」という多くのリスナーに支持された同系統の楽曲を始め「Blue Age Revolution」や「ジェネレーション・ダイナマイト」等があり、さらに遡ればこの方向性は82年・所沢の為に書かれた「夢よ急げ」「A.D.1999」辺りから試行錯誤しつつ作り上げた物。
継続して歌ってきたテーマの一つ。
じゃぁこの路線は王子が独自に生み出した物か?。。。と言われれば多分そうではなく。
王子の40年近い創作活動の傾向から見て必ず何かしら強い影響があった上で突き動かされたものでだとは思いますよね。
それは人との会話・関わりや小説などによるものからの影響もあるかもしれませんがー、特に「歌詞」という分野だけに洋楽より日本のミュージックシーンからの影響が一番大きいと思われ。
そして表に出ている王子の情報をから考察するに、多分一番大きな影響を受けているのは
浜田省吾氏
80年のアルバム「HOME BOUND」に収録された「終りなき疾走」「明日なき世代」の2曲に刺激されたのが発端だと思うんですよねー。
この2曲は、王子にALFEEのバンド形態への移行を決意させた一因になった曲としても知られてますがー。
歌詞としても、アルバム「ALFEE」以降の楽曲を中心に王子の作詞に強く反映されてる気がするんですよねー。
「終りなき疾走」は1ミュージシャンのサクセスストーリーを歌った物。
歌詞の目線=主人公目線の歌で割と解りやすく書かれている物語性にソングライター自身を切り取った部分を当てはめたような歌詞なのですが、歌の方向は閉鎖的だったりもがいていたりするものではなく、あくまで夢の続きに向かって突き抜けた歌詞になっているので、自分自身を鼓舞する歌でありながら実は周囲も巻き込むタイプの歌詞になってるんですよねー。
当時よりも後年ファンになった人・特にティーンエイジ層中心にこの歌に影響されたファンが数多く、ある意味自分の思い描く未来の疑似サクセスストーリーとして自身を鼓舞し活力を貰える作用が働いた曲なんですよね。
この曲にシビれてファンになった自分もそうだったし、
間違いなくコイツもその1人である川・.B・||←
これは俺の歌だ!ぐらいの事言ってたもんなー(笑)
歌の目線・出発点的な所は違うと思うんだけど、受け取るリスナーへの効果は結果的に「ラジカル・ティーンエイジャー」「SWEAT & TEARS」と同じ作用をしたんですよねー。
そいった所からも王子の書くメッセージソングの一つのヒントになってる歌だと思うんですよねー。
そしてもう1曲の「明日なき世代」。
以前「A.D.1999」を書いた時にもちょっと触れましたが、こちらは王子の詞への影響力がより大きかった曲と思われ。
歌詞の目線は「自分と想いを共有する誰か」に向かって書かれていて、一見ラブソングっぽいていで書かれてはいますが見方を変えれば「相棒・友人」だったりそれこそファンに向いてる捉え方も出来るんですよねー。
そして歌の向かう先は影から光を目指すものになっていて自分自身と誰かを鼓舞する事でリスナーを巻き込む、まさに80年代のメッセージソング的な歌であり、アプローチは違えど方向性はより「SWEAT & TEARS」に近い物になっています。
多分「A.D.1999」自体がこの曲に触発されて書いた物だと思われる点が多く、そこからの発展が「ラジカル・ティーンエイジャー」以降に繋がってる事から考えても、「SWEAT & TEARS」を書くに至った原点がココにあると思うんですよねー。
この2曲、そして80年代序盤における浜田省吾氏のミュージシャンとしての立ち位置は、王子の作詞・ALFEEの変化においてかなり大きな影響力を及ぼしてる・・・と今になっては思う事多いなー。
また直接的ではないかもだけど、佐野元春氏の存在も間接的には影響受けてそうなんだよねー。
元春の作品は一歩退いた目線で物語の主人公の心情や想いを描いた物が多いのだけど、時には寄り添ったり励ましたりして主人公の行く末を見守るような展開をしていて、後に主流になるメッセージソングにかなり影響を与えてるんですよねー。
ロックンロール・ナイト」「ダウンタウンボーイ」といった曲は特にその辺りが強く出ている作品だと思うし、この辺りの曲はALFEEが同じオムニバスイベントに出たりしてる時に歌ってそうな時期だと思うので王子もきっと耳にしてると思うし、そうでなくても「SOMEDAY」辺りの作品にはそれなりに思う所もあっただろうし、それなりに感じる所はあったろうねー。
省吾と元春、それぞれに表現や思う所の方向は違えど、自分自身やリスナー・そして「時代」に対する皮膚感覚は同じような事を感じてた気がするんだよねー。
特に「作詞」という面で影響を受けているのは王子だけでなく、やがてくる時代・そして現代までに渡るJ-POPのバンド・シンガーの作品の主流になる「メッセージソング」の原点になってるんじゃないかなー。



80年代前半、省吾や元春が書く歌は一定のリスナーに支持され少しずつ浸透してはいましたが、まだまだ「大ヒット・大ブレイク」とは言い難く。
84年以降のバンド・ムーブメントによってTVでもロックの露出も増え歌謡曲と並んで存在感・居場所を奪い、尾崎豊を始めとする若いシンガーが台頭してはきていたものの、当時の音楽業界でヒットしている歌の主流はロック・歌謡曲・演歌・どんなジャンルであれ男と女のラブソング。
ALFEEにしてみても「ラジカル・ティーンエイジャー」を始めとした大多数のオーディエンスに支持されていた「メッセージソング」は何曲かあるけれど、どれもアルバム曲やシングルカップリング曲でありシングル表題曲として発表してきたのは全てラブソングであり。
ソコは当然、ポニーキャニオンの営業的なレコードセールスはもちろんの事、TVの歌謡界の中でもリリース毎に露出できる居場所を安定させる為の手段であったのは間違いなく。
また曲によってはスポンサーとの兼ね合いもあるしねー。
そうする事で露出は増えるしリアルタイムの動向も掴みやすくなるので、そこから本来の仕事の成果であるレコード売り上げやツアー観客動員に確実に繋がり、活動自体が安定・発展できる訳だからねー。

そんな時代のまっただ中・ド直球のメッセージソング「SWEAT & TEARS」を初めてのシングル表題曲としてあえてリリースに踏み切った1986年・夏。
いろんなタイミングが合った、という事も当然あったでしょう。
この手のシングルタイトルをファンが望んでいた、という事もあるし。
シングルリリースや活動が安定して一区切りついた時期でしたがレコードセールス自体は下降気味ではあった事もあり、少し方向性を変えたり刺激が必要だった時期かもしれないし。
当然、TOKYO BAY-AREAへの旗印・プロモーションとして最後の追い込みかける為にもその年のツアー・イベントタイトル曲で盛り上げる意向もあったろうし。
こんな時代だからこそ、というALFEE&PROJECTⅢスタッフとポニーキャニオンスタッフの意見も一致してたのかもしれない。
ALFEEとして「メッセージソング」をリリースするのに絶好のタイミングではあった・・・・のですが。
まだまだラブソングがヒットチャートを圧巻している時代において、それなりの勝算がなければレコード会社が最終的なGO!を出さないと思うんですよねー。
正直ファンの大多数には間違いなく賞賛されるであろう反面、客観的に見ると閉鎖的に写ってしまう危険性もあり。
せっかく食い付き始めている不特定多数のリスナーの興味を失うことにもなりかねないマイナス要素も充分含んでたんですよねー。
目線がファンだけに向いてる、と判断されてしまうと一気に閉塞感は強まるもので。
せっかくここまで広げてきたライブ本数・動員も、あっという間にブレイク以前に戻ってしまう懸念もあったと思うんですよね(もちろん、そうはならない自信はあったろうけども)
それでも「SWEAT & TEARS」リリースに踏み切れた一つの要因として個人的に思っているのが・・・
このリリースから遡ること約10ヶ月、奇しくもALFEEデビュー11周年のその日・1985年8月25日に発売された
HOUND DOG「ff―フォルテッシモ―」
この曲のヒットこそが、「SWEAT & TEARS」のシングルリリースに繋がっただけでなく、現代のJ-POPシーンに根付いた「メッセージソング」に火がついた瞬間だと思ってるんですよねー。

1980年、シングル「嵐の金曜日」でデビューしたHOUND DOG。
「嵐の金曜日」は業界関係者や一部音楽ファンの評価が高かったものの、「ヒット」というほどのセールスには繋がらず停滞、数年後にCMのタイアップがついた「浮気なパレットキャット」も芳しくなく、3人のメンバーの相次ぐ脱退があり解散の危機まで抱えた後、元TWISTの鮫島秀樹などの新メンバーを加え新生HOUND DOGの第一弾アルバム「Spirit」のリードシングルとしてアルバムと同時発売された「ff」。
ライター業であり作詞家でもある松尾由紀夫さんの詞(実はついこの前までこの曲書いたの松井五郎さんだと勘違いしてたわ( ´・ω・`)すまん← )で、基本的には自分がいて相手がいての「愛がすべてさ」と歌うラブソングの形態でありつつ、「拳を固めろ 叩きのめされても」「激しくたかぶる夢を眠らせるな」という言葉と大友康平氏のキャラクターが伴って、強い意志のある周りを巻き込むタイプのメッセージソングとして仕上がっている作品。
今でもHOUND DOG一番の代表曲として君臨しており、その歌の影響力は現代でも強かったりします。
パリダカの映像と「負けるもんか!」のキャッチフレーズと共に流れるカップヌードルのCMや、康平を先頭にファンを引き連れて拳を上げながら河川敷を行進するPVのインパクトを覚えている自分と同じ世代の人は相当多いのではないかと。
当時の多くの人の耳と脳に届いた「ff」、しかしセールス的にはこの曲も大ヒットした、とは言い難く。
その実、オリコン最高位も11位止まりだったりするんですよねー。
駄菓子菓子だがしかし、オリコンチャートTOP20に上がってきたのはなんと発売から数ヶ月後。
この年の年末-翌年初冬辺りまで残り、11位を獲得したのは86年1月下旬という半年に渡るロングヒットだったんですよねー。
長きに渡ってヒットした要因として、タイアップが長いスパンで使ってくれるカップヌードルだったり、アルバム「Spirit」のヒットやこの年の夏の西武球場のライブが結果として伝説的になった事(詳しく書くとただ長くなるだけなので知りたい人はググってくれたまえ←)などいろんな要素が噛み合った結果だとは思いますがー、その中で大きな要因になったと思われるのが
夜ヒットへの出演。
当時まだマイナーな域を脱してはいなかったHOUND DOG、メジャーな音楽番組出演だけでも結構なプロモーション効果があったと思いますが、この出演に関して一つの仕掛けをしており。
PVを見た番組プロデューサーが思いついたのか、福田信・マザーエンタープライズ側が仕掛けて夜ヒット側が乗ったのか定かではないですがー
スタジオにファン500人を動員
ちなみに400人予定だったのが応募が多すぎて500人に増えたという話らしく(人数は多少盛ってる可能性高そうだけどねー)、スタジオにいっぱいに入り込んだファンの中での演奏でした。
当時はまだドAwayであるTVの歌謡界をファンの力を借りて完全なホームにした事により本来の持ち味を余す所なく発揮。
康平は水を得た魚の如く、普段のステージとそう変わりないボーカルとパフォーマンス・カリスマ性でお茶の間を引きつける事に成功。
しかも曲中終始振り上げられる500人のファンの拳の海の中、Aメロド頭から全員が大きな声で歌った為康平のボーカルと同レベルでお茶の間に流れ、この勢いにじっとしてられなかったのか事前に二人で打ち合わせたのかは解りませんがその日の出演者の一組でもあった桑田佳祐が大サビで乱入したのも相まってかなり話題になった出演でした。
当時の音楽リスナー・ロックリスナーに限らずその日番組の光景を見ていた人達にはかなり強いインパクトを与えたのは間違いなく。
当時高三だった自分の周りでも翌日は「昨日の見た?」という話にはなったし、もし当時ツイッターみたいなのがあったら相当な盛り上がりになったと思うんだ( ´・ω・`)
そしてその反響は番組やバンドにも跳ね返る事になり、バブル絶頂期に向かう時代に逆境するように「暑苦しさ」を武器に80年代中盤から後半の時代に根を下ろした人気バンドの一つとして知られる事になる訳です。
また尾崎豊との二枚看板として(尾崎活動休止後は旗頭として)所属事務所・マザーエンタープライズを引っ張り、ロックムーブメントがいよいよ盛り上がる中で同じく所属のTHE STREET SLIDERSやRed Warriorsなどがある程度ブレイク。
一時期は
マザーでなけりゃロックじゃねぇ
ぐらいの勢いで最近映画公開されて話題になったBEAT CHILDや約10年間に渡り8月5.6日に行われた広島ピースコンサート、大晦日のオールナイトイベント・ROCK’N’ROLL BANDなど、様々なロックイベントを仕掛け、HOUND DOGが引っ張る・・・・
言い方を変えればツケを払う(бвб)
という図式で、80年代後半は事務所ひっくるめて時代の旗頭として君臨していますた。
また「ff」のヒットによって、「ロックンロールとバラード」のHOUND DOGから、「恥ずかしいけど愛と夢を歌い上げるのは俺達がやらなきゃ誰がやるんだ」のHOUND DOGへと世間の認識も変化。
自ずとそういう方向性の曲も増え、シングルも「Rocks」「Ambitious」「15の好奇心」など92年発売の「Bridge―あの橋を渡るとき―」までの数年間はかなりの割合でメッセージソングをリリースし続けました。
これにより「愛と夢のメッセージソング/それに答えるような自虐を交えたロックンロール/ロマンティックなバラード」という、この後の時代を支えた
HOUND DOG3つのワンパターン
による楽曲制作の柱が出来上がるのである(๑・ω・๑)@DOG論が目的ではないのでファン魂発揮するのはこのぐらいにしておこう←
もちろん短期間で時代の主役の一組となったのは、デビューしていきなりヒットに恵まれたポッと出のバンドではなく、5年間地道に続けてきたコンサートツアーの地盤があったから。
レコードは売れないけどライブは面白い
と言われ続けた中での一つの自信があったからこそですよね。
またHOUND DOG自体、この「ff」でいきなりメッセージソングを打ち出してきた訳ではなくー。
以前のアルバムに康平自身が作詞した「ラストヒーロー」など、同系統の歌が少なからずあり。
これらも省吾や元春からの影響が端々に垣間見えたりする作品だったりします。
もしかすると、当時のHOUND DOGファンもこの手の曲のシングル化を望んでいたのかもしれないですねー。

前評判が高いデビューが不発、レコードが売れなくてもライブが面白い、地道なライブ活動・・・・
そして、AWAYのTV出演をファンの力を借りてホームにし、お茶の間にインパクトを与えそれを足がかりの一つとしてブレイク・・・・
そう、お気づきの通り事ある毎に
ALFEEと似てんのよね(๑・ω・๑)
夜ヒットの戦法と効果なんか、ベストテン・大阪野外音楽堂の中継の「メリーアン」と同質だよね。
初武道館も同じ83年だったり、ブレイクした歳も同じ29歳だったり。
性質も体質もまったく違うこの二つのバンドに共通する偶然って凄く多く。
その中で偶然ではなく、二つのバンドに共通していた物は
ホール・コンサートツアー
ガンガンTVに出るようになっても大会場を数日満員に出来るようになっても、活動ベースは1500-2000人クラスのホールを回る全国ツアー。
DOGに関してはそれがエスカレートし、足かけ3年間(実質1年4ヶ月)で207本という無茶苦茶なツアーを組まれたりもしましたが(・_・;)
「全国のファンが待つそれぞれの街」に行って歌う事を共通の活動の理念としていた2つの似たものバンド。
いつしか互いのツアースケジュールを見て読めない街の名前を見つけ「勝った負けた」と楽しみながら競いあうような、
自他共に認めるライバルバンド
として存在する80年代後半の時代がありました。
3人と康平には
過剰なサービス精神(๑・ω・๑)
という共通点もあったしね←
ちなみに3人と康平初めての出会いは、3人が売れないフォークグループ、康平が大学で先輩と「コント爆弾」をやっていた頃である(бвб)
普通にライブ活動をしていればなかなか交流もなかったかもしれませんが、DOGのTV露出が増えるにつれ共演する機会も増え親交も深まり、あるツアーの広島の打ち上げ会場でバッタリ出会ってスゴイ事になったなんて逸話もあったりします←
歌番組のひな壇などでは、主に幸ちゃんや桜井さんは鮫島秀樹や橋本章司などと、王子は康平や蓑輪単志などと固まって歓談する姿がよく見られました。
また桜井さんと康平は家がご近所だった事が長く、実は互いを「へーちゃん・まーちゃん」と呼び合うぐらいプライベートでも仲が良かった話もあったりと、ライバルというよりは「ロック」という志を胸に同じ時代を共に闘う戦友としての関係だったんでしょうねー。

さて。。。
本題に戻りますが←@ここまでのほとんどが余談である( ´・ω・`)
後にライバルと言われるようになるバンドが一足先にシングルとしてリリースしたメッセージソング「ff」。
このヒットこそが、「SWEAT & TEARS」リリースにおいてポニーキャニオンに最後の一押しをさせた要因じゃないかな、と自分では思ってるんですよねー。
今の時代、メッセージソングでもある程度のヒットは期待できる
を証明した「ff」
ならば同じような世代に同じような言葉を投げかけるALFEEの曲も、ファンだけでなく一般層に受け入れられる・・・このくらいの目算はあったと思われ。
もちろん「ff」のヒットがなくてもこの時にリリースできていたかもしれないし、もう少し後年にリリースしたかもしれない。
でもこの時代、1986年夏のこのタイミングで「SWEAT & TEARS」をシングルとしてリリース出来たのは、「ff」のヒットと無関係ではないと思うんですよねー(*´ω`*)



ムーブメントの口火を切ったのは多分「ff」、さらにブーストかけたのは「SWEAT & TEARS」じゃないかと思ってますがー、じゃあこの2曲・2バンドが時代の中心だったか、と言われればそうではなくー。
この時代に上手く流れを作った真の立役者がいると思うんですよー。@じゃあここまで何だったんだと突っ込んじゃダメ(๑・ω・๑)
作詞家・松井五郎氏
この人こそムーブメントをリードした真の主役だと思うんですよねー。
松井五郎と聞いて、多分多くの人が思い浮かぶのは安全地帯。
その作品の大多数を作詞し、「6人目の安全地帯」とまで言われてた方。
元々は自信でバンド活動をしていて、ポプコン本戦出場したのをきっかけに作家としてのセンスを買われ、チャゲ&飛鳥の「熱風」で作詞家としてデビュー。
ちなみにこの時の本戦出場者は、後にオメガトライブでデビューする杉山清貴の「きゅーてぃぱんちょす」、スタレビの前身「アレレのレ」、そして優勝したのはクリスタルキングだったという激戦の年
そのまま初期のチャゲアス作品の多くや(「ふたりの愛ランド」も松井さんだったんだなーと初めて把握しますた)、YAMAHA系のシンガーの曲を手がけた後、安全地帯の曲作りに参加を始めた経歴。@ここまでググった
そんな松井さんが安全地帯に書いたシングルの中で、85年にリリースした「悲しみにさよなら」。
玉置浩二の歌声も相まって柔らかい表現に終始している歌ですが、内容は誰かを見守り励ますこの時代のメッセージソングそのもの。
デビュー作の「熱風」もかみ砕けば旅立ちの歌であり、元々メッセージソング的な物が好きでこの手の歌を書きたかった方だったんでしょーねー。
その「悲しみにさよなら」はオリコン1位にもなったヒット曲となり、世間にもそれなりに浸透。
ALFEE、DOGにちょっと先駆けて「メッセージソング」をヒットさせています。
後年、同じく安全地帯に「I LOVE YOUから始めよう」というド直球のメッセージソングも書いており、これもヒットしていますよね。
また先に書いたHOUND DOGのアルバム「Spirit」にも多く参加しており(「ff」を松井さん詞と勘違いしてたのは多分そのせいである)以降も数多く参加し、シングルである「Ambitious」「でっかい太陽」「BRIDGE」といった作品も手がけています。
そして安全地帯やDOGに参加していた事以上に決定的というか、なかなかの縁の下力を発揮してるのが
BOOWYの3rdアルバム「BOOWY」への参加
何曲か参加してる中で、アルバムの代表曲である「Dreamin’」を布袋寅泰氏と共に作詞していますがー。
自分は自分のままありたいと願うソロシンガーの作品のような弾けんばかりの歌詞であり、リスナーをも巻き込む典型的な時代メッセージソングの基礎的な物に仕上がってるんですよね。
1985年に発売したこのアルバムは低迷していたバンドの起死回生作であり、アルバムとこの曲は多くのファンに支持され、結果としてBOOWY大ブレイクの下地を作った作品ですた。
松井さんの作品は、もちろんこれらのメッセージソングだけではなく多岐に渡って書いており多くの名曲を生み出していますがー、ロックやメッセージソングが時代の主流になる時、そのポイントになる曲やアルバムのあちこちに必ず参加してるんですよねー。
こういった流れもあり、時代の立役者は松井さんじゃないかなーと思っているんですよね。
ちなみに松井さん、王子とも関わりがありー。
何処でどう知り合ったのかは知りませんが、王子自身「五郎ちゃん」と呼ぶぐらいの仕事仲間だったよーで。
実は作品にも参加しており、アルバム「GO! GO!BEAT BOYS」における作詞
「L.J.Ferie」は松井さんの事。
4曲書いてくれてるんですねー。
きっといつか一緒に仕事してみような、って話たりしてたのが実現したとか、そんなエピソードとかあるんだろーなー(*´ω`*)←



浜田省吾、佐野元春、HOUND DOG、尾崎豊、松井五郎・・・そして高見沢俊彦。
彼ら以外にもエコーズを率いていた辻仁成や、白井貴子もそうだよね。
少なくないミュージシャンがそれぞれの想いの元導き出した曲達が、結果的にリスナーに同じように響くメッセージソングとして届いた80年代前半から中盤。
何人かが気付き、「乗り越えよう、頑張ろう、諦めない、立ち止まらない・・・」といったあえて言葉にした自分自身とリスナーに投げかけたもの・・・
正直、歌詞に乗せても気恥ずかしさのあるストレートな言葉が当時のティーンエイジ中心に響いたのは、やっぱりその「時代」だったからこそだろうなーと思うんですよねー。
戦争から数十年かけて復興し豊かになり、ある程度の余裕が生まれ軽薄短小な生き方が旬だともてはやされた80年代前半。
それから時代は華やかさや贅沢さを求め「金余り日本」と揶揄されたバブル景気絶頂期に突入。
・・・・
実際、庶民の暮らしはそんな時流とはほど遠かったんだけどねー( ´・ω・`)
しかしTVを始めとする情報が発達したおかげで、情報番組でもドラマでも景気のいい物が流行り、ティーンエイジ達の目には世の中の大人や社会が全てそんな風に映って見えたんですよね。
そこに対する憧れももちろんありましたが、当然ソレはお世辞にも尊敬できるものではなく。
得た富以上に無くした何かがあるのではないか、人としての理想や生き方、人同志の関わりが希薄になってないか・・・・いち早くそんな危惧を覚えた人達も少なくはなく。
そんな中でミュージシャンの一部がその想いを歌にし、生まれたのが
80年代のメッセージソング
なんだと思うんですよね。
そして心の何処かに違和感を抱えていたティーンエイジ達を中心とする層が、メロディに乗って向かってくる言葉に反応し、このムーブメントが生まれたんじゃないか・・・今となってはそんな気がしますねー。
結局は
時代が求めた
という事なんだろーなー。@ここで書きたかったのは結局これである(бвб)



そうやって同時多発的に出てきてそれなりにヒットしたメッセージソング達。
こうなってくるとさすがにレコード会社も気が付く訳で。
人を励ます歌は利益になる
と。
そうなると、ちまたにそんな歌が爆発的に増える訳ですよ。
そんな時代に突入した87年に相次いでデビューしたのがブルーハーツとジュンスカ。
両者ともサウンドや方向性は違えどよりストレートに解りやすくメッセージを打ち出す歌を主流とするバンドであり、両者ともデビュー前からそれなりに話題でデビュー後も瞬く間に人気バンドになりました。
これもリスナーが求めてたからこそなんだろーねー。
こうなってくるとレコード会社もミュージシャンやシンガー、作詞家などにその手の歌を書かせようとし始めていただろうし、またその手の歌を作る若いバンドも各社発掘しはじめ、もうブーム的になってたよね。
逆にメッセージソングがスタンダード的になってしまった時期。
この頃になると旬のトップアイドルもメッセージ性のある楽曲を宛われたりしてましたよね。
時代がそうなると、逆にそうじゃない物やラブソング・メッセージソングとは違う目線で歌を書くバンドも注目され、若手バンドもどうにかして目立ってやろうとあの手この手で模索し
世に言うバンドブームの到来に繋がる訳ですよ。
そんな時代、先駆者達はいうと・・・
省吾や元春は80年代半ば辺りには既に歌テーマや言葉の選び方など方向性を変えていたり、王子にしたって多くのバンドが一挙して出てきた時代には「終わりなきメッセージ」に代表されるような自己を振り返る作品を多く書くようになってました。
同じ方向の歌がちまたに溢れると、励ましの言葉も軽くなり届かなくなってくる。
決してそれぞれのシンガーや作詞家が流行ってるからとか金になるからとかの理由で書いてた訳じゃないんだろうけどねー。
やっぱり「このままじゃダメだ、何かが違う」と気付く人は気付いたんだろーねー。

迎えたバンドブームもしばらくして去り、ダンスミュージックがもてはやされた時を得て多様化する現代に突入する訳ですがー。
当時生まれたメッセージソングの形態は今もJ-POPにおける歌詞の主流の一つとして生き続けてますよね。
時代を遡れば、ブームの源流にALFEEあり(๑・ω・๑)
そしてここでも
決して主役ではない
ここに芸能世界を生き残るポイントがあるんだろうなーと思わずにはいられない今日この頃←
王子も結局はこの手の曲を、むしろ当時以上にストレートに書きつづけているしねー。
メッセージソングも結局は人間愛のラブソング。
人が人として生きていく上で必要なぬくもりなのかもしれないですね。



SWEAT & TEARS」が生まれた1986年はそんな時代でした。
こんなヨタ話を頭の片隅に入れて次回からアップ予定のこの曲を楽しんで頂ければ。
・・・・
週末にアップする部分だけでも書き終わるかなー?( ´・ω・`)←


2014年07月31日

TIME AND TIDE / 後編

続きー


ALFEEのライブの構成上、バラードナンバーというのは主に中盤、ラスト、大ラス辺りに置かれ、1本のライブでは多くても20数曲中4-5曲、さらにある程度のスケール感があると置き場所もラスト付近に限定されてしまい、ブレイク後数年は毎年のようにアルバム・シングルカップリングなどに大きなテーマのバラードを書いてきたため、この曲が歌われてきた事は案外少なく。
だからこそ、イントロが流れたときの感動とインパクトは強いおね(*´ω`*)
オリジナル音源はフワッとした印象だけど、ライブはエレキベースが入る事でどっしりするから、当たり前だけど「バンドのバラード」になってますよね。
オリジナル音源では入ってない分、賢頑張ってる[ゝ■ハ■]←
1番のAメロ後半からBメロの流れとか、間奏とかかなり動くフレーズ弾いてるおね。
初期の頃だけかな?とかなんとなくイメージで思ってたんだけど、近年の映像見たら同じフレーズ弾いてたわ(^_^;)
最近はキーボードが派手になってたりサウンドが厚くなってたりして目立たなくなってんだねー。
加えて後年は長谷川さんが曲後半かなり意識した盛り上げをしたりでダイナミックさも生まれて、よりバンドな音になってますよね。
最後のコーラスワークは
幸二のファルセットがフルパワー(๑・ω・๑)
主メロディになる高い所を「アーイニージョーラー・↑アイニージョ↑↑ラー!タイマンターーイ!
ロック!!幸二ロック!!独壇場!!仕事してる!!←
ここのカッコよさ、特に80年代はライブの聴き所ですた。
近年はかなり柔らかく歌えるようになり、下の桜井さんの声とかなり融合した聴かせ方が出来るようになりましたよねー。
ここはアーアーイニージョーラーで二人ずつに別れるので、バックメンバーの参加も不可欠だったり。
幸ちゃんと桜井さんがアーイニージョーラー、王子と山石さんを始めとする歴代キーボードがアーで振り分けてますよね。
今のバンドだと、タローくんもアーの方に入るのかな?
最初のメロディを三人で歌い、途中で別れ、最後のタイマンターーイ!でまた融合する、凝ったコーラスワークで好きだわー。
ピアノの余韻残してからのクレッシェンドの〆はこの曲の醍醐味だよね。

ステージで歌い出したのって83年の夏頃辺り?
武道館前・大阪城野外音楽堂ではもう歌ってたみたいだけど、それより以前のツアー中から歌ってたりしたのかなー?
この辺りちょっと謎ですよねー。
武道館を経てアルバムをリリースした後のOVER DRIVEツアーは本編ラストに演奏。
本編後半は武道館と同じセットリストの流れですた。
See You Again」-「TIME AND TIDE」のラストって、今思えば贅沢だおね(=´ω`=)
ラストに山石さんのピアノのフレーズだけがしばらく響いてクレッシェンドの掻き回しで終了、というのも武道館と同じ〆方。
バラードの締め方として結構こーゆーパターン使ってて、中にはこの曲でこの〆なのかー( ´・ω・`)とそぐわない曲もあったりするんだけど、この曲はこのスタイルが映える曲だおね。
FLYING AWAYツアーではMC後の本編後半頭の演奏という珍しい位置に置かれますた。
この曲でワンクッション入れて、演奏終わりの静けさの中で「OVER DRIVE」のギターが響いて怒濤の後半という流れ。
結構ステージが締まる置き方してたおね。

TOKYO BAY-AREAでは2度目のアンコールラスト。
星空のディスタンス」と共にステージを締めますた。
歌前に今年で13年、このライブを14年目の出発にしたい的な話を絡めつつ歩んできた道とオーディエンスに対する手応えと自信を話しながらちょっと感極まり始めてしまい
川・.B・||・・・・まだまだいくぞ・・・←この辺りから一層入り込んでしまったらしい
ALFEEは永遠に不滅だー!バカヤロー!!
という、さらっとミスター長嶋茂雄の名言をパクりつつ、70年代青春ドラマの海に向かって叫ぶ若者と同じベクトルを持った若干恥ずかしい「バカヤロー!」を叫んでしまうという、TOKYO BAY-AREAにおける
ライブ中屈指の名シーン(бвб)←
がありー。
ちょっと自分に笑っちゃった後、この場所でライブが出来た感謝を東京湾向けて、と話しこの曲が歌われました。
この演奏、すっげーステキだった(๑・ω・๑)
東京湾13号埋立地、周りにライトアップされた建物がある訳ではないのでステージ照明に照らされた箇所以外は真っ暗闇。
そして広大なライブ会場で前後左右果てしなく人の頭に囲まれ、中央の階段が無ければ何処がステージセットなのかも解らない「観る」という欲求は皆無な客席のど真ん中にいるから、どーかんがえても「海」なんて感じられないんだけどー、風に乗って潮の香りはしたんだよねー。
あぁーそっかー、埋立地なんだなー、周りは海なんだなーと、音楽を感じながらしみじみと場所に対する感慨が浮かぶと当時に、この膨大な人数を優しく包み込んでくれる曲の懐の深さを実感。
本来ステージから客席に「歌」をしっかり伝えられるのはホールクラスが多分限界。
国際フォーラムぐらいになるとちょっと大きすぎだったり。
それがアリーナクラスになるともう照明や特効などもセットになった+αのショー的要素が必要だし、それ以上になるとむしろそっちのがメインでもあったり。
この人達はそういうのを潔しとしないから、イベントはショー的な演出より風・雨・夕陽・温度・空気感など不確定要素が多いからこそステージと客席が共有できる物が多い「野外」になるべく拘ってきたんだけれども。
でもこの歌は見事に10万人に届いたよね。
歌に込められたオーディエンスに対する想いが、多分客席の両端・最後尾までしっかり伝わったと思うおね(*´ω`*)
サーチライトだけに照らされた真っ暗な空間に響く山石さんのピアノのリフレインからのクレッシェンドのエンディング、TOKYO BAY-AREAのハイライトの一つだわー。
夏の野外で歌うにはホントに相応しい楽曲だよね。
日本平では
川・.B・||@去年は東京湾に向けて歌いましたが、今年は清水港に向けて歌います
という言葉と共に2部のラストナンバーとして演奏。
何度も降った大粒の雨もすっかり上がり雲も薄くなり夜空も見え始め、程よい湿気と爽やかな夜風に包まれた午前2時過ぎ。
気が付けば清水湾の沖に浮かぶ漁船の灯りもチラホラ見えるほどに視界も開けた中、上空を照らすサーチライトの中で歌われた「TIME AND TIDE
ステージセットに置かれたストーンヘンジを連想させるオブジェも伴って、とても神秘的な光景
・・・・
なるほど、この絵が欲しかったのか(๑・ω・๑)
現地視察でココを観たときに、なだらかに下がった丘陵の向こうに見える清水市内と清水港、ここにステージ作ったらシチュエーション最高だな!と思ったろうねー。
ところが当日は日中の厚い雲に覆われた雨の一日、とてもそんな物が見えるとは想像もできませんですた( ´・ω・`)
しかし、そうだったからこそこの絵が見えた時は一層感動したおね。
これこそが野外・自然の演出。
ライブ会場だけではなく、清水市内一帯を包むような名演♪
真夜中なのでもちろんボーカルもそこそこにボロボロ、雨上がりの湿度も伴って楽器もボコボコの音なんだけど、演奏うんぬん・歌うんぬんではなく、いろんな要素が重なったからこそ出来上がった崇高な空間があったよね(*´ω`*)
菊地さんが奏でるピアノリフレインからのエンディング、アコースティック&バラード・遊び要素も満載な真夜中の2部を締めくくるのに相応しい演奏でした。
オールナイトと銘打って無ければ、これでライブ終わっても満足したレベル←
ちなみにイベント前にラジオ・雑誌等で聴きたい曲のアンケートを集めスタッフが集計した結果、
堂々の5位
だったそーな。
みんな曲愛してるおね(*´ω`*)
この二つのイベントの「TIME AND TIDE
ビデオに入れてないのが本当に惜しい
MCも含めて、どっちもイベントを象徴するようなシーンであり演奏であり絵であるはずなんだよね( ´・ω・`)
当時、1時間半に納めるには泣く泣くカットせざる終えなかったんだろーけども、後からでも見せていい演奏だおね。
映像残ってるだろうからなんとかしてファンに見せて欲しいシーンだわー。
みんなでAlfredかポニーキャニオンに要望出してくれ←

千葉マリンでは初日の本編後半に演奏。
Mind Revolution」の♪海へ還りたい♪のアカペラから即「TIME AND TIDE」のイントロへ繋がり、そして「DNA Odyssey」「CATCH YOUR EARTH」へと繋がる、イベント初日のハイライト。
明らかに、曲の質を別の方向で聞かせる意図を持って配置されたおね。
「命の源」とか「人間の深層心理」から考える「地球」をテーマに置いた上での「海」を感じさせる曲の配置。
こうやって置かれると、曲の持ってるメッセージがガラッと変わって聞こえるから不思議。
楽曲の持つ懐の深さ・テーマの大きさを上手く変化させて使ったセットリストでしたねー。
この頃から・・・もっと前・80年代後半かな?Aメロで入る幸ちゃんのオブリガードがピアノとユニゾンのフレーズを奏でるようになってて、これがいつもカッコいいなーと思って聴いてたわー。

歌う予定が歌われなかった、というライブもありました。
2003年・YOKOHAMA SWINGING GENERATIONの初日、ホントはこの日の大ラスナンバーとして歌う予定だったらしいのですが、当日は夏とは思えない超低温の長雨の一日。
そこで大ラスは、「ホントは別の曲を歌う予定だったんだけど横浜で雨・・・あの日を思い出す」的なMCと共に「ラジカル・ティーンエイジャー」が歌われました。
その場で言及はしなかったけど、ライブエンディングに流れたSEが「TIME AND TIDE」だった為に、ファンはなんとなく察し(笑)
後にしっかり「歌う予定だった」と話もしてますよね。
また言葉にはしませんでしたが、すぐ冷えてしまうあの日の会場だったので(実際、救護テントにはかなり多くの人がいたり)、みんなで暖まって終わろうという客席への配慮だったり、この現状でこの歌を歌っても伝わりにくいという考えもあっただろうねー。

Travelin' bandツアーでは本編ラスト曲として20年振りのホールツアー演奏!
こう見るとホントツアーでは長く歌ってなかったんだねー( ´・ω・`)
30周年を迎えて、改めて歌の意義を見つめ直したのかすら( *`ω´)
DNA Odyssey」「Mind Revolution」「TIME & TIDE」と続くクライマックスは曲にVictory Stadiumの時と同様の意味合いを持たせながらも、そこは30周年ツアー。
本編ラストに持ってきたのは曲の持つ本来の意味・オーディエンスの感謝的な想いを伝えたいが為でありー。
両方の意図を上手く使って据えたセットリストでしたねー。
NHKホールでの演奏がDVDになってますが、ラストの♪アイニージャーラー♪の所で一瞬ブレイクした時、幸ちゃんのストローク音だけ残るのが
超カッコいい(*´ω`*)
ここはゾクっとするわー♪
ライブタイトルにもなった大阪カウントダウンライブ・COUNTDOWN2005 TIME AND TIDEでは大ラスで演奏。
Aメロ歌ってて感極まっちゃったのか、王子の歌声が震えてるのが印象的ですおね。
終演後、鳴りやまないアンコールに王子自らがアナウンスで応え
このカウントダウンライブ・30周年の締めくくりはどうしてもこの曲で終わりたかった
と話し、来るべき春ツアーでまた逢いましょう、と約束をして締めたライブでした。
それだけこの曲に込めたオーディエンスへの想いを伝えたかった30周年だったんだなーと実感。・゜・(ノД`)・゜・。
自分達も改めて実感し、また次の1年・10年へのスタートの意味を持たせたかったからこその春ツアーでありカウントダウンの演奏だったんでしょーねー。
STARTING OVER秋ツアー、あえて大ラス曲を日替わりにし、見に行った神奈県ではこの選曲。
横浜のイベントの思い出を語りつつ、この歌が歌われました。
イベント休止前の赤煉瓦では二日目の本編ラストで演奏。
横浜・赤煉瓦・すぐ横は海でシチュエーションも最高だおね。
またこれで休止するイベントの集大成、という事もあって必須の選曲だったんだろーなー。
Bメロでレスポールのクリーントーンのバッキングを入れているので、ちょっと趣変わった演奏ですよね。

そして2012年、WGRのリクエスト堂々トップ10内に入ったにもかかわらず、あえてイベントでは歌わず寝かせ・・・・
あえて寝かせ@大事なことなので二回
秋ツアー・Flowers in My Planetの大ラスナンバーとしてそれぞれの街で歌われました。
作って30年近く経ったこの曲を愛してくれているみんなに感謝を込めて、的なMC、拍手と共にこのイントロが流れて・・・・
もう納得よ!
うん、納得だわ。
WGRというイベントにおけるバンド・ファン双方の意義、趣旨、バンドの歴史やスタンス、全てしっかり理解した上でALFEEの歴史上なくてはならないこの曲をリクエストトップ10に送り込んだファン達
おまいら有能!!!(^^)//””””””@自画自賛
まぁ悩んだ末、結局俺のリクエスト曲からは漏れたんだが( ´・ω・`)←←
うん、みんなありがとう(笑)
決して長く応援してるファンからの票だけじゃないよね。
歴史の中で新しく着いていったファン、それこそ10代の子達でもリクエストしてくれたファンはいるよね。
久々にホールで歌ってくれたのが嬉しかったし、あえてイベントでは寝かせてそれぞれの街でこの曲を歌う事にした彼らの計らいに打たれたのもあるんだけど、それよりもファン達の心意気が嬉しすぎて時を経て繋がってる感満載で、感動でウルっとくりょりもニヨニヨが止まりませんですた(бвб)
なんだろーね、今日集まった全員で一晩語ろうぜぐらいのテンションな(๑・ω・๑)
何十回目かのALFEE(ファンも含め)最高!を感じた夜だったなー(*´ω`*)
このツアーの武道館DVDってまだ見てないんだけどー・・・その日歌ってないんだよね?( ´・ω・`)
ファイナルシリーズでセットリストの方向が変わるとはいえ、秋ツアーの柱の1曲+「ALFEE’S LAW」スペシャル的なセトリまで組んでおいて何故歌わないのかと、檄おこプンプン丸である( *`ω´)
城ホールは歌ってんだっけ? 映像収録してないのかなー。
MCの流れから曲までしっかり見たいおね。


83年武道館の映像ってやっぱ印象的だしインパクトあるよね。
映像の編集・演出の仕方もこの曲に集約するために作ってる所あるし。
派手ではないし王子だけじゃなく歌も演奏も割とミストーン連発してたりで決していい演奏ではないのだけれど(笑)
漲る緊張感とかこの日のライブや曲に対する想いとかが溢れて好きだわー。
ちなみにこの曲で王子が弾いてるのはARIA PRO-ⅡのRS INAZUMA-Ⅱというモデルだと思われ。
確か低グレードで4万~高いのでも6、7万ぐらいの比較的リーズナブルなシリーズで、XX、ZZと並んで若いメタル系ギタリスト向きの当時のARIA PRO主力モデルの一つ。
83年夏というのは、多分このモデルが登場したかしないかぐらいの頃。
そしてこの時期前後の雑誌写真を見ても大阪城野外やこの武道館時しか王子の手元になかったギターであるので、推測するにARIAから市販前のテストモニターとして借り受け武道館後に感想と共に返却した、という感じなのかなーと思ったり。
前年の所沢もそうだけど、ある1、2ヶ月の一時期しか王子の手元になかったARIAのギターって多いんだよねー。
これもそんな1本ですよねー。
最初の赤煉瓦の映像もいいよね。
アレがあったからこそ、2006年の演奏が生きるのもあるし。



春ツアーは歌ってなかったみたいだし(結局イベントどころか春ツアーも参加できなかったわー、長年ファンやってれば間繰りあわせの悪いこんな時もあるよねと思う事にしる)、イベントで歌うだろーな、歌うはずよね、という念を込めて書いてイベント日に前半アップした訳ですがー。
やっぱ二日目に歌ってて嬉しく思いますた。
30周年の時にあれだけ意志打ち出したし、一昨年にファン人気も再確認したんだろーから、今回も1年のウチにどっかで歌ってもらわなきゃだったしねー(бвб)
入ってて良かったなーと思うし、ステージと客席の繋がりを大事にしてきた40年というのも実感できるおね(*´ω`*)
若い頃の感覚・空気・匂いが蘇ってくる15歳の頃から大好きな1曲。
それを今も変わらずステージで聞けるんだなーと改めて感謝するわ-。
長い時が流れていろいろあって思い描いた未来とは全然違うし変わった事もすっげー多いけど、いくつかの変わらない物もある・・・セットリスト眺めて、人生の長い期間この音楽が常に側にあった事を実感した。・゜・(ノД`)・゜・。
思い入れがとびきり強い曲なんだけど、どーもこの感情は言葉にし辛いやね( ´・ω・`)←

発表から31年、きっと歌入れした当時の想い入れや感覚を大事にしてるのもあるんだろうなーって事もあってか、これまでオリジナルテイク以外の音源はないんだけどー。
このままのアレンジで(もちろんキーボード・ドラムは今のメンバーでよい)是非今のボーカル力で再録して欲しいなーと願うなど。
オリジナルの味わいはもちろん素晴らしいし、あの時期にしか出せないかけがえのないものであるんだけど。
今のしっかりしたボーカル力で歌えば、曲の持つ懐の深さは表現出来ると思うんだー。
40年の中で出逢ってきた不特定多数のオーディエンス、そしてまだまだこれから新しく出逢うであろうオーディエンス全てに向けて、41年目の船出の為に再録して欲しいなー。
歩いてきた年数もこれから先の道をも包み込む、今の「TIME AND TIDE」を是非!!



TIME AND TIDE
作詞/作曲:高見沢俊彦
編曲:井上鑑
アルバム「ALFEE’S LAW」(1983年)収録


2014年07月11日

SWINGING GENERATION / 後編

続きー


この曲、当初は誰のボーカルを想定して作ってたんだろーか?
後半王子が出てくるのを考えると、幸ちゃんメインで考えてて、どーしても出ない所は自分で歌ったのかなー?
でも詩的には王子が自分で歌うのも想定して書いてる気もするしー。
最初から二人で、という事は想定してないよーな気がするから、どーなんだろーねー。



2003年のシングル「タンポポの詩」のカップリングとして、リテイク音源をリリース。
「SWINGING GENERATION 2003」と銘打ってありますがー、1990年からずっとステージで演奏し続けてきたアレンジそのままというのはファン周知の事。
シングルが夏リリース&この年の夏イベのタイトルソングでもあった為、このタイミングでのスタジオリテイクだったみたいですねー。
夏イベのプロモーション的な意味合いだよね。
またリズムアレンジ自体がこの当時サウンドの柱にしていたブリティッシュ・ビートのパンクロック的だったのもタイミング良かった理由の一つかもですねー。
このアレンジバージョン、ずっとステージで演奏していた5人で録ってますが、改めて録るに当たって多少の変更点もあり。
ステージではレスポールカスタムを主にチョイスしてハードロック的な演奏をしていた王子ですが、この当時の好みや拘りに伴って全編テレキャスをチョイスして、バッキング演奏自体もコード引き下ろす大胆なサウンドになってるのが一番大きな変更点かも。
またこの年の前半ツアー~夏イベに参加していたキーボードの杉山さんがオルガンで参加。
間奏前の箇所や後半でちょこちょこ挟むアドリブとか良い感じで新しい色になってますよね。
レコーディング、オリジナルより体に馴染んでた演奏だった為かオケのベーシックな所はそれぞれのブースに入ってほぼ一発録り的な感じだったよーで。
夏イベDVDパンフにその様子が収録されてますよねー。
桜井さんが「久々だなー、生ドラムの横でやってるの[ゝ■ハ■]」というシーンがあったり、長谷川さんが
このレコーディング早くていいっすね!\(^o^)/
とプロミュージシャンとしてそれ言っちゃダメ、という本音も収録されてたり(笑)
その反面、馴れによって個人個人が思いこみで演奏していた所を修正しなければならない所もあったよーで、DVDには幸ちゃんがBメロの進行を確認しているシーンもあったり。
また王子が長谷川さんに対して
べードラすげー事やってんだなー川◎.B◎||
初めて聴いた!

などと、譜面書いた本人が酷い事を言ってたりします(T∇T)

さてこの長年のライブ演奏で馴染んだリテイクver、詩と歌のメロディ以外は
オリジナルの面影なぞ微塵もないスピード感溢れるノリノリのブリティッシュ・ビートパンクである(๑・ω・๑)
頭からして拍打ちスネア&怒濤の2バスのフィルという派手さ加減、そのままの勢いで乗っかるメジャー展開のイントロ。
このイントロはホントカッコ良く仕上がってると思う。
そしてこの勢いのまま最後まで行っちゃうからすげいおね。
どーしてこーなった川・.B・||
こっちから入った若いファンは、逆にオリジナルの重さにビックリしたんだろーなと思われ(笑)
またキーを1音半落としたC#mなので幸ちゃんの声も柔らかくなってたり、コーラスの入れる箇所を大幅に増やす・ポジションを入れ替えるなど多岐に渡った変更点の効果もあり、オリジナルの持つ心の叫びや痛みは大幅に軽減されて馴染みやすくなってる、と言えるでしょーねー。
何故ここまで変えたのかと言うと、やっぱり
ライブでの使い勝手って事になるんじゃないかなーと推測。
オリジナルアレンジだと歌いたいんだけどセットリストに組み入れにくい事も多々あったんだろーなー。
テーマ重視で入れ込んじゃうとステージ全体のノリが止まっちゃうので、置き場所が限定されてしまってたのではないだろーか。
また歌う都合上キーを下げると、オリジナルアレンジでは王子的にも幸ちゃん的にもしっくり来なかった事も考えられるしねー。
後、オリジナルアレンジだと王子的に感情が入り込みすぎてしまったり痛みが強すぎたりで、思い入れ的な歌いづらさもあったかもしれないし。
だったらいっその事ガラリと変えてみよーか・・・・という思惑もあったのかも?
実際の所は定かじゃないけど、結果としてファンも割と受け入れてたしステージに組み入れやすくなったのは事実。
本編後半などに置くと重く間延びしがちになる【1969】や【青春・明学】のテーマブロックでも客席を飽きさせないいいアクセントになってる。
思いっきり派手になった分、照明や野外での特効などが生きる効果も生みましたよねー。

オリジナルとはボーカルスタイルがかなり変わってきています。
ツインボーカルというよりは、3人回しで歌ってる感じだよね。
Aメロが幸ちゃんだけなのはオリジナルのままとして、Bメロは王子が抜けて桜井さんが上に乗2声。
戻りたいとは~」は王子メロディなのは変わらないけど、幸ちゃんの下のが入る2声になってますよねー。
そして最大に変わったのがサビ。
3声コーラスになったよねー。
基本桜井さんがメロディに入って幸ちゃんが下、王子が「スィンギン、ジェネッレーション」だけ上に入って後は桜井さんとユニゾンなのかな?
かなり3人入り乱れて歌うアレンジになりましたよねー。
誰か答えてくれ」もキッチリ3声に仕上げて、叫びというよりは純粋にアカペラコーラスとして楽しめるようなものになってたり。
そして、ライブで歌ってるキー設定そのままにレコーディングした事で、歌の感触も大きく変わりました。
幸ちゃんの歌い出しからしてとっても柔らかいよねー。
詩に対して一つのストーリーを一歩引いた視点で歌ってるんじゃないか、ぐらいの言葉のノリ重視な気すらしたり。
戻りたいとは~」の王子も視点が穏やかになって聞こえるよね。
おなじ詩でもこれだけ聴いた感触が変わるもんなんだねー。
特にレコーディングされた音源は2003年・50歳を迎えようとしている時期。
30そこそこで歌ってた頃と思い入れも視点も変わったんだろうし、若き日の痛みや迷いに対してしっかり向き合える人生経験もあるから、歌に対してのスタンスが相当変わったんだろうなー。

このアレンジ、要はやっぱドラムだおね。
頭の拍打ちで煽るスネア、レコーディングされたこの時期は使ってる楽曲もそこそこあったけど、アレンジが出来上がった90年当時だとALFEEの楽曲にはかなり珍しい部類だったはず。
基本的にリズムがハードロック・メタルの作り方してたから、この感じは相当貴重だったよね。
ライブでは相当長く叩いてイントロに入ってるから、音源はちょっと食い足りなかったけど、その分イントロ前のフィルは
長谷川浩二フルパワー(бвб)
べードラすげいwwwww
ビートパンクなリズムをこんな重厚に叩くドラマーが他にいるだろーか←
サビなんかはライブより譜面指示よりぜってー手数足数多いだろ、これ!
Bメロブレイクのフィルも好きにやらして貰ってる感じだよね。
そらレコーディング前のリハから汗だくになりますわ(๑・ω・๑)
長谷川さんのドラムが堪能出来るテイクになってますよね。
ギターは映像見る限り、幸ちゃんはベーシックな所を&3番のアクセントになる所をGibsonのCF-100E?で弾いて、後でYAMAHA-CWE58改の12弦をベーシックに重ねた感じなのかな?
あの頃をいま~」の所はGibsonで「Teenage Dream~」は12弦に聞こえるけどどーなんだろーか?
それぞれにいい味出てるよねー。
ミュート刻む音が良い感じで響いて、ここ好きだわー。
そしてエレキはバッキングはブロンドのテレキャス、ソロはBlue Flower、最後のオルガンと入り乱れてるような青リブはWolfgangという感じなのかな?
イントロはどの組み合わせか解らないけど、違うギター2本ぐらいで弾いてる感じ。
全体的にテレキャスメインになってるので、レスポールカスタムのパワコードオンリーだったのから気持ちいいカッティングやコード弾きのバッキングが多くなって、ライブで馴染んでた感覚とはかなり肌触り違ってるよね。
あの頃に~」とか「戻りたいとは~」の箇所での6本の弦を弾き下ろす音良いわー(*´ω`*)
ロックンロール!を思いっきり楽しんでる感はあるよねー。
ソロは後半のアクション伴ったポイントになってる所だけ残して、フレーズ結構変えてるよね。

うん・・・
リズム、イントロのカッコよさったらないし、90年当時のアレンジとしては頭抜けて気持ちよいアレンジなんだよね。
勢いもいいし、盛り上がるにはもってこいの楽曲になってるし、テレキャス多様した事でヤンチャな感じも増して凄く素晴らしいテイクでありアレンジに仕上がってるんだよね。
「SWINGING GENERATION」でなければ
このアレンジ、唯一気に入ってない所は「SWINGING GENERATION」であった事。
まっさらの新曲だったら素直に大好きになってたのにー。
程よく軽快になった分、失ってしまった物も多く。
気持ちよくカッコいいイントロになった影で
ドコー( ´;ω;`)あの哀愁、ノスタルジー、喪失感ドコー
そしてなにより、楽曲最大の魅力であった心の叫びと苦しくなるぐらいの痛みを伴った美しさが無くなってしまったんだよね。
リアルに描いた立ち止まったままの迷いをリスナーに増幅して感じさせてくれる「アレンジのマジック」が消えてしまったんですよねー。
これは俺の知っている「SWINGING GENERATION」ではない。
だから音源リリースするちょっと前までは、このアレンジ嫌いだったのよ(-∀-`)
みなとみらいで初めて聴いたとき、イントロのワクワク感と歌い出されて曲が解ったときの落差とショックな( ´・ω・`)
やっぱ自分当時20代そこそこ、まだまだ拘りが強かったんだよね。
全然受け入れなかったし、ライブでも熱がすっと引いてしまう曲になってたんですよね。
さすがにこの音源がリリースされた頃はかなり否定的な拘りは無くなってたけど。
今でも大好きかと言われれば・・・うーん。。。という複雑な感じはあるけど、作者・演者の意図や狙いも想像し汲み取った上で自分なりに納得して楽しめるよーにはなりましたね。
そしてこれ書くのに繰り返しループしてたら、けっこー好きになってきたわ(๑・ω・๑)←



ステージ・特に夏イベの定番曲の1つとして演奏される頻度多めのナンバーですがー、そうなったのはリアレンジ後だよね。
オリジナルアレンジのテンポやそこから受ける詞の感覚では、当時のステージ構成の中では置きにくかったりしたのかも?
リアレンジにより良くも悪くも詞の重さが軽減された事で流れの中に組み込みやすくなったのかもしれないですねー。
とはいえ、80年代の作品発表当初はオリジナル・アレンジで歌われており。
ただオリジナルのキーで歌われたことはもしかしたらないのかも?
多分1音落としてDm、もしくはリテイク版と同じC#mだった記憶。
やっぱり、スタジオでは出てもステージで頑張っちゃうと後がヤバイんだろーね(^_^;)

発売時、 SWEAT & TEARS秋ツアーでは本編後半にガッツリ「AGES」からの選曲をしていましたがそこでは演奏されず、2度目のアンコール時で演奏されました。
アンコールで演奏するのはあまり適さない楽曲だよなーという印象があってビックリだった記憶。
本編の中には入れ込みづらく、悩んだあげくにこの箇所だったのかなーと思ってたんですがー。
選ばれていたナンバーはこの「SWINGING GENERATION」、そして「夢の終わりに」。
アルバムも中でも王子のパーソナルな部分が一際濃い2曲だったので、それなりにココに置いた意味があったんでしょーねー。
もちろん、この前後には派手に楽しくドカーンとやってんだけど、このブロックだけはこれまでの「ALFEEライブのアンコール」とは違った、張りつめた空気感がありましたよね。
これが翌春ツアーの「LAST STAGE」に繋がって気もしたり。
日本平では明け方・3部の後半に差し掛かったぐらいの所で演奏。
セットリストの流れからいって、当時からかなり大事に扱ってきたナンバーだというのが解りますよね。
5時前ぐらいだったのかなー、ANN特番の最後にほぼ1曲分オンエアが乗りましたよね。
湿気があるとはいえここまで相当歌ってきた分、喉がかなり荒れていたんでしょーが、この曲はそれが逆に好都合だったり。
より歌詞に込められた心の叫びや痛みが客席により伝わった気が。
明け方の空気感も曲にはいい影響だったかもですねー。
LONG WAY TO FREEDOM 秋ツアーでは前半で演奏。
シングル曲も交えつつ、「時代・世代」に関わるナンバーを多く選曲していますた。
このツアーから構成などいろいろ試行錯誤しはじめていて、この前半ブロックもこの曲を始めとして、ただ楽しく盛り上がるだけではない要素を入れ込んでましたよねー。
TIME SPIRIT 秋ツアー、金沢2Daysでは初日のみ演奏。
中盤ブロックで「夢の終わりに」と絡めて歌われたので、やっぱこの2曲は王子の中で繋がってる何かがあるんだろーねー。

BRIDGE ACROSS THE FUTUREでは本編ラス前で演奏。
ここから現在のライブアレンジになりましたよね。(実際はこの春ツアーからなのかな?)
この時点でコーラス箇所の増えた所も含め、2003年の音源とほぼ違う要素のない完成されたものになってました。
唯一、最後のサビを幸ちゃんが歌ってないぐらいかな?
盛り上がりもかなり高まってる中でタン!タン!タン!タン!と長谷川さんの早い前打ちスネア。
当時のALFEE楽曲ではこーいったの珍しかったし、カッコ良かったよね。
王子と桜井さんが両サイドに別れて煽り、ここまでまだ発売すら未定だった「Arcadia」からの新曲が何曲かあったのも伴って「おぉー!また新曲かー!щ(・△・щ) 」と煽られた所で
♪ほおかっごーのーきゃんぱーすーでーあいつとぉー♪
・・・
・・・・・・えっ(・_・;)
・・・
えっ、これ「SWINGING GENERATION」なの?
・・・・
コレジャナイノ( ´・ω・`)
こんな脳天気なアレンジは「SWINGING GENERATION」じゃないの(бвб)
ドコー、痛み、切なさ、哀愁、あの美学ドコー( ;ω;)
周囲が拳振り上げて盛り上がる中、まぁー孤独だった事(・U・)
リアレンジによって断然ステージで組みやすく・扱いやすくはなったしアレンジ自体はとてもカッコいい分、余計に残念感味わいますた。
複雑だったわー(๑・ω・๑)
自分自身がまだ若かったせいもあるんだけど、以来長らくこのアレンジ受け付けなくなっちゃいましたねー。
COUNT DOWNツアーでは二度目のアンコールで演奏。
終わりなきメッセージ」との組み合わせでオリジナルアレンジだったらもの凄く重く痛くなってしましまいそうだけど、リアレンジである程度軽く聞かせられるようになったからこそ、アンコールという場でも違和感なく聞かせられるようになりましたよね。
JUST LIVEでは本編後半で演奏。
シュプレヒコールに耳を塞いで」から【1969】の流れを作りつつ、こっからラストまで盛り上げて行こうっていうポジションですた。
改めてビデオ見てみたら、イントロ・間奏で王子がレスポールカスタム弾きながら頭振り回しはじめたのこの辺りからなんだなー。
「SWINGING GENERATION」=レスポールカスタム、というイメージはこの頃から始まってんですねー。
間奏終わりに大きく腕振り回すオーバーアクションなんかも取り入れ初めてますよねー。
千葉マリンでは2日目の本編後半で演奏。
【1969】を匂わせるナンバー多めに構成されていましたが、間に入った「夜明けのLANDING BAHN」や「Far Away」はどーいった意図で置いてたんだろーねー。
一本繋がった物がありそーな、なんとなく気になる曲順なんだよなー。
KINGS NIGHT DREAM大阪では本編後半に演奏。
けっこーヘビーなサウンドの流れの中に置かれてましたねー。
PROGRESS 秋ツアーでも本編後半ブロック。
時代・世代をテーマにした中に置かれてますた。
IMAGINATION 秋ツアーではセカンドブロックで演奏。
客席温める景気づけ的な感じだよね(笑)
この頃になると、コーラス等も含めて完全にリアレンジ音源になる演奏が出来上がってましたよね。
アレンジ変えた90年以降~90年代中盤のこの頃と、時代を意識せざるおえない2000年代前半は特に毎回歌ってた印象。

AUBE 2000ツアーではオープニングブロックで演奏。
新世紀前最後の年、という意識もあっての選曲もあったろーけど、「Gate of Heaven」から始まり結構ヘビーなオープニングだっただけに、やっぱり客席温める意味的な感じですよね。
GLINT BEATツアーではセカンドブロックの最後で演奏。
ブリティッシュロック・パンクのサウンドコンセプトのアルバムツアーだっただけに、組み入れやすかったんだろーなー。
西武ドームは初日の本編ラス前で演奏。
「GLINT BEAT」-「Going My Way」の頃は取り入れていたリズムやサウンドがリアレンジver.と合致したのもあって、よく歌ってたんでしょーねー。
My Generationツアーではセカンドブロックで演奏。
ツアーから夏イベ間は「世代」が大テーマだっただけに、必須な選曲でしたねー。
そしてイベントタイトルになったYOKOHAMA SWINGING GENERATIONは両日で演奏。
リアレンジ音源をリリースして、最初のライブ演奏でもありました。
初日は本編後半で演奏。
正直、よっしゃ動ける!\(^o^)/という、雨と寒さに挫けそうな所を救われたわ(笑)
このバージョンがこんなにありがたく思える日がこようとは(๑・ω・๑)←
どっしり聞かせるタイプの選曲が多かった初日は特にねー。
まぁこの頃になると、個人的にも若い頃ほど拘りもなくアレンジも含めある程度「楽曲」を楽しめるようになってましたけどねー。
二日目はサブタイトルにもなった為、2度目のアンコールの大ラス前で演奏。
前日よりは比較的コンディション良かったよねー。
この時代はリアレンジ音源サウンドも含め、レスポールカスタムよりテレキャス系やBrian-Tなんかのチョイスが多かった記憶。
変形物って使わないよね、動きやすいギターチョイスしてる気が。

LOVE &PEACE では二日目-A DAY OF PEACEのアンコール
盛り上がる定番曲をザッと演奏したアンコールでしたが、「平和」というテーマだけに【1969】の意味合いを込めて選曲されてた気が。
YOKOHAMA STAR-SHIPでは二日目の本編後半。
ROCKDOM」と「終わりなきメッセージ」に挟まれて、ブロックの意図が明確でしたよねー。
CONFIDENCEツアーでは久々のホール演奏だったのかな?
最初のアンコール・ラストで演奏。
19」から学生コントを挟み「もう一度君に逢いたい」、2007ver,の「終わりなきメッセージ」とこの曲。
35周年記念ツアーなのもあり、全体が「青春」をテーマにアンコールにしてはかなりカッチリしたブロック構成でした。
両サイドに派手な動きがある割には、シリアスな曲だけに王子の決まったリアクション以外はあんまりステージでの遊び要素がないおね。
映像資料山ほどあるのに、特に特筆するよーな事が無くて困る( ´・ω・`)←



気付いたけど、ここ最近って全然歌ってなかったりすんのかー。
リアレンジ版への抵抗ってほぼ無くなったけど、やっぱりオリジナルアレンジ(キーは落として構わない←)の世界観・テンポでまた聞いてみたいやねー。
ここまで散々、オリジナルアレンジの美しさを持ち上げて書いてきましたがー・・・
実はオリジナルアレンジでもライブで聴く・・・というか体感するのはあまり好きではなかったのよ(бвб)
それは余りにも曲の持つ「痛み」の部分が強すぎる所もあるんだけどー、サビで拳振り上げちゃう客席の感じについてけず。
誰か答えてくれー!」に呼応して振り上げた客席の腕に「そんな曲じゃないよなー」という違和感はずっとあってですねー。
自分と多くのファンでは曲の捉え方が違うのかなーと思ってたんですよねー。
またそれを煽ってしまう王子もどーなん?って感じてたし。
終わりなきメッセージ」で感じた物と同質の、自分の感じた曲の世界観がステージによって崩された気がしたんだよねー。
それでも気にせずサウンドに入り込んで体感してりゃそれで良かったんだけど、リアレンジによってなんとなく居心地の悪い感覚が倍増以上にされてしまって、あまり受け付けなくなってた時期はありますた。
でも、歌はやっぱ美しいんだよね。
しょっちゅう聴いてる訳じゃないけど、歳を追う事に聴く度それに気付かされる。
リアレンジ版に対する拘りがほぼ無くなったのもあるけど、今ならオリジナルアレンジ演奏も素直に入り込めると思う。
Acousticアレンジでもいいと思うんだけどなー。
痛いからこその美しさ、今の演奏技術・PA技術・年期の入ったボーカルで聞きたいわー。



SWINGING GENERATION 【SWINGING GENERATION 2003】
作詞/作曲:高見沢俊彦
編曲:THE ALFEE
アルバム「AGES」(1986年)
シングル「タンポポの詩」(2003年・2003re.take)収録


プロフィール

あっちゃん♪

Author:あっちゃん♪
twitter ID:@venusofrock



ALFEEファンの皆様、よーこそ!
訪問ありがとーございます♪
15の時にALFEEと出会って以来、四半世紀以上のお付き合いの石川在住・一ファンですv(。・・。)イエッ♪
大まかには各楽曲に絞ったあれこれを書いてます。
また楽器の事やライブの事もっ。
お気に召しましたら、コメント等頂けたら幸いです。

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